巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu169

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 6.2

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百六十九、「その記念が鮮やかです」

 果たして蛭峰は伯爵んの素性を見破る事になるのだろうか。もし見破ってこの人が実は昔の団友太郎で有ると知れば、それこそ伯爵の身にとって、伯爵の計画にとって、好ましくない大事である。蛭峰が丁度伯爵に匹敵するほどの恐るべき男であることは今までの履歴からも分かっている。一度こうと思い詰めては、どの様な事をしてでも通さずには置かない。どれ程陰険奸悪な手段でも躊躇はしない。これを思うと伯爵は本当に厄介な敵を持ったものだ。この男に仇を返そうなどと、危険な大望を思い立ったものだ。

 蛭峰自身はもう確信している。どうしても伯爵はこの身に深い恨みを抱く人に違いないと。そうして又その素性も遠からず分かるに違いないと。
 その分かる手段の第一は警視庁に探偵せしめる事だ。第二は自分で探偵する事にある。第三は今までの自分の扱った事件の書類をことごとく取り調べる事だ。

 この三手段をば、いずれが重い、いずれが軽いともせずに、彼は同じように平均に力を入れている。しかし、その実伯爵の身にとって最も恐ろしいのは第三の手段に有るのだ。蛭峰が自分の履歴を繰り返して古い書類を調べれば、団友太郎の名は余り遠くも無いうちに出てくるはずだ。

 実際彼は書類を大方取り揃えてしまった。愈々これから取り調べるという一段になって、丁度柳田卿というのに面会する道が開けたから、書類はそのまま畳んで置いて、自分が又も警視庁の特務巡査に化け、サン・ジョルジのホンテン街5番地と分った卿の寓居へ、夜の十時ころ訪ねて行った。

 そもそもこの卿は何者だろう。今までにすでに読者の見た通りその名前は船乗り新八や暮内法師などの名と共にしばしば伯爵の口から出て伯爵に利用されている。実際英国の貴族名鑑には幾らもある名前だ。柳田一家はその一族がいくつかに別れていて、政治家もあれば、実業家もあり、地主もあり、中にはインドへ渡ったのも、豪州に移住したのも、旅行家も奇癖家も沢山有る。

 そのうちのどれだかは知らないけれど、この柳田卿は十年ほど前からいつも贅沢な遊山船《レジャー用豪華ヨット》に乗って、フランスの港などへは度々来る。そうして件のホンテン街5番地を仮寓として買い入れたのは七、八年も前のことで。

 その後はパリーへ来る度に大抵はここに立ち寄る様子である。今蛭峰が警視庁の報告によって知っているところで見ると、この卿は非常に傲慢な我がままな人で、特に英国のことと言えば理を否に曲げても弁護してフランスの事柄は憎む事がはなはだしい。

 その一例を挙げれば、人に対して決してフランスの言葉を使わない。この言葉を使うと、唾が粘って口が臭くなると罵(ののし)っているけれど、その実この言葉を知らなければ不自由だから来る度に内々で教師を雇い稽古しているばかりでなく、人がフランス語で悪口でも言うと直ぐにその意味を理解して、事に託して決闘を吹きかけるという事である。中々危険な相手だから蛭峰はブルドックにでも近づくように充分用心してその家のドアを叩いた。

 直ちに応接室に通されたが、部屋一面にランプの光がほとんど昼のように輝いている。彼は又も芽が悪いという口実で、ランプの芯を小さくしてもらった。そうして例の青い眼鏡を取り出しているところに、通常の人よりは少し背が高く見える主人の卿が、英国風に反り返って入って来た。服が全て金ボタンであるところなど、いよいよもって英国流だ。

 卿はまず部屋中見回して眉を顰(ひそ)め。「イヤ、この部屋の暗いことは、エエ、フランスの給仕は主人の油まで倹約するから、ソレだから気に食わない。」と勿論英語で傍若無人に呟いた。蛭峰も英語で、「イヤ、これは私が目の性が悪い為、特に暗くしていただいたのです。」と言いながら眼鏡をかけてしまった。自分で姿を変えるのが上手くないと知っているとこれだけの弱味が有る。

 卿は嘲るように、「オオそうでした、じゃソレは失礼。ナニ英人の目にはそのような眼病は無いものですから、」と自慢八分に言い訳して更に、「何の御用か分りませんが、この部屋でフランス語を使うのは初めからお断りして置きますよ。」
 その発音は英人の外には決して口に出ない口調である。
 
 蛭峰;「致し方有りません。ふつつかながら英語で話しましょう。」
 卿は大いに満足の様子で、「イヤ、貴方は感心に英語が巧みだ。全く我々英人の口調です。これならば私も何事をでも隔てなく申しましょう。
 蛭峰;「ハイ有難う存じます。実は今夕うかがいましたのは、前からお知り合いと聞く巌窟島伯爵のことを聞きたいと思いまして。」

 卿は又眉を顰めた。「エ、巌窟島伯爵の事、―――イヤそれでは御免こうむります。私は彼奴と、いいえ、かの伯爵と終天の敵ですから、私の言うことは決して公平では有りません。」
 蛭峰はかえって感心した。大抵の人ならば、自分の敵の事だから、警視庁から聞かれたら得たり賢しと悪し様に言い立てるところなのに、流石は卑怯な事を嫌う英国の貴族である。

 「いいえ、貴方がご自分で公平でないとお気づきならばかえってそれだけ公平になるわけですから、うやうやしく聞き取ります。」卿は中々快活である。「でも私と彼との間は、公平に感ずる事の出来ない成り行きになって居るのです。既往七年の間に三度決闘したほどですもの。」三度の決闘とは暮内法師も噂した。

 蛭峰;「どういうわけでソウたびたび決闘を」
 卿;「ハイ彼が英国に居るときに私の親友の妻に無礼を加えたのが起こりです。」
 親友の妻と言うのは自分の妻の事だろう。ソウでなければそう執念深く三度まで戦いはしないと蛭峰は利口そうに察した。「それで、その結果は」
 
 卿;「最初の一回は彼が勝ちました。私の胸に窓を開けました。次のは矢張り同じ事ですが私が負けました。肩先を切られたのです。三度目のは一昨年の事でその記念がまだ鮮やかです。これはこの通りだ。」と言い袖口をたくし上げて左の手の腕を示した。腕にはうす暗い灯火(あかり)にも歴々と赤い深い傷のあとが残っている。

 蛭峰;「オオこれは大変なお怪我ですねえ。」
 卿;「ハイ、三度とも負かされて黙って居られましょうか。近じか四度目の決闘を申し込むつもりです。今日も私はグリセル先生の道場で三時間稽古して来ました、今度こそ彼に止(とど)めを刺してくれます。」蛭峰は真実に腹の中で、この人が止めを刺してくれるのを祈った。

 「ご最もです。」
 「所が彼、実に卑怯では有りませんか。私がしきりに撃剣の稽古をしているのを聞き、今度はかなわないと臆したと見え、オーチウルの隅のほうの別荘を買い、この頃ではその中に潜んでいる様子です。」
 成るほどこの人は我がままと独断とに過ぎて、事の上っ面しか知ること出来ないのかと、蛭峰は少し失望の思いもしたが、しかしこの様な気質ならば、知っているだけは少しも隠さずに言うだろうと又自分で気を取り直した

第百六十九 終わり
次(百七十)

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