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黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 4.18

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百二十四、「美しい栃色(とちいろ)」

 金に向かって直ぐにお辞儀をするのは、金の有り余る富者である。金が無くて困っている人間は、、金持ちを見ても中々平身低頭はしないけれど、金のある人は自分より上の金持ちに会う時は、一も二も無くへたばってしまう。

 段倉は少しの間伯爵の顔を神の顔かと眺めた末、がっくり折れて、ほとんど詫び入るような調子になった。「イヤ、伯爵、ロスチャイルドに向かってさえ、これほどの信用有る貴方が私の銀行をまで取引の中に加えて下さったのは実に身に余る名誉です。私の信用のある限りは必ず御用を務めますから。」と言い、又も伯爵の保証状を取り上げて、オーストリアやイギリスの銀行の署名を一々見直したが、勿論偽物に欺かれるような幼稚な眼では無い。どうしても本物だと言う事を見極めた。

 「どうか、伯爵、いかほどの大金でも私の銀行からお引き出し下さい。ですが、差し当たりのところはどれ程ご入用ですか。おおよそのところを伺っておけば幸いです。」伯爵はかえって冷淡に、「ナニ、当座の小遣いですから沢山は要りません。今日六百万円も頂いて行きますか。」

 段倉;「エ、当座のお小遣が六百万円、どうしてそうお使いですか。」
 伯爵は笑みを浮かべて、「田舎者ですから、使い道は良く知りませんが、なるべく貴方がたに教えていただき、余り物笑いにならないように使いたいと思います。」
 何たるおう揚な言い分だろう。「いやそれは、どの様にお使いなさっても、物笑いになるなど、その様な事は有りません。が、しかし、六百万円を今日直ぐでは」

 伯爵;「今日すぐにてはーーー」
 段倉;「繁盛する銀行にはその様な大金が遊んでいるものでは有りません。どうか、明日」
 伯爵;「ハイ、明日でもよろしい、どうか私の宅へ送付してください。」
 段倉;「心得ました。金貨ですか。紙幣ですか。」金貨でも、紙幣でもと、その実同じことをばあたかも別々に二重の融通を与える力でも有るかのように言うのは、なるたけこの伯爵に対して、自分の金力を大きく見せたいためである。

 しかし彼はまだ不審の消えないところがある。伯爵が「どちらでもよろしい」と答えるのを町って、恐る恐る、「ですが、伯爵、貴方のような大金持ちが今までパリーの銀行家に知れずにいたのは不思議ですよ。失礼ですが貴方の主な財源は鉱山ですか。海事ですか。それともーーーー」

 伯爵;「イヤ、相続したのです。奇妙な事情ですが、数百年間取り出すことが出来ない条件で、あるところに大金を貯蓄して有りましたが、利に利がが加わって、それが驚くべき額に達し、そうして私がそれを相続してからこの頃に至り、初めて使ってよい期限が来たのです。」

 段倉;「なるほど、数百年も利を重ねれば驚くべきほど増加します。」
 伯爵;「イタリアから東の銀行は大抵私の金で営業しています。外に鉱山ではアフリカのダイヤモンドもあり、船や山林、領地なども多小はありますけれど、三百年来使う事を禁じてありましたので。私どもは僅かに数年前から使い始めたのです、そのためこの国の人には未だ多くは知られませんが、念のためなら、東方の何処かの銀行にお尋ねなさっても分かります。」

 勿論尋ねるまでも無い。東方第一流の諸銀行が無限の信用を保証しているのだから。何しろ段倉は、このような大金満家とこのまま別れるのを好まない。なるだけ懇意を深くして、この後の交流を容易ならしめたいのだから、一応事務の話が済むとともに、是非妻とも会っていただきたいと所望し、この事務室から庭続きにつながっている住居に案内し、妻の部屋へ誘った。

 そもそも段倉の妻と言うのは、有名な旧家の令嬢で十七歳の年、一度糊菅(のりすが)男爵という方の妻と成ったが、満一年ほどにしてその人に死に別れ、しばらく未亡人となっているうち、あたかも先妻を失った段倉との間に縁談のことが熟し、双方ともに二度目の結婚として式を挙げたのである。これだけのことは段倉が自分の妻の血筋を誇るために案内する廊下の途中で、問わず語りに伯爵の耳に入れた。

 かくて、伯爵が段倉男爵令夫人の部屋に入ると、ここには巷(ちまた)で人の口端にこの夫人の情夫などと言われている内閣官房長出部嶺が、夫人に向かい、昨日会った巌窟島伯爵の金力勢力などを話しているところであった。勿論夫人は喜んで伯爵を迎えた。そうして夫段倉の口からこの伯爵が、少しの間に六百万円使う積もりで居られるという事など聞いて、一層愛想を深くし、及ぶ限り伯爵をもてなし始めたが、丁度ここへ一人の侍女が急いで来て、夫人の耳に二言三言ささやいた。

 夫人は非常に驚いた様子で、段倉に向かい、「本当でしょうか。ねえ、貴方」と聞いた。
 段倉;「本当とはナニが、」
 夫人;「今、侍女の言ったことが」
 段倉;「侍女が何を言った。」
 夫人;「アノ、私の栃色の一対が急に厩(うまや)に見えなくなったと言いますが。」

 段倉は客の前では言わせたくない問題に会ったように、「イヤそのことなら今言わなくても後で分かるよ。」押し伏せる口調で言った。けれど夫人は躍起となり、「それでは貴方が又どうかしたのですね。後で分かると言って、先刻あの馬に馬車を付けたまま蛭峰夫人に貸す約束をしてあります。後までは待たれません。今分からなければ。」

 伯爵は腹の中で笑っている。それに引き換え段倉は心中必死の苦しみで、「イヤ、あの栃色は二頭とも三歳で、そろいもそろった暴れ馬だ。女にはとても適当しないから今朝私が外に譲った。」夫人はほとんど目を逆立てて、「譲るなら何故私に相談しません。あのような美しい栃色が二度と手に入るものでは有りません。私は伯爵に裁判して頂きます。ねえ、巌窟島伯爵、お聞きください。」

 段倉は益々慌て「コレ、初めてお出での伯爵へ、その様な内輪の話を」とほとんど妻の口に手を当てないばかりである。その間に伯爵は出部嶺に向かい、「栃色といえば私も美しい栃色を得ましたが、とても夫人のにはかないますまいが。一応、出部嶺さん、見ていただきましょう。あちらの窓から見えるでしょうから。」と言って窓のところへ出部嶺を連れ去ったのは、人の内緒ごとに耳を傾けない作法ととして、最もよろしきを得た行動である。後に段倉は小声になり、「コレ、妻、実は今朝アノ馬で16万フラン儲けた。8万フランはそなたの小遣いにやるつもりでいるのだから何も腹を立てることは無い。」

 夫人は流石に貴族の血を受けた人である。「だから私は銀行家などは嫌いだと言うのです。金の力で妻の機嫌まで買えるように思っているから。」真に急所を付く言葉である。その僅かに終わるところへ出部嶺は驚き戻り、「夫人、夫人、真に奇縁というものですよ。先ずこっちに来て伯爵の馬を御覧なさい。」

 夫人は引かれて窓に行ったが、もとより見間違えるはずは無い。しかし、伯爵に対して、最早諦めないわけには行かない。「オヤ伯爵、アノ馬が貴方のお手に落ちたなら私は満足します。」と泣かないばかりの笑顔を作った。後でこの笑顔は必ず何倍かの渋面となって夫段倉に向かうに違いない。もし、伯爵が段倉の家内の平和をかき乱して彼の幸福を奪う目的でもあるならば、すでにその目的の達する糸口を開いたものと言って良い。

 しかし、この場合は何ごとも無く済んで、およそ一時間ほど後、伯爵は何時でもこの家に入りこみうる許しの客の一人と成って別れ去ったが、更に一時間を経て、夫人の元に伯爵から遣(つか)い物が来た。それは栃色の馬車馬一対、今朝夫が32万円に売ったのをそのままである。夫の気質と伯爵の心持とは実に雲泥の差と言わなければならない。夫人は転げるほど喜んで、直ぐにその馬を調べたが、馬の額の飾り物は値にして馬の何倍もする二個一対のダイヤモンドが入っている。

 「なるほど、この伯爵は少しの間に六百万円使う方ですよ。貴方はこの伯爵にいやしまれたら大変ですよ。」と厳重に夫に言い渡した。

第百二十四終わり
次(百二十五)

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