巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百九十回、『蛭峰家』(十)

 「然り、然り」と弾正は目を閉じて、確かに自分が毛脛安雄の父を殺したとの意味を明白に表した。安雄は全く椅子の上に尻餅を付いて、そうしてしばらくの間彼はただ目をしばたくばかりであったが、ようやくにして「分かりました。」と言い、又更に、「この始末書は私がいただいて帰ります。」と独り言のように言ってその書面を巻き収めた。

 彼のこの時の心持はどんなだったろう。ようやく縁談が調(ととの)って、ほとんどパリー第一とも言うほどの美人が我妻と事が定まる間際になって、その美人は我父を殺した人の孫娘と分かったのだ。知らないうちは兎も角、知ってどうしてこの縁談をまとめられよう。

 彼は土のような顔色のまま立ち上がり、「貴方のお陰で長年の疑問が解けました。」と言い捨て、よろめくようにしてこの部屋から立ち去った。彼に続いて蛭峰も妻も又立った。もし立たずにいたなら、或いは蛭峰はこの全身不随となっている父弾正の喉首をつかみつぶしたかもしれない。父のために大事な大事な政略的結婚が妨げられたのだから、この時彼は真実に我父を憎いと思った。

 そうして蛭峰は直ぐに応接間に帰ったけれど、毛脛安雄の姿は見えない。さてはと思い、玄関を覗(のぞ)いてみると、早や安雄が待たせておいた馬車に乗って立ち去るところである。いまさら追いかけて呼び返す口実といってもないのだから、仕方なく断念し、公証人には少し事情が有ってこの調印が延びたからと言い、ようやくその場をつくろって返したが、これから一時間と経たないうちに、安雄から手紙が来た。その筆跡の震えているところを見ても、彼の心がまだ鎮まっていないことが分かる。

 その文言は「改めて申し上げるまでもない事情のため、私と華子嬢の間に到底縁談のまとまらないのは最早ご承知のことと存じます。私は全身不随の老人を親の敵などといまさら恨むほどの執念深いものにはこれなく、せめて、今のうちにこのことが分かったことを双方の幸いとして、かえって老人に感謝いたしているところです。私と嬢との利害も名誉もまだ傷つかないうちなので、私はこれ限りで一切この縁談さえもあったことを忘れるため、再び外国の公使館に赴任(ふにん)いたします。告別までかくのごとくござ候、頓首。」とあった。まことにさっぱりっとした手切れの文句である。勿論こうなくてはならないはずだ。

 父の煩悶に引き換えて、全く重荷を下ろした思いをしたのは華子嬢である。嬢はその後で深く祖父弾正に謝し、「貴方がこの縁談を妨げて下さるとはおっしゃいましたけれど、ここまで手際よく妨げることが出来るとは思いませんでした。」と言い、何度か弾正の額に接吻した末、裏庭に忍び出て、いつものところで心配しながら待っている森江大尉に、いつもの通り垣根一重隔てて会い、兎も角、祖父弾正が約束を果たしてくれたから安心してとの意を伝えた。そうと聞いた森江の喜びは読者の推量に任せてよいだろう。

 嬢がこのように立ち去った後に又入って来たのは継母である蛭峰夫人である。弾正はその姿を見るより、眼に余り喜ばない色を示したが、夫人は何時になくひどく打ち解けた様子で、弾正の枕元に身を下ろし、「祖父(おじい)さん、華子と毛脛氏との縁談は全く破れてしまいましたので、いまさら私は何も申しませんが、ただ一つ私の口からでなければ申し上げることが出来ないお願いが有ります。」と何だか君の悪いような前置きを持って言い出した。

 弾正も何のことかと理解が出来ないらしい。ただ怪しそうに夫人の顔を眺めている。夫人は眺められるのを恐れもせずに、「ハイ、そのことは第一華子のため、第二には蛭峰家全体のためでありますけれど、華子の口からも蛭峰の口からも言うことが出来ません。私は華子には継母、蛭峰には妻ですからその義務を持って申します。どうか先日貴方が公証人にお作らせになった遺言状をお取り消しください。あの遺言状は華子と安雄との結婚にご不同意の旨を示すため、貴方の財産一切を他に寄付するようにお作りで有りましたけれど、もういよいよ華子と安雄の縁談が敗れてみれば、その必要はありませんから、どうか元通り華子を貴方の相続人として別に遺言状をお作りください。」

 ほとんど誠心を開いて頼んだ。日頃華子を目の敵のようにいじめているこの継母が、華子のためにこのようなことを頼むとは、何か深い理由があるためではないだろうか。まことに油断のならない事柄ではあるけれど、兎も角、弾正の思惑もこの通りであったのだから、弾正は直ぐに承知し、この翌日又も公証人を呼び、華子を自分の財産全体の相続人ということに新しい遺言状を作らせた。後に思うとこれが果たして波乱の元であった。華子にとって有り難い様で有り難くなかった。

第百九十 終わり
次(百九十一)

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