巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu157

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 5.20

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)

史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百五十七、「乞食」

 何か蛭峰は、巌窟島伯爵のなすことに付いて思い当たった事でもあるに違い無い。そうでなければこの伯爵を「大変もの」というはずが無く、又段倉夫人に司法省の官房に来てくださいと頼むはずも無い。彼が何に思い当たったのかは知らない。そうして段倉夫人に密会して何事を相談するつもりなのだろう。

 兎に角、彼はこれから全く無言の人となった。この席が終わるまで多くは人の陰に身を置き、何気なく見せかけながらも深く物思いに沈んでいた。そのうちに夜も次第に更け、一同の歓はまだ尽きたというのではないけれど、散会の時間となった。彼は自分の妻、及び段倉夫人と三人で自分の馬車に乗り、段倉は皮春侯爵と同乗した。そのほかの人たちはめいめい乗って来た馬に乗り、皮春栄太郎はは父と共に乗って来た馬車にただ一人乗った。

 勿論いずれも無事に帰り着いたのに決まっているが、一人皮春永太郎だけはそれほど無事でもなかった。彼は宴会の間、なるべく注意して口数を利かず、たまたま利けば必ず人に感心されるようなことだけを言っていたため、客一同から多少の尊敬を得て、成るほど侯爵の息子ぞと思われるまでになった。

 その上又、凡そ社交の有様や人々の気質なども分り、もしこの次にこのような席にでも出れば、一層巧みに駆け引きが出来るとの思案もほぼ胸の内に定まったから、大いに満足してこの邸を悠々と歩み出て、馬車を自分の後に従えて、百メートルほども歩いたのは最早馬車にも乗り飽きたという人のように見えた。

 やがて一つの曲がり角まで来て馬車に乗ろうとすると、誰やら後ろから肩をたたいた者がある。振り向いてみると馬車の灯火にちらりと光るその者の顔と姿が確かに乞食らしく見えた。彼は気にも留めないようでそのまま乗ってしまったが、乞食は追いすがるようにして、「これ弁太郎、弁太郎」と呼びかけた。弁太郎とは誰も知らない本名なのに、そもそもこの乞食は何者だろう。

 小侯爵は馬車の隅に小さくなったが、早くも御者が聞きとがめ、「ナニ、俺の名前は弁太郎という者ではないわ。コレ、乞食のくせにこの夜更けにマゴマゴしていると巡査に捕まって窃盗の罪に落とされるぞ。」

 乞食は灯(あ)かりの前に自分の汚い顔を突き出し、あたかも馬車の中の弁太郎にこの顔を見ろと言う様に仕向けながら、御者に向かい、「お前さんの姿が私の知っている弁太郎と言う御者によく似ていたから呼んだのだがーーー、」と上手くごまかし、更に、「ナニ、私は乗っている旦那に用事があるのだよ、ねえ旦那、この様な風体をしているが、乞食では無い。今から二週間前にこの旦那から少し探し物を頼まれ、その結果を報告したいのだよ。旦那、旦那、今夜私の報告をお聞きなさらずとも好いのですか。エ、旦那、それ共明日お宿に伺いましょうか。」

 妙に事情を作って言うのは一通りの相手では無い。今夜ここで追い払いば仇を返すぞとの意が、御者には分らないけれど、小侯爵には良く分かる。小侯爵はやむを得ず調子を合わせて、「オオ、お前だったのか。幾ら私立探偵会社の役員にもせよ、乞食の風をして俺の馬車に近づかれては、困るではないか。報告なら今夜聞こう。」と言い、ひらりと馬車から降りたのは、仕方なくてのこととは言え、この方も中々の機転である。

 そうして乞食を暗い道端まで連れて行き、小声ながらも少し腹立たしい調子で、「俺に何の用事がある。」
 乞食;「用事の内容はゆるゆる話すが、先ず俺を一緒に馬車に乗せてくれ。今御者の言った通りこの様な汚い姿ではマゴマゴしていては、巡査に捕まる恐れが有る。パリの市中まで行って降ろしてもらおう。乞食らしくなく横柄である。小公爵は無言でポケット探し始めた。

 乞食;「ナニ、話が済まないうちに小遣い銭を貰おうとは言わない。お前が馬車に乗れば俺だって馬車に乗りたいではないか。同じツーロンの牢の中で、一緒に臭い飯を食っていたのだもの。こうなってはどうしても出世している方が弱味だ。小公爵は又仕方なく馬車に帰り、御者に然るべき口実を設けて不相応な小遣い銭を与え、酒でも飲んで他の乗り合い馬車にでも乗って帰れと言い、その喜んで立ち去る様子を見届けたうえで、、更にかの乞食にと共に今の馬車に乗った。

 乞食は勝ち誇るような語調で、「おお。流石に弁太郎だよ。幼い時には俺を叔父さん、叔父さんと呼んだことも有るーーー」
 小侯爵;「誰がお前を叔父さんなどと言うものか。」
 乞食;「その様な事はどうでも好いわ、まあ、争うまい。エ、弁、少しの間に大層出世したな。お前が出世すれば俺もお陰で楽が出来るようなものだから。ナニ俺はお前の出世を妨げようとは言わないよ。コレ、弁、弁、何でそのように怖い顔をする。お前この毛太郎次が、お前に嫌がられるような悪人ではない事はよく知っているではないか。」

 さては、この乞食が昔の尾長屋の主人である。

第百五十七 終わり
次(百五十八)

a:510 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花