gankutu196
巌窟王
アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
since 2011. 6.29
下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください
更に大きくしたい時はインターネットエクスプローラーのメニューの「ページ(p)」をクリックし「拡大」をクリックしてお好みの大きさにしてお読みください。(画面設定が1024×768の時、拡大率125%が見やすい)
史外史伝 巌窟王 涙香小子訳
百九十六回、『曲者』(二)
場合によると、大勢の曲者よりただ一人の曲者が恐ろしい。ただ一人でこの堅固な屋敷に忍び込むその度胸の強さを考えてみると、さすがの伯爵も少し気を飲まれるような思いがした。
そのうちに曲者は、暗い部屋中を探り探りしておよその案内が分かったと見え、ふすまを開いて伯爵の書斎に入り、そうしてあの密告状にあった通り、秘密の箪笥に近づいた。
この様子で見るとこの曲者は、確かにこの家の案内をよく知っている者に違いない。自分でこの家へたびたび来たことがある人から聞いたのか、そうでなければこのように暗いところで目的の箪笥をやすやすと探り当てるはずは無い。幸いに伯爵の眼は暗闇で物を見ることが出来るまでに前からその視力が鋭くなっているから、曲者のおおよその様子を次の間のふすまの間から見て取った。
やがて曲者は、忍び提灯(ちょうちん)を取り出してその目的とする箪笥を照らした。そうして錠前の所をじっくりと調べたが鍵は附いていない。コレには少し失望だろうと思いの外、彼はあたかも錠前直しを商売にする職人のように、一束の合い鍵を取り出した。その数の多いことは驚くべしだ。
余程コレまで諸所方々の箪笥やドル箱を、押し開いた奴に違いないと思うと、伯爵は我知らず失望した。余程いわれのある曲者かと思っていたら、「何だつまらない。ただ通例の窃盗か」とつぶやくのを抑えることが出来なかった。
しかしこの時、曲者は箪笥の錠前にうつむきかかったため、忍び提灯の明かりがパーッとその顔に射した。伯爵はコレを見ておどろいた。なるほど仕業は通例の窃盗であるけれど、その顔はその人は、通例の曲者ではない。
直ぐに伯爵は立ち上がり、又抜き足で衣裳部屋へ退き、ルイ十六世が着たと同様な鉄板の襦袢を下に着込み、槍ででも、短剣ででもつく事の出来ないように身を固め、その上に僧服を着け僧帽をを戴いて少しの間に暮内法師の姿になった。
そうして迂回して曲者がいる向こう側の部屋に出て外の様子を見回した。是は伯爵の用意の綿密な所で、中を攻めるにはまず外を用心して置くのだ。ところが不思議なことがある。かの外を見張っていると思われた先ほどの一人が、やはり立たずんではいるけれど、こやつは外を見張っているのではない。
外をどの様な人が通るかそんなことには無頓着で、ただ熱心にこの家のうちの様子だけを熱心に伺っているらしい。さては尋常な相棒ではない。見張り番というより外に、もっと深い目的をもって居るのだと伯爵は早くも理解し、又アリーのそばに行って、「その方は単に外の者にだけ眼を付けていなさい。」と命じ、そうして自分は曲者が仕事をしている書斎に入り、静かに曲者のそばに立って、
「オヤ毛太郎次殿、お前は今時分ここで何をしておられるか。」
全く曲者は毛太郎次である。問われて彼の驚いたのは非常なものだった。彼は法師を幽霊かと疑がわんばかりに、後ろ様に手を突いて、法師の顔を見、「ヤヤ、貴方は暮内法師!」叫んだまま後の言葉は出ない。
伯爵;「オオ、暮内だだよ、したがお前に会ったのはもう十年も昔のこと、それを覚えていられるのは頼もしい。」
毛太郎次は「法師、法師」繰り返した。
法師;「したが夜中に巌窟島伯爵の留守に忍び込み、盗みなどを企てるとはけしからんことだ。」
毛;「イイエ、盗みなどの目的では」
法師;「無いとはまさか言われまい、窓のガラスを切り抜いて、泥棒の用いる忍び提灯を持ち、そうしてたくさんの合鍵まで」
一々証拠を指差されては、争うべき余地も無い。
毛;「ですが、法師さん、全く貧乏のために!」
法師;「オオ、貧窮のためというのか。なるほど、貧窮のために、人の台所へ行き、食い残りのパンを請うというのなら聞こえる。又通り合わせて店先から何か一品を持ち逃げするとでも言うならこれも聞こえる。ただ貧窮のために巌窟島伯爵の邸に忍び込むとでは少し受け取りがたいよ。そうすれば先年私が与えたダイヤモンドを五万フランに売った時、その玉商人を殺したのもやはり貧の為というのだろう。」
毛太郎次はただすくみ込むのみである。「どうか法師、今夜のところはお見逃しくださる様に願います。」全く手を合わせて法師を拝んだ。
法師;「正直に私の言葉に返事すれば、許してやらないものでもない。」
毛;「返事します。正直に」
法師;「全体お前はマンドレー島の牢屋で終身役しているはずなのに、どうして牢を出されたのか。」
毛;「英国のある人に救われました。」
法師;「或る人とは」
毛;「柳田卿という方です。」
法師;「オオ、そうか、アノ卿なら私も好く知っているから、その方が嘘を言っても直ぐ分かる。全体なぜ柳田卿がその方を救ってくれたのか。」
毛;「私と一つの鎖に繫ぎあわされて、共に苦労していた囚人があったのです。その者を助けるために、私まで共に助けてくれました。」
法師;「その者の名は」
毛;「弁太郎と言い、コルシカ島で育った捨て子です。」
法師;「助けられてそれからどうした。」
毛;「それからは働いて食っているのです。」
法師;「嘘である。嘘である。やはり弁太郎と助け合い、彼から送る金子を持って身を支えている居るのだろう。」
毛太郎次は拒みかね、「致し方がありません。その通りです。けれど、かまいませんよ。弁太郎は大層な大金持ちの息子と分かりましたから」
法師;「どうして」
毛;「よく世間にある奴です。大金持ちの落胤と分かったのです。私生児です。」
法師;「大金持ちとはとは誰」
毛:「巌窟島伯爵です。彼は伯爵の私生の子なんです。」
今度は法師の方が驚かされた。
第百九十六回 終わり
次(百九十七回)へ
a:902 t:1 y:0