巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百四十五、「被害者の資格」

 父の侯爵が差し出す書類を息子の小侯爵は受け取った。授受ともにもっともらしくははあるけれど、既に両人の心には一種の疑いが芽生えている。自分が本物で無いだけでなく、どうも相手も本物ではないらしい。こう思うと益々もって不審で仕方が無い。

 自分が本物でない事は怪しむには足らないが、何故相手が本物でないのだろう。本物でない同士がどうして親子と名乗りあい、どうしてこう親子の対面の様な事をする成り行きになったのだろう。誰か外に、何かの目的を持ってこのようなことをさせる人が有るに違い無い。詐欺師だろうか。策士だろうか。自分に少しもその辺の心当たりが無いけれど、或いは相手はその辺の事情を知っているだろうか。

 このように疑って、永太郎は恭(うやうや)しく書類を受け取りながらも、ジット父侯爵と称する人の顔を見た。侯爵の方も同じく息子永太郎と称する青年の顔を見た。このように見合った眼の中に、双方とも自分は贋物と言う自白を含んでいた。互いにそれとはなく納得し合った。

 しかし、永太郎はやがて書類を開いた。そうして中にある結婚の登記の写しや、皮春家財産の目録などを読んだ。これを本物と思えば非常に心が動くけれど、嘘と思っては有り難くも何んとも無い。彼は見終わって、「全く正式らしく出来ている。」侯爵;「正式とも、全て公証役場や寺院などで移させたものですもの。」
 
 永太郎は嘲るような笑みをを帯びて、たちまちイタリア語を使い、「ですが侯爵、イタリアには懲役などと言うことは無いと見えますね。」奇怪千万な問いである。侯爵は理解が出来ない。しかしなお、侯爵を気取ったままで「何をいうのだ。息子よ」
 永太郎;「なあに、もし懲役という事がある国なら、この貴方の肩書きに重懲役三度とか軽懲役五度とかはっきりと書いてなければなりません。」

 侯爵は少し怒った。怒りの中には幾らかの恐れもこもっている。その証拠には彼も直ぐにイタリア語となり、「けしからんことを言う。」
 永太郎;「けしからんでは無い。私の眼力には敬服でしょう。懲役の味を知らない人間が、侯爵でもないのに侯爵、父でもないのに父などと、そのような役が勤まりますか。」

 星を指すような言葉である。侯爵は目を見開いたまましばらくは返すことばも出なかったが、どちらにしても自分一人贋物に落とされるべき場合では無い。たちまち声を鋭くして、「その様な事を言えばお前だって」本物でない事が良く俺には分っているという意味がこの一語にこもっている。

 永太郎は直ぐ打ち解けて、「だからさ、お互いに何もかも打ち明けて、良く相談しながら駆け引きしないと、贋物同士で上手く遣り通せるはずが無いから。」さては互いに仮面を脱いで、連合しようと主張するのである。こうなると悪人同士は悟りも早い。
 侯爵;「それはそうだ。いかにも打ち合わせをして駆け引きをしなければ。」早や根本の約束だけは成り立ったようなものである。実に呆れた返事である。

 永太郎;「何処かに大きな詐欺師が居てお互いを玉に使ったのだぜ。」早やことばも下卑て来た。
 侯爵;「それは勿論さ」
 永太郎;「しかし、その詐欺師の事情や目的がはっきり読めるまでは、お互いに神妙に親子の役を勤め、侯爵、小侯爵で立派に押し通して行く以外は無い。」

 どうしても悪人の間では、智慧の毛ほどでも勝った奴が直ぐに頭の地位を占める。侯爵の方は早や自然に、息子を先頭の地位に押し立てたらしい。「それも勿論だ。俺は玉に使われても何でも好い。この地位を失っては成らない。何も自分が財産を欺き取られる被害者ではないのだから。」

 永太郎は又あざ笑った。「ヘン、被害者、誰もお前に、被害者の資格があるとは思いもしないよ。幾ら詐欺にかかったって害されようの無い身の上じゃないか。」
 侯爵;「お互いにさ。」
 永太郎;「そうさ、詐欺にかかれば、かかっている間だけでも得が有るのだ。その様な事よりは先ず、二人がここに来ることになった経緯(いきさつ)を比べて見ようではないか。互いにその経緯を明かしあえば又納得の行くところがあるかも知れ無い。」

 侯爵;「そうだ、そうだ。」と又永太郎に賛成した。そうして二人は、直ぐそれぞれがここに来ることになった経緯を語り合った。一人は暮内法師の手紙の為、一人は船乗り新八の手紙の為だ。事情だけではなく文句まで似ている。けれど、それ以上のことは少しも分らない。

 永太郎;「はてな、詐欺師が誰で、誰がその詐欺にかかるのだろう。」
 侯爵;「かかるのはこの家の主人よ。」
 永太郎;「イヤ、そうらしくも無い。」
 侯爵;「ナニ、そうだよ。既に伯爵は一万円からの損をしているぜ。」
 永太郎;「エ、一万円とは」
 侯爵;「これここにさ、この金を俺にくれたよ。」
と言って自分のポケットを叩いて示した。

 それでは必ず俺にも同じほどの金額をくれる時があるだろうと思うから永太郎はあえてその金を山分けになどとは言わない。言わないだけ彼は奥深いところも有る。彼はまたしばらく考えた末、「兎に角我々は玉に使われながら上手い事をする以外は無い。

 詐欺師が誰か、誰が詐欺されるのかあんまりその様な事を疑いすぎて、かえってそれがために、玉にさえも使うことが出来ない奴らだと思われては大変だから、なんでも当分の間は、目をつむって指示される通りにしようではないか。

 侯爵;「そうしよう。」
 永;「あくまでもお前が父侯爵、そうして私が息子小侯爵の積もりで。」
 侯爵;「それが好い」
 永太郎;「そのうちには自然と分かるときが来るだろう。」

 相談のまとまったところへ、彼方から足音が聞こえて、巌窟島(いわやじま)伯爵が入って来た。二人は足音を聞くと共にあわただしく、侯爵、小侯爵の役目に返り、全く十数年目に再会した父と子が、互いに離れ難いように、抱き合って涙にくれていた。もう打ち合わせが整った為、芝居に気が乗ってきて芝居とは見えないほど上手くなった。

巌窟王 巻の二終わり

第百四十五終わり
次(百四十六)

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