巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu178

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 6.11

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百七十八回、『蛭峰家』(五)

 蛭峰の後に付いて庭に出たこの紳士が果たして毛脛安雄だろうか。木の陰から息を凝(こ)らして窺(うかが)っている大尉森江真太郎は絶対に彼だと思ったのだけれど、しばらくしてこの両人が、窓から射す明かりの前を通ったとき、両人の顔がはっきりと森江の目に映った。違う、違う、毛脛安雄では無い。

 安雄の顔を見たことは無いけれど、この一紳士の顔は何度か見たことがある。即ち有名な医師有国先生なのだ。何のために有国先生がこの夜半に蛭峰と共に庭の表に出たのだろう。秋も早や寒い頃だから、決して涼みや散歩では無いと、森江が不思議がる暇もなく、有国医師は小声で蛭峰に向かって言った。

 「今夜死のうとは、昨日まで思いませんでした。」さてはこの家に死んだ人が有るのだ。もしや華子嬢ではないだろうかと、森江は胸を轟かせた。
 蛭峰;「私も意外ですが、しかし米良田夫人は取る年ですから。」
 成るほど、華子ではない。米良田夫人が死んだのだ。有国医師は聞きとがめるように、「イイエ、蛭峰さん、米良田夫人は決して取る年のために死んだのでは無いのですよ。それだから私が特に貴方へ秘密のお話があると言い、この庭に出て頂いたのです。」

 何だか重大な事件らしい口ぶりである。」
 蛭峰;「エ、取る年のためではないと言えば何だか変死のようにも聞こえますが。」
 医師;「そうです。変死の疑いが有るのです。」
 蛭峰;「これは怪しからん。寝床の中で死んだものを変死などとは。」
 医師;「ハイ、毒殺された疑いが有るのです。」

 蛭峰は飛び上がった様子である。「エ、エ、毒殺、毒殺」と彼は叫び、更に泣き出しそうな声で、「先生、先生、どうかそのような恐ろしい事を言わないで下さい。それでなくても私は近来不幸なことが続き、非常に急いで取り調べなければ成らない書類もありますのに、その調べさえ出来ません。それに加えて今夜は義理のある母が死に、どうしてまあこのように辛い事ばかり続くかと、恨めしいほどに思っていますのに、その母の死が変死とは、毒死とは」

 医師;「イヤ、お気の毒では有りますけれど、私の疑いだけはお耳に入れておかなければ成りません。」
 蛭峰;「単に貴方の疑いと言うだけの事ですか、確かに毒死というのではなく。」
 医師;「ハイ、確かに毒死と言いたいのですが、貴方が大検事という厳重な職務の方だけに、私は言い切ることが出来ません。貴方に言い切るには、裁判所の証人に呼び出されたのも同然ですから、宣誓するほどの心でなくては成りません。まさかこう誓うわけには行きませんけれど、米良田夫人の死に際の痙攣(けいれん)の有様が、どうも病気の為では無く、ブルシンと言う毒の為だと思います。」

 蛭峰;「では、病気で死ぬ人はアノように体が引きつりませんか。」
 医師;「強直症という病気で死んだのが丁度ブルシンの中毒と同じ痙攣です。それだから私は必ず毒殺だとは言い切れません。或いは強直症かもしれないという疑いが有るのです。けれど、昨日私が診察した時、強直症の兆候は少しも無く、かえって既に中毒の容体が見えましたから、それで貴方に聞いたのです。もしや野々内弾正の薬がこの家に紛れ込みはしないかと。」

 蛭峰;「ハイ、その時私は決して紛れ込まないとお答えしました。そうして弾正の薬にブルシンが入っているかと貴方に聞きました。」
 医師;「ハイ、入っています。これはどうか弾正に口や手足の自由を回復させたいと思い、数ヶ月前から少しづつ量を増して有りますから、ほとんど、六分ほどのブルシンが入っています。弾正は飲み慣れていますから、中々六分では死にませんけれど、初めての人が六分も飲めば必ず死にます。全体ブルシンと言う薬は奇妙な働きが有って、少しづつ飲み増して行けば段々多量に飲んでも中毒しないことになるのです。」

 しばらく考えた末、蛭峰は、「それでも弾正の薬が本家に紛れ込む様な事は、どう考えても有りま得ません。」
 医師も又考えた。そうして更に重々しく「そうすると蛭峰さん、全くこれは容易ならない事柄ですよ。今申しました通りブルシンを飲まされた死状は強直症の死状と同じことで、余ほど熟練した医師と言っても見分けるのを誤るほどの次第ですから、この毒薬を用いる者は、余ほど毒薬のことに詳しい恐るべき相手です。まさか素人の家にこの毒薬を用いるほど薬剤の理を研究した人が有ろうとは思われません。それなのに貴方の家にこの巧妙な毒薬の用い方を知っている人があるとすればーーー。」

 蛭峰;「何で私の家にそのような不届きな者が」
 医師;「イヤ、居なければ米良田夫人の死が更に理解が出来ないことになります。一体夫人に薬を飲ませた看護人はどなたです。」 蛭峰;「華子です。」
 医師;「夫人を殺して利益を受ける人はどなたです。」
 あたかも大検事が問う様な事をかえって大検事に問うている。それも無理は無い。この有国医師は医学の名誉が高い為今まで裁判所の証人、または鑑定人となったことが何度と無く数が知れないほど有る。自然にこの様な調査の心を持っているのだ。

 蛭峰は充分には理解できない様子で、「エ、利益を受ける人とは」
 医師;「米良田夫人の遺産を相続する人は。」
 蛭峰;「それは華子―――」と言いかけたが、自分で自分の声に驚いたように、「有国さん、余り恐ろしい言い分です。何で華子が」 有国医師;「そうです。華子さんがそのようなことの無いのは私も確信します。矢張りそれでは弾正の薬でしょうか。ともかく隠居所へ行って調べて見ましょう。」

 拒むに拒まれない。ほとんど蛭峰は引っ立てられるようにして、弾正の隠居所に行った。今までヤッと我慢して聞いていた森江大尉は、両人が立ち去ると共に直ぐ木の陰から忍び出てこの家の二階を見回した。二階には前から華子の部屋と聞く窓にまだ明かりが見えている。彼は自分の発見されるのも忘れた状態で、たった今蛭峰と医師とが出たその裏口から忍び入り、二階にある華子の部屋を目指して昇って行った。

第百七十八 終わり
次(百七十九)

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