巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu151

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 5.14

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百五十一、「愈(いよい)よ土曜日」

 いよいよ土曜日の夕、晩餐会の時は来た。場所は様々な因縁のある吹上小路二十八番邸、アアこの会を真に巌窟島伯爵の大仕事の序曲だとすれば、どの様に始まってどの様に終わるのだろう。
 昔アンチン公爵は国王ルイ十四世の目障(ざわ)りになるという理由で一夜のうちに大木林を切り倒し芝生の庭に作り変えてしまったと言う話がある。

 古来土木の工事でこれほど早く行った仕事は無い。しかし、伯爵がこの二十八番邸に手入れを加えた早やさもほとんどそれに匹敵する。門口から玄関から庭木から部屋々々の造作までただ三日ばかりの間に取り替えて、誰が見ても、今までの二十八番邸とは認めることが出来ないほどにした。書斎も出来た。盆栽室も出来た。玉突き場も出来た。

 凡そ贅沢な紳士の別荘として一点の非難を加えるところが無い。しかしただ二箇所だけ少しも手を着けないところがある。それは昔H.N男爵夫人という素性の知れない未亡人が寝室としていた一室から裏庭に降りられる階段までの全体と蛭峰の手で私生児を埋めたと言う裏庭のその部分とである。

 イヤ実はこの二箇所へも手は着けた。着けたけれども少しも変更を加えないのだ。昔緋(ひ)の垂れ幕が掛かって居た所に、その通りの緋の垂れ幕を掛け、昔芝草の茂って居た所にその通りの芝草を植えるなど、もし昔この寝室とこの庭とを知っていた人が今この所に来たならば、その頃のことを思い出さずにはいられないようにこしらえたのだ。

 ついでに記して置くが、これ等の仕事一切を任せられて監督したのは家扶の春田路良助である。彼は伯爵から渡された明細の指図書をもって三日前にここへ来た。それだからこの前々日に侯爵皮春博人と小侯爵皮春永太郎とがエリシー街の伯爵の本邸で父子の対面を遂げた時も彼は伯爵の元には居なかった。今もって彼の父子のことを知らない。そればかりか顔さえ見た事が無いのだ。

 それからこの別邸に来て以来、伯爵の指図書と首っ引きをするようにして綿密に監督し、とうとう予定の時間通りに予定の仕事を仕上げて、その他晩餐についての一切の準備をも調(あつら)え終わって、そうして伯爵のお出でを待っていた。

 午後の五時半に伯爵がここに来た。そうして彼を従えて一切の準備を見て回った。実に彼の伯爵に対する態度は犬が飼い主に対するよりもまだ忠実である。伯爵の見回る間、もしや、ここが悪いとか、かしこがいけないとか小言を言われはしないかと、真に戦々競々の様子であった。やがて全体を見終わって伯爵が「アア、良く出来た。」と下した一語に彼は初めて重荷を取り下ろされたように、ほっと安心の息をついた。

 六時近くになると玄関に荒々しい馬の足音が聞こえた。伯爵は直ぐに出迎えてみると来客の一人森江大尉である。大尉は打ち解けた言葉で、「伯爵、先日貴方に戴いたこの馬は天下の逸物ですよ。ここに来る道で、一時間に六マイル走ると言う段倉男爵夫婦の馬車を追い抜き、続いて官房長出部嶺の馬をも追い抜きました。出部嶺は総理大臣が急使に用いると言う名馬を借りていますけれど、この馬のような軽走《ダク足》は出ないのです。」と満面に嬉しさを一杯にした。

 そもそもこの馬についても一場の奇談がある。余事ながらこれもついでにここに記して置くが、この時より一週間ほど前に催された競馬クラブの秋季競争に誰の持ち馬とも知れない馬が出た。出走表には「鬼小僧」と言う名前が付いていたけれど、何処の牧場で産し、どの様な快走力を持っているかはパリー中の博労(ばくろう)にさえ一人も知るものが居ない。

 見物は勿論、審判者までも怪しんでいるうち、いよいよ出場となると、十六,七の男装した女ではないかと疑われる華奢な乗り手がこれに乗り、名高い駿馬のみの一列を追い抜いて、金杯を初めとして、当日第一等の名誉ある大賞品を独占した。満場の驚きは言うまでもなかったが、見物の中に一人、もっとも尊敬せられる、某貴婦人が居て、深くひいきの心を起され、特に「鬼小僧」の乗り手に会いたいと所望なされた。けれど、乗り手は馬と共にかき消すが如く姿を隠し、更に訪ねる方法も無かった。

 ところがその夜、その貴婦人が屋敷に帰られてみると、かの馬が得た金杯が呈上品としてその元に届いていた。実に理解が出来ない、そうして面白い事柄なので、その後この話が上流社会の一佳話として口から口へと伝わった。けれど、翌日になると大抵の人がこの事を目下名高い巌窟島伯爵の悪戯だろうと言いはやすことになった。伯爵でなくて誰がこのような名馬を持ち、得た賞牌を惜しげもなく人に与えなどするものか。

 特に一人、確かに伯爵の仕業と見破ることが出来た者がある。それは外でもないあの野西武々助なのだ。彼は初めて鬼小僧の名を聞いた時、たちまちローマの山賊を思い出し伯爵の馬と気付き、そうして更に華奢な乗り手の顔を見て、自分がカーニバルの終後の夜に美人と思って馬車に同乗し、胸の辺りにピストルを指し付けられたその少年である事を知ったのだ。

 この一条の事件の為にも、伯爵の名は高くなったのは勿論であるが、更に本当のことを言えば、この武之助の推量さえも、まだ事実を尽くしては居ない。実は巌窟島伯爵が自分の大仕事の補助の為に俊足の馬数等を要するので、前から鬼小僧に馬の斡旋(あっせん)を命じてある。即ちこの馬も彼が伯爵に使い物として寄越したのだが、丁度競馬の前日にこのパリーに着いたので、彼は幸いにもその俊足なことを事実の上に証明して伯爵のお目に留まらせようと思い、仮に「鬼小僧」と名をつけて競馬に出したのだ。

 伯爵自身はその時まで知らなかったのだ。しかしこのようにして得たものを喜んで我が物としては、鬼小僧の出過ぎた振る舞いを奨励するようにも当たるから、金杯はこの馬の勝利を喜ばれた貴婦人に贈り、馬は前から俊足の得がたいことを嘆いている森江大尉にやってしまった。

 それはさて置き、森江の嬉しそうに言うことを聞き伯爵は、「フム、それでは出部嶺や段倉夫婦も程なく来ますね。だが蛭峰氏には会いませんでしたか。」と問い返した。

第百五十一 終わり
次(百五十二)

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