巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu195

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 6.28

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百九十五回、『曲者』(一)

 何者の密告かは知らないが、兎に角、今夜、この屋敷に忍び込む曲者がある事は確かである。巌窟島伯爵は二度、三度、あの密書を読み返したが、「今夜閣下の不在を探知し」とあるのも架空の言葉ではない。確かに自分は今夜この屋敷には居ないのだ。書斎にある秘密箪笥を探るだろう。」と言い、「容易ならない目的を抱いていることは確かなので」と記してあることなども全て根拠のある言葉である。

 そもそも曲者自身がこの家、この私の事柄を知っているのか、それともこの手紙を書いた密告者が知っているのか、どちらにしても多少は万事の案内を取り調べての上の計画には違いない。
 伯爵の最初の決心は直ぐにオーチウル行きを見合わせて、今夜自らこの家を守ると言うのにあったけれど、手紙の文句には「不在と見せて」曲者を「おびき寄せよ」と言うような忠告が籠もっている。

 なるほどそれもそうだ。おびき寄せて捕まえた上、その曲者が何者かと言うことを、見届けるのが得策だ。次に伯爵の心に浮かんだのは、直ぐにこの手紙を警察に持って行き、事情を訴えて今夜巡査の出張を頼もうとするのにあった。けれど、コレも密書に断ってある。「閣下コレに警察の力を借りる事なかれ。」しかじか。密告者の考えは明白である。

 もとより伯爵は曲者の来ることなどを恐ろしいと思う人ではない。およそ人間の危険という危険は体験し尽くして、身をも胆力をも鍛え固めた人である。危険なことと思えば、あたかも勇士が戦場に臨む朝のように、武者震いに身を震わせるほどである。特に大業を計画している身だけに自分の敵も沢山にあることを自覚している。

 名が分かっている敵もあれば、思いも寄らない敵もあるだろう。今夜忍び入る曲者は、「閣下の一身上の敵であるのではないか。」とある。我が思い予想している敵の中には、まさか窃盗のように夜半に我が家に忍び込む者があろうとは思われないけれど、しかし巌窟島伯爵とはその実何者だろうと既に疑っている人も無いでは無ければ、それらの人が手下を送って、この身の素性の分かるような書類をでも捜させようと計画しないとも限らない。

 それともこの身の思い予想もしない敵ならばなおさら捕えて、自ら後々を警戒する参考としなければならない。あれこれ思案して、やがて最後の決心が定まった。伯爵は誰にも知らせずに腹の中でうなずいて、何気なく先の密書をポケットに収めた。そうして決まっている通りオーチウルに向かって立った。これでこの屋敷は年老いた番人を除くほか、全くの空になった。曲者が忍び入るには好都合である。

 そのうちに日も暮れた。老番人はただこの家が空き家や貸家で無いと言うしるしの意味で、下の階の入り口に一箇所、二階の部屋に一箇所、ランプを附け、余り夜の寒くならない中にと自分の部屋に籠もり、暖かくして寝てしまった。コレは年を取った番人の常である。

 このようにしてこの番人が最早眠っただろうと思われる頃、二人の曲者が庭の裏木戸を開いて忍び入った。イヤ是は曲者ではない。伯爵と黒人アリーとである。曲者を捕えるために忍び帰えったのだ。
 これから伯爵がどの様な準備をしたかはくだくだしく記すには及ばない。兎に角曲者を捕えるのに少しも手落ちが無いように準備をした。そうしてやはりアリーと共に書斎の次の部屋に身を置いて曲者の入来を待ち受けた。

 こうなると待ち遠しい思いもする。八時から十一時まで待った。曲者は中々来ない。時の経つのが非常に遅い。そのうちに十二時の鐘をも聞いたが、世間は最早ひっそりと静かである。その静かさに引き込まれて伯爵が椅子に寄りかかったままで我知らずまどろんだが、幾分幾十分を経たか知らない。たちまち我背を押す者が有るのに心付き、驚き覚めて眼を開けば、アリーが唇に手をあて「静かに」との意を示して立っている。アア、曲者が来たために、アリーがこの身を揺り起こしてくれたのだ。

 無言のままに伯爵は耳を済ませた。聞けば二階のどこかの窓の辺りから、かすかな物音が聞こえる。初めて聞く声ではない。どうやらダイヤモンドを持って窓のガラスをきり破っているらしい。もしも伯爵にして、昨夜あの小侯爵皮春永太郎が毛太郎次にダイヤモンドの指輪を与えたことを知っているならこの曲者が誰かと言うことを大抵は推量するだろうけれど、勿論そのようなことは知らない。

 まず曲者が大勢であるか、小人数であるかを確かめておかなければならない。直ぐに伯爵は立ち上がって、かの音がする窓を探して抜き足で近づいた。窓は横丁に面した方の二階である。曲者は縄梯子をかけて壁をよじ登り、二階の窓まで上がって来ているのだ。その手際を見れば、なるほど只者ではない。

 あいにく月の無い夜の事で、良くは分からないけれど、エリシー街の角にある常夜灯の光が遠くに射して、すかせば黒く曲者の姿が分かる。大勢ではなく一人である。それとも下には相棒でも居るのかもしれないと更に他の部屋に行き、あちらこちらすかしてみると、外の往来に一人、是は塀に身を添いて立っている。分かった曲者は唯二人である。一人が家に忍び入り、一人が外を見張っているのだ。

 再び伯爵は前の部屋に戻った。曲者はまだガラスを切っている。伯爵の足音は部屋に敷き詰めた苔のような絨毯に没して曲者には聞こえない。曲者は厚い板紙を窓のガラスに当て、コレを定規にして、切っては又切り四角に穴を開けるつもりらしいが、世間並みのガラスとは違い、よほどの厚板だから急には切り尽くせない。伯爵はそれと見て静かにもとの部屋に帰った。

 しかしこれから間もないうちに曲者の仕事は終わった。切ったガラスが外から押す力のため、四角にはずれて、絨毯の苔の上へあまりひどいお音もせずにパタリと落ちた。その穴から曲者は手を差し込み、窓の内なる、弾(はじ)き金を易々と引き起こして置いて、そうして窓を開き、身軽く部屋の中に入って立った。

第百九十五回 終わり
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