巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 6.16

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百八十三回、『歌牌(かるた)が出来ました』

 「売国奴」世にこれほど恐ろしい言葉は無い。誰でも彼でも、一度この言葉を加えられれば直ぐに死んでしまうのだ。肉体の命は存在するけれど、名誉の命は死んでしまう。
 どの様な威名赫々(いめいかっかく)《輝かしい名声》の政治家でも売国奴と言われれば、その地位を保つことは出来ない。大軍人でも貴族でも、直ぐに社会からのけ者にされることになる。

 今この恐ろしい言葉が、何のため、また誰の仕業だか知らないけれど、新聞紙の上で子爵野西次郎に加えられたのだ。彼がこの汚名をすすぐ事が出来れば良いが、もし出来なければ政治的、社会的、社交的に死んでしまわなければならない。又はこの世に顔を出すことは出来なくなるのだ。

 男爵段倉がこの新聞を見て嬉しそうに呟(つぶや)いたのに引き換え、同じ朝の同じ時刻にこの新聞を見て怒髪逆立ち眦(まなじり)を裂くほどに立腹した人が有る。それは外でもない、このように売国奴と指摘された野西次郎その人の息子武之助である。彼はこの新聞の主筆記者猛田猛(たけだたけし)と親しい仲だけに毎朝どの新聞より先にこの新聞を読んでいる。目に立つほどの大記事ではないけれど、下のように書いてある。

 △ヤミナ州の通信(フランスの売国奴)  ギリシャに駐在する通信員より驚くべき一報を伝えて来たれり。少し旧聞には属するけれど、先にヤミナ州がトルコの兵を受けて戦い破れたのは、通常の敗北ではなかった。ヤミナの城中に一の売国奴がいたのだ。敵軍から大きな賄賂を得て、その城とその軍の機密をトルコ皇帝に売り渡した事から起こったものであると言う。これだけならば敢て今更事新しく報ずるのに足りないが、ここに慨嘆すべきなのは、その売国奴が悲しくも我がフランス人であるのに在る。

 初めヤミナ州が大敵トルコを引き受けて義戦するや、我がフランスの軍人は多くヤミナの義挙に感じ、はせ参じてヤミナ軍に加わった。この義侠を看板に掲げる軍人中に売国奴がいたとは誰が知るだろう。しかも売国奴はヤミナ城主の最も深く信頼した次郎という者だという。

 これを読み終わって武之助は、「余り失礼な事を書く」と打ち叫んだ。勿論単に「次郎」と有って野西子爵とは無いけれど、ヤミナ城主の最も深く信任したと言うだけでも自分の父だと分かる。まして「次郎」と言う名まで添えるからには誰でも子爵野西次郎と一目で見て取らずには置かない。

 「エエ、昨日まで親友として交じっている猛田猛が、その新聞にこの様な事を書こうとは思わなかった。彼と決闘してこの汚名をすすがなければ、この身は世間へ顔を出す事も出来ない。父上も、この家も、恥辱の底に沈んでしまい、又と浮ぶ瀬がなくなるのだ。」 彼は血気の満ち満ちている年頃だから、ただ腹立たしさの一念だけで他の考えは浮ばない。この様な汚名が果たして決闘ですすげるかどうかなどということは毛ほども彼の思う所では無い。直ぐに彼はその新聞をポケットに入れ、馬車に飛び乗って家を出た。

 そうしてひたすら走らせているうちに思い出した。決闘には介添人(かえぞえにん)が必要だ。先ずその人を決めた上で、その人から申し込まなければならない。介添人は誰にしよう。第一に彼の心に浮かんだのは巌窟島伯爵である。直ぐにエリシー街に有る伯爵の邸に馬車を向けた。この時は朝の八時前である。まだ伯爵が起きていないかもしれないとは思いながらも、その玄関に飛んで入ると伯爵は三十分前に外出したとの事である。

 この早朝にと、怪しんで更に聞き直すと、八時半には帰るからその時刻に朝飯の用意をしておけと言い残して出たことが分った。それでは八時過ぎに来れば会うことが出来るからとその時刻まで散歩しようと、馬車から降りてエリシー園の外を歩くうち、行くとも為しに射的上の前まで行った。いたずらに散歩するよりも、少しでも射的の稽古をして置けば決闘の準備になるかもしれないと思い、直ぐにその中に入って見ると、早や先客が一人いる。的に向かってピストルを手にしている。

 ピストルの朝稽古とは熱心な人も有るものだと静かにその後姿を見れば、巌窟島伯爵のようである。直ぐに声をかけようかと思ううちに又目に留まったのはその的である、的のところに丁度トランプほどの形に切った紙の札を十枚並べてあって伯爵はそのうちのどれかを狙っているようにも見える。

 何のために紙切れを的にするのかあまり不思議だから声を潜めてなおも後ろから見ていると、伯爵は第一発で左の端の紙切れの真ん中を射抜いた。その紙切れが丁度にトランプという歌牌(かるた)の一点のように見えることになった。次に二発、三発でその次の一枚に二点の穴が開いた。これも全くトランプの札のように見える。不思議にもその玉が当たったところがトランプの二点の印が付いてついているべき所である。次にまた三発撃って三番目の紙をトランプの札の三点のように射抜き、これで六発の玉が尽きた。こうして伯爵は余念もなく更にまた弾丸をこめている。

 もし偶然に命中したのでなければ、この伯爵こそは世界に唯一無二のピストル射撃の名人である。武之助は伯爵にこのような武芸があろうとは知らなかったから、本当に開いた口が塞(ふさ)がらないほど感心して、なおも立ったまま見ていると、伯爵は六発撃ち尽くしては弾丸を込め、また撃ってはまた込めなおし、とうとう十枚の紙札に順々にトランプの一から十までを射抜いてしまった。妙、神に入るとはこのことだろう。

 どの点もどの点も、ことごとく定規を当てて書いたように、正しい所に当たり、一分一厘も狂っていないように見える。武之助は思わず感嘆の声を発して「絶妙」と叫んだ。伯爵は初めてこちらを向いたが、何か悪事をでも見つけられたように、その青い顔を少し赤らめた。しかしこれはわずかな間だった。すぐに打ち笑って、「オヤ、つまらないいたずらを見つかりました。久しく武器を手にしていないからもし狙い方を忘れてはいないかと今朝は食事の前に試して見ましたが、子爵どうでしょう。あのトランプを調べて見て下さい。」

 武之助は直ぐに的の所に行き、射抜かれた紙札十枚を拾い上げ、「全くトランプが出来ました。伯爵、どのような決闘者でも貴方のピストルの前に立つ勇気はないでしょう。」と感嘆した。勿論、他日自分自身が伯爵のピストルの前に立つことがあろうとは思ってもいないのだ。

第百八十三 終わり
次(百八十四)

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