巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu143

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 5.7

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百四十三、「ソッと次の室(ま)」

 伯爵;「父上はひどくお喜びでは有りますけれど、ただ一つ心配なさるのは、もし貴方が、下様の者の手に育てられた為、十分な教育も受けず、貴族の息子として世間に示すに足らないような男となって居はしないかとのことです。一言で言えばもし貴方が無教育ではないだろうかと恐れるのです。」

 永太郎は躊躇もなく、「イヤ、その点ならご安心を願いたいのです。私を奪った奴が多分その頃から償金を取って父に私を売り返すつもりであったのでしょう。売り返すにはなるたけ私の身へ値打ちを付けて置かなければなりません。もしも父が見て、このような無教育に育った息子なら、とても大金を出しては買い戻すことが出来ないと、まあこういう様な事があっては大変ですから、世に居言う売り物には花を飾るのは鉄則でしょう。十分に私に教育を施しました。少なくても同年の青年には決して劣らないだけの学問を私は持っているつもりです。」

 中々理屈も上手く言う。しかもその理屈が、無根事へもっともらしく付会する理屈だから驚くべしだ。その上に弁も好く、言葉も中々綺麗である。
 伯爵;「イヤ、父上の気づかう教育と言うのは学問ばかりではなく、行儀作法などを言うのです。例えば社交場へ連れて出たところで、学問の深い浅いが直ぐに顔付きへ現れるものでは有りませんが、ただ行儀作法と言うものは直ぐに人前に現れるのです。一見してこの人はいかにも貴族の息子らしいとか、どうも下品に育ったらしいとか。」

 永太郎は少ししょげて、「それも自分の心さえ清ければ自然行儀作法にもかなうかと思います。たとえ人前に出たところで、笑われるような振舞いは少しも無く、多分、さすがは皮春侯爵の息子だと褒められるつもりですけれど。何しろパリーの社交場へは初めての事ですから、特別な作法、特別な礼式などは知らないところがあるかも知れません。しかし伯爵、私はただ自分の心の清いのを頼みとするのです。作法には疎くても心だけは正直ですと言うのがたった一つの申し訳です。」

 伯爵は我知らず、「よく言った。よく言った。」と褒めた。イヤ実は口先の上手いのに呆れてしまったのだ。やがて又、「イヤ、社交場へは私が後見人のようになり、好く案内をして上げます。」
 永太郎;「何分にもよろしくお願いします。ですが伯爵、父はきっと私の顔を覚えていて下さることでしょうねえ。」
 伯爵;「イヤ、五歳の時分かれたので、薄々覚えてはいるが、余ほどその後違ったことだろうから、会ったとしても分らないだろうと心配しておいででした。」

 永太郎は安心の色を隠して、「それは残念です。好く私の顔を覚えていて下さらなければ、愛に免じても多少の欠点は咎めずに見過ごしてくだされましょうに。」
 伯爵;「イヤ、顔は覚えていなくても、天然の血筋の感じは争えません。必ず双方の血管に、うれしさが鼓動しますから。」これは皮春侯爵となっている半老人の言った言葉を伯爵がそのまま用いたのだ。

 永太郎;「それはそうですけれど。」
 伯爵;「ナニ、父上は貴方の愛に溺れているようなものです。貴方がパリーに滞在中は毎月およそ千六百余円、一年に二万円(現在の約1億四千万円)の定額を、気ままに使える小遣いとして与えると仰います。」

 永太郎;「その様な事ができるでしょうか。」
 伯爵;「出来ますとも、一年に五十万ほどの所得がある家柄ですもの。もっともこれは柳田卿からの注意から出たことで、卿はもし父がけちなことを言うなら、私にそれだけの金を立て替えるようにしてくれと言い、担保まで入れてあります。」

 永太郎;「でもそれが一年も二年も続きましょうか。」
 伯爵;「そうですね。貴方が父上の財産を相続するまでは続きましょう。ただし、年々増えるかも知れません。貴方の年齢と共に年々境遇が進み、費用もかさむことはご承知です。何でも父上の考えでは貴方を十分パリー風に染まさせ、そうして金満家の令嬢と縁組をするまでに至らせたいというお積りのようです。それだから費用など惜しみません。」

 こんな有り難い話が又とあるだろうか。「伯爵、私は今夜直ぐに父に会うのだとは少しも思わずに来ましたけれど、どうか直ぐにお会わせ下さい。」彼の度胸はもはや十分定まったと見える。
 伯爵;「お会わせ申しますとも。実は父上は、永くこのパリーに滞在するつもりは無く、二、三週間で立ち去るお積りですから、なお更貴方に会うのを急いでおられるのです。」

 父が自分だけを残して早く立ち去るというのも有り難いことである。
 伯爵;「サア、この奥にある突き当たりの部屋にお出でなさい。実は私が連れて行って上がるつもりでしたが、親子水入らずの対面には他人が居ない方が好いだろうと、父上にそう申してあります。お二人で言いたいだけのことを言い、心も落ち着いた頃を計り私が行きますから。」
 これもまた有り難い。何から何まで、真に有り難いことの鈴なりである。

 永太郎は真に父親にめぐり合うように、いそいそと立って奥の部屋に行き、入り口の戸を開いて中に入った。そもそもどの様な対面だろう。伯爵も怪しんで、見届けたいと見え、前からその次の間に覗くところを作ってある。親子はそうとは知らないだろうが、いう事も成す事も、すべて伯爵に見て取られるのだ。永太郎が入ると共に伯爵もそっと次の間の入った。

第百四十三終わり
次(百四十四)

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