巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 4.7

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百十三、「田舎の別荘」

 伯爵は、武之助の父母と初めての面会に、勿論長居するつもりは無かった。ただこの後親密に交際するだけの道をさえ開いて置けば好いのだ。交際するうちにはどの様な機会も来る。来なければ自分で作る。作るだけの準備も目算も全てそろっている。

 真に伯爵がこのパリーへ乗り込むまでどれほどの準備を整えたかと言うことはこの後の伯爵の仕事を見れば自ずと分かる。全く十年の間、夜の目も寝ずにその準備にかかっていたといってもよい。どれほど偉い大将軍がどれほどの大戦争を行うにも、恐らくこれ程の準備はしないだろう。それはそのはずである。伯爵がこれからパリーで開こうという戦いはほとんど、人間業には出来ないほど奇兵を使うのだもの。準備に夜の目も寝なかった通り、これからその実行にも又夜の目を寝ないほどにしなくてはならない。

 最も伯爵が、自分の決めた目的を果たすのに、どれほどの情熱とどれほどの手際と、どれほどの知恵を持っているかは、既に森江家を救った一条でも分かっている。全く千古の知恵者とも言うべき梁谷法師の智慧をことごとく受け継いでいるのだ。恩を報いるのは大変なように、恨みを報いるのもやはり大変だろう。イヤ、恩は浅く、怨みは深い。恩よりも何倍の手際を持ってしなければ、その深い、深い、終天の怨みに相応するとは言われない。

 それはさて置き、黒人アリーが借り入れた伯爵の住いというのはパリー中の最も贅沢な場所に数えられるエリシー園に添った立派な屋敷である。今辞した野西子爵の邸からは、早い馬車だから、十分はかからない。わずかにその十分の足らずの間であったけれど、極めて繁華のところを通るのだから、二十人以上の紳士に会った。

 いずれの紳士もすれ違い様皆振り向いて、伯爵の馬と車とを見た。自分らが余り値段が高いので垂涎しながらも手に入れることが出来なかった品だから、中には物好きにか羨ましさにか一町(109m)引き返して馬車の中の主人公の顔を覗いた人さえある。

 やがて屋敷の玄関に着いた。伯爵は直ぐに降りて、続いて降りる春田路に向かい、「俺の名刺は出来上がったのか。」と聞いた。
 春田路;「ハイ、お指図の通り、パリー第一の彫刻師を訪ね、待っていて、この家の番地まで書き入れたのを仕立てさせ、最初の一枚が出来るや否や、直ぐに段倉男爵の邸に置いてまいりました。そうして、残りは居間の棚に持って来てあります。」

 アア、伯爵は第一に次郎の野西子爵を問い、次には早段倉の元にも自分の来着を報じて名刺を通じたものと見える。機敏とはこの様な事を言うのだろう。この向きで見れば、次郎と段倉とを合わせて、三尊とも言うべき怨敵、あの蛭峰のその後の事、今の事をも突き止めて、その人に対するしかるべき手はずをも決めて在るのに違いない。

 次に伯爵は、「春田路、公証人は来ているか。」と聞いた、
 春;「ハイ、応接間にお待ち申し上げて居るはずです。」
 伯爵;「では俺を案内せよ。」
 と言って、春田路と一緒に応接室に入ると、背の低い真面目な五十格好の聞かなくても公証人と分かる一人が控えている。伯爵は言葉さえ無駄には捨てない。「売買の契約証書が出来ているなら拝見しましょう。」

 そばに立つ春田路は少し不思議に思う風である。この家ならば既に売買の手続きが済んでいるのに、それとも又別に家屋でも買い入れるのかもしれない。
 公証人;「ハイ、出来ています。」
 言葉とともに差し出した。伯爵はこれを受け取りながら最も何気ない様子を示して春田路に向かい、「今度買うこの別荘は何処とかにあると言ったな。」

 自分の買う家の町所さえ知らないのだろうか。
 春田路;「私は知りません」人の前で驚いた顔などしたこともない公証人も目をむいて、「エ、お二人ともご存知無いのですか。」 伯爵;「知るはずが有りません。今日の十時半に初めてローマから着き、その前にこのパリーの土を踏んだことが無いのですもの。」

 公証人;「オオ、パリーへ始めてのお出でですか。それならば御もっともです。お買いの別荘は「オーチウェルに有るのです。」と言って地図のようなものまで取り出した。何の訳だか知らないが、「オーチウェル」という地名を聞いて春田路は少し顔の色を変えた。多分何事か思い出したのだろう。

 伯爵は地図を調べながら、「オヤこのようなところですか。私は田舎の別荘と聞いて、百姓屋でもある付近かと思ったら、これではやはりパリーの町続きですね。何だって春田路、お前はこの町続きに有る家を田舎の別荘などと言った。」
 春田路;「伯爵、恐縮ですが、それは閣下の思い違いでしょう。私は一度も別荘を買うなどのお指図は請けたことが無く、今承るのが初めてです。」

 伯爵はたちまち思い出した様に「オオ、そうそう、忘れていた。この別荘の方はお前に託したのではなかった。新聞の広告に出ているのを見て、書記に言いつけ、この公証人のところまで手紙で申し込ませたのであった。広告には極めて、閑静なな別荘と書いてあったのに」

 公証人は今更破談にされては手数料が消えてしまう。「イエ、田舎も同様です。オーチウェルの中でも極静かなところです。吹き上げ小路ですから。」吹き上げ小路の名に、春田路は又一層驚いた。「伯爵閣下、広告の文面に偽りがあったのですから、断ってよいのです。私が断りましょう。」

 余ほど吹き上げ小路を恐れると見える。「イヤ、見届けずに買い入れを申し込んだのが俺の失態だ。既に証書まで作らせたものを破談ににしては、顔にもかかわる。別荘の一つや二つ、不要のときは番人へ与えてもよい。五万五千円持って来てこの公証人に直ぐ支払え。」

 伯爵の命令は一言でも争うことは許さない。又一刻の猶予も禁じてある。春田路は真に仕方なく仕方なくという様子でため息を飲み込んで退いた。公証人の方は安心の息をほっとついた後に伯爵は公証人に向かって、「今までの持ち主は誰ですか。」
 
 公証人;「米良田伯爵家です。」
 伯爵;「はてな、聞いたような名前だけれど思い出せ無い。」
 公証人;「ブルボン朝廷の忠臣といわれた家筋で、その一人娘が、今から二十何年か前にニームからマルセイユへ転任した検事補蛭峰という方に縁付いたのです。」
 伯爵;「何だか聞いたようでもある。」

第百十三終わり
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