巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu132

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 4.26

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百三十二、「柳田卿とは誰」

 この財布とこのダイヤモンドが、昔のままに保存されしかもこのように応接間の棚の上に大事に置かれていることとは、伯爵の思もっても居なかったところであろう。伯爵は我知らず目を光らせ、「オオ、あれは」と叫びかけたが、たちまち気が付いて言葉を転じ、「中々立派なダイヤモンドですねえ」と言い紛らわせた。

 けれど、江馬夫人はこの言葉を聞き流さない。直ぐにその尾につき、「余り見たことの無い置物ですのでどなたも怪しみますけれど、私共は朝夕この置物を拝まないばかりにしています。先日から夫仁吉と共々に、貴方へお目にかかりたいと申していますのも、矢張りこの置き物に関係が有る事柄です。」と言ううちに仁吉が来た。そうして伯爵に一通りの挨拶も済んだ上で、夫婦言葉を添揃えて、この置物の由来から森江一家が冨村銀行の書記と称する英国人らしい旅商人から救われた非常に不思議な顛末(てんまつ)《一部始終》を残らず述べた。

 伯爵は聞くに従い、世にここまで深く恩に感じる正直な人もあるものかと非常に感心して、ほとんど夢中の状態となり、時々は眼の底に涙を輝かすまでに至ったが、やがて夫人が又後をついで、「今から5年ほど前ですが、昔その巴丸に乗り込んでいた水夫の頭、奈良垣という者が確かにその人をギリシャの海岸で見たそうです。」というのに至り、伯爵は全く話に釣り込まれて、「ハテ、ギリシャの海岸で」

 夫人;「ハイ、その人が立派な遊山船(ゆさんぶね)《レジャー用豪華ヨット》に乗り込むところだったと申します。」伯爵は又我知らず、「アア、あの時ならーーーー」と口走った。直ぐにまた気が付いたけれど、既に遅い。夫人は早や聞きとがめて、「どうも先ほどから、貴方がその方を知っていらっしゃるに違いないと思いますが。」

 仁吉もそう思ったと見え、「私も貴方のご様子で矢張りそう思います。」
 真太郎も又語を添え、「伯爵、あなたはギリシャやイタリア辺のことは良くご存知で、特に遊山舟にでも乗るような人なら貴方のお知り合いで無い方は余り有るまいと思います。もし、何かその人らしくおもわれるお心当たりでもあれば、どうかお知らせを願います。」

 三方からこういわれては何とか弁解しないわけには行かない。  「イヤ、少しも心当たりは有りませんがーーー」
 夫人;「でも、今、あの時ならと仰ったお言葉では、」
 伯爵は万止むを得ない場合に陥った。「実は英国の柳田卿という人がその頃確かギリシャで遊山船を乗り回していましたから。」と答えた。

 「柳田卿とはどの様な方ですか。」「何処に居られます。」「その後どうなさったでしょう。」との問いが三方から出た。真に柳田卿とは何者だろう。確かに団友太郎が初めてモント・クリスト島からこの国に帰ったときなど柳田卿という人の名前を使い、船籍の登録やその他の公の書類などを作った事があった。

 伯爵;「イヤ、どの様な人かと、人に問われるのをひどく嫌う人で、常に誰にも隠れるようにしていますので、訪ねる見当も私には付きませんが、もしその人がその恩人なら、必ず何か森江家に、そうするだけの義務があったのでしょう。」
 真太郎;「いいえ、その時は森江家が、今妹が申しましたとおり衰微の極点で、少しでも義務のある人には全てその義務を果たさせた後ですから、その様な人のあるはずはありません。」

 伯爵;「でも、その人が若し貴方がたから恩を返してもらう気があるなら、今までに現れて来るはずです。多分その人は自分のしなければならないだけのことをしたので、恩を掛けたとは思わずに居るのでしょう。たとえ、恩としたところで若し貴方がたがこのようにまで有り難たがっていると知ったら、その人は必ず満足してその恩を返してもらうには及ばないと言うでしょう。調べたりせずに自然に任せて置くのが良いではありませんか。」

 夫人;「イイエ、調べずには居られません。父良造も死ぬ時までこの事を気に掛けて、これだけの大恩は到底返す事は出来ないけれど、せめてその人の名だけでも知り、孫子の末まで恩人として家に記憶を残さなければならないと言いました。」
 伯爵;「でも全く心当たりの無いことはどうしようもないでしょう。」
 夫人;「ハイ、それはそうですが、少しも心当たりの無い人が、その様な世間にも例のないほどの親切を尽くしてくれるはずも有りません。父も絶え間なく誰か彼かと考えて居りましたが、死に際には、アア確かに彼だ。彼がどうにかして牢の中から生まれ変わって出て来たのだ。彼より外にこの様な事をしてくれる者は無いと言いました。ねえ、兄さん」

 真太郎;「そうさ、そうして私が父の耳に口を寄せ、彼とは誰ですかと聞きましたら、その時はもう口も利けませんでしたが、しばらくして、「団―――友太郎―――」と呟いて息を引き取りました。これが父の最期の言葉でした。」
 伯爵;「オオ、父上が臨終に、団友太郎と言いましたか。」伯爵の目からはらはらと涙が出た。

第百三十二終わり
次(百三十三)

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