巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu137

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 5.1

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百三十七、「その片割れのH・N夫人」

 兎も角、伯爵はもう会うべきだけの人には会った。一応はこれ等の人を招いて小晩餐会でも開かなければ成らない。その積もりである日書記に招待状を作らせた。場所は彼のオーチウルの吹上小路、招かれる人は、段倉、蛭峰、野西の三家族である。これだけの事柄に何の不思議も無いけれど、いつも伯爵のする事には意味の底に又一つの意味が隠れている。これ等の人をエリシー街の別荘へ招くのは何かの訳が有りはしないか。

 彼の別荘は蛭峰の旧悪と離れない関係のあるところである。本名は分らないH・Nの字が姓名の頭にあっただろうと推察せられる或る男爵の未亡人と彼蛭峰との間に私生の児が出来たと思われるのはこの別荘ではないか。その児を蛭峰が埋めたけれど、実は人知れず掘り出されて育て上げられたことは春田路の自白で分っている。そこへ蛭峰が招かれるのは、偶然だろうか、天意だろうか。或いは伯爵の故意だろうか。

 もしや招かれる客の中に、蛭峰ばかりでなくその片割れのH・N夫人も加わっている様な事は無いだろうか。念のために夫人たちの名を調べて見ると、子爵野西次郎の妻露子、これは勿論その人では無い。男爵段倉喜平次の妻張子、これもそうでは、イヤ、待った。張子のHの字、そうして段倉に嫁ぐ前は何という男爵の未亡人であったか。そうそう苗字は糊菅(のりすが)、Nの字に当たるではないか。ただHと言い。Nと言う頭文字の姓名は世間に数え切れないほどあるだろうから、これだけの事ではことではどうとも判断は尽きないけれど、偶然としては、これも少し異様だというには足りるのだ。

 それはさて置き、招待状が出来上がったところに、フト野西武之助が訪ねて来た。彼は先夜鞆絵姫が劇場で気絶した見舞いの意をも兼ねて来たのだ。その辺の決まった挨拶が済んで、伯爵から招待の事を話され、彼は何時に無く頭を掻いて、「イヤ、折角ですが伯爵、この三家は吹上小路のような閑静なところに落ち合うと、時が時ですから丁度結婚についてそれとなくした相談するためのように見られるでは有りませんか」

 伯爵;「エ、結婚とは」
 武之助;「私しと段倉夕蝉嬢と、それにまた蛭峰の娘、これは先妻の子ですが、華子嬢というのも貴方がご存知の毛脛安雄と婚礼が近いと言います。何だか彼も近々ローマから帰る様子では有りますし、かたがた何だかーーー」
 伯爵;「結婚の下相談らしく見えたら貴方はなお更嬉しいはずですのに。」
 武之助;「何で嬉しい事がありましょう。私はこの結婚はなるべく破談にしたいと祈っているのです。先夜劇場に居ても私は一度も夕蝉嬢の方を振り向かない程でした。」

 伯爵;「何故です。あのような美人なのに」
 武;「美人ではありますが、私はあのような質の美人は嫌いです。音楽も出来、絵も上手に書き、馬にも乗り、猟にも行き、余り物事が良く出来すぎて、その上全く男のような気質ですから私とは肌が合いません。」
 伯;「それでもご両親は」
 武;「ハイ私の父は段倉と昔からの親しい知り合いだと言いまして、そのために父と父との間にこの話が出来たのですが、しかし母はこの上も無く段倉を嫌うのです。」

 武之助の母のことは、何の場合でも伯爵が心を動かさずには聞くことは出来ないところである。特に段倉を憎むという事は初めて聞くところで、もしや段倉が昔団友太郎を陥れたというような疑いの為に、今もそれとなく憎むのでは有るまいかと、妙に心が回って、

 「ヘイ、親しい家柄だと聞きますのに何で母御がその様に段倉氏を」
 武;「何で憎むか私には分りませんけれど、ズッと昔からの事ですよ。一年に二度や三年に三度くらいは、止むを得ず顔を合わせる場合は有りますけれど、それでも語を交えることは避けられるだけ避けているのです。貴方はその事を知らないから構いませんけれど、もし知って母と段倉とを一緒に招けば母は必ずその人を有り難くは思いません。
 
 大変な事を聞いたという様子で、
 伯;「イヤ、貴方のお母さんに恨まれては。」
 武;「ナニ恨みもしませんけれど。」
 伯;「いいえ、私には特に貴方のお母さんには、悪く思われたくないのです。どうか貴方とお母さんを招待状から外したいのですが、しかしこのパリで私が初めて着いた家がお宅ですから、それに招待を出さないのは何か訳がありそうに思われても。」

 武;「アア、好いことがあります。こうしましょう。母はこの頃健康が勝れないため、海辺に行きたいと言っていますから、直ぐに私が付いてトレボーの別荘に出発しましょう。ですが晩餐会は何時ですか。」
 伯;「来る明後日の土曜日です。」
 武;「アア、今日が木曜だから、直ぐに明朝立たなければなりませんね。よろしい、明朝なら立てますから。それで私は今日帰りに段倉家に行き、明朝母と海岸に旅立ちすると話して置きます。そうすれば段倉夫人が蛭峰家にも直ぐその事を知らせますから、私達親子が晩餐に列しないのを怪しみはしないのです。出発した後に貴方から招待状が届きますから。」

 もし列席しないのが武之助の母でなくて段倉夫人で有ろうものなら伯爵はこの晩餐会を廃するかも知れないところだけれど、幸いに段倉夫人ではないのだから、それではどうかその様な事に。」と同意した。
 武之助;「イヤ、母は貴方がこう同意して母と私とを逃してくださったと知ればどれ程喜んで貴方に感謝するか知れません。それでなくても母が貴方に敬服していることは一通りではないのですもの。」

 伯爵;「母上が私に」
 武之助;「ハイ、毎日のように貴方のことを私に聞くのです。今日は伯爵はどうなさった。明日は伯爵は何処でお目にかかるなどと」
 伯爵はどの様に感じたのか急に真面目になった。

 武之助;「それではどうか、今夜私共へお出でくださって、母と私と貴方と三人で晩餐しようでは有りませんか。母は非常に喜びますよ。今夜は何もご用事などは。」
 伯爵;「イヤ私も折角ですが今夜は大切な来客が有りますので。」
 武;「でも貴方は先だっても母が晩餐までとお引き留め申したのを、そうは出来ないと言い、そうして今夜も又では、何だか私の母をお避けなさるようで」

 伯爵;「全くです。今夜は先約が有るのです。お疑いのない様に私は説明しましょう。」
 言って直ぐに玄関番をを呼び寄せ、
 「今夜私がお前に言い渡したことを覚えているか、ここで繰り返してみよ。」と命じた。
 玄関番;「今夜六時にイタリアの侯爵皮春博人君とその子息小侯爵皮春永太郎君が来るからそのほかの客は一切断れと仰いました。」

 武之助は笑みを帯びて伯爵に感謝するように、「成るほど分かりました。」

第百三十七終わり
次(百三十八)

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