巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu197

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 6.30

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百九十七回、『曲者』(三)

 弁太郎を巌窟島(いわやじま)伯爵の私生児とはあんまり間違った推量である。暮内法師の姿となって澄ましている伯爵自身も、打ち驚いて又笑った。毛太郎次は論証しようとするように、「自分の子でなければ何で月々沢山の金銭を与えますか。何で偽の父親まであてがいますか。彼弁太郎は小侯爵皮春永太郎などと立派な名前で、立派な縁談まで整えかけているほどです。」

 法師は少し怒りを示し、「アア、段倉家の令嬢と縁組の出来かけているあの小侯爵、あれが弁太郎と言う脱牢の罪人か。それはけしからん。お前はそのような悪人が名誉の高い段倉家を欺いて婿になろうとしているのを、知らない顔で見ているのか。」

 鋭く睨んで叱り付けた。その様子はいかにも段倉家の名誉を擁護する人のようである。毛太郎次は情けない声で、「何も私が段倉家の名誉の汚れるのを喜ぶわけでは有りませんけれど、折角相棒がーーーイヤ折角弁太郎が出世しかけているものを、私が妨げる訳には行きません。」

 法師はきっぱりと、「よし、よし、それでは俺が段倉家に告げてやる。」告げられては弁太郎も失敗し、自分も金の蔓(つる)を失うのだ。「どうか法師、そればかりはお許しください。」
 法師;「ならぬ、ならぬ、お前と共に牢を破り、罪の上に罪を重ねて居る弁太郎とやら言う者を、立派な団倉家と縁組させるとは、どうして知らない顔でいられよう。夜の明け次第に俺の口から何もかも告げてしまう。」

 毛;「告げるとは誰に告げます。」
 法師;「知れたことよ。段倉男爵に」、毛太郎次は最早止める道が無いと知った。たちまちポケットの中から、用意して有る短刀を抜き出して、「そうはさせない。」と叫ぶや否や、躍り掛かって法師の胸に打ち込んだ。けれど、法師はこのようなことの用意に鉄板の鎧の胴を着込んでいる。

 短刀はそのまま滑って跳ね返され、そうして短刀を持っていた手は、力有る法師の手に、強く手首を握られた。毛太郎次は顔をしかめ、「痛い、痛い、法師さん、貴方の手先はなんと言う力でしょう。もう少し緩めて下さい。」

 法師;「神が俺には、お前のような悪人を懲らしめるためにこの通りの力を与えて下さった。俺は神に代わって神の意を行うのだ。ここでお前をつかみ潰すのはたやすいけれど、神の御心はまだお前に行わせる事がある。ここで筆、紙、墨を与えるから、俺が言うとおりに書面を作れ。」

 毛太郎次;「私は字を書くことを知りません。」
 法師;「偽るとこうだぞ。」と法師は又も握っている手を締めあげた。毛太郎次は又もがいて、「痛い、痛い、何とでも書きますからゆるめてください。」法師は直ぐに紙筆墨を与え、文句を口授して下のように認(したた)めさせた。

 段倉男爵よ、小侯爵皮春永太郎と称して貴家に出入りし、遠からず貴家の令嬢と結婚しようとする少年は、その実罪人なり。先ごろ私と共にツーロンの牢を破って逃げて来た者である。私は五十八号の、彼は五十九号の札の付いた囚人で、何時も同じ鎖につなぎ合わされて、服役していたものである。彼は弁太郎と言う名前で姓も知らず、父母も知れない捨て子が成長したものである。旧悪の数々は監獄事務官に問い合わせれば明白になるだろう。

 これに署名させ、封筒に入れた上、段倉の宛名、町名番地まで認(したた)めさせ終って、そうして法師はコレを自分の懐に入れた。是はその昔段倉が認(したた)めた密告状とほぼ同じような密告状である。暮内法師その実巌窟島伯爵がこの密告状をどの様に用いるかはしばらくの間の疑問である。

 『サア是で用事は済んだ。立ち去れ』とは直ぐに法師が毛太郎次に言い渡した言葉である。毛太郎次は不思議な顔をして、「もう許して下さるのですか。警察にも引き渡さずに、エ、直ぐに立ち去って良いのですか。」
 法師は無言で、窓から外の闇を覗き、なおも先ほどの怪しい一人が、戸外にこちらを見張っている様子を見届けて、「ウム、これでこの場だけは許してやる。しかし、ここを立ち去ってどこまでお前が無事に行かれるかは俺にはわからない。」

 何だか意味ありげな言葉であるが、聞く当人は怪しみもしない。
 「イイエ、ここを立ち去ったら何処にでも無事に去ります。」
 法師;「そうか、もしお前の宿まで無事に帰り着くことが出来たら、それは神がまだお前を保護している証拠だから、俺もお前を保護してやる。直ぐにお前は何処でも外国に落ち延びよ。そうして再び悪事をせずに正直に身を支えて行く以上は俺から少しづつ年金を送ってやる。」

 毛;「本当ですか。本当に年金を下さるなら、私は外国で正直に!」
 法師;「サア、行け」
 促されて毛太郎次は、前に破ったガラス窓から以前の縄梯子を下り始めた。法師は自ら手燭(てしょく)を取ってその窓の所に差し出した。その様子はあたかも外で見張っている一人に、「サア、今この者が立ち去るぞ」と合図して、見て取らせる為のように見えた。

 やがて毛太郎次の身が地に着くと同時に法師は明かりを消し、更に他の戸外を眺めるのに都合の良い窓に行き、暗がりのままで眼を張り開いていた。

 そのうちに毛太郎次は庭を伝って塀に行き、塀に再び上がって、更にその塀の天辺(てっぺん)から又はしごを垂れてスラスラと下り始めたが、全く法師の言ったとおり、宿に着くまで神の保護が続かなかったと見える。彼の足が往来の大地に着かないうちに、何処からか突然に走って来て彼に近寄ったのは、先ほどから見張っていたあの一人である。

 この者はすぐに短剣を持って、まだ宙にぶら下がっている毛太郎次の脾腹を刺した。そうして毛太郎次が落ちて倒れるや否や、更に留めを刺す様に、ところも選ばずに、二刀刺し通して逃げ去った。 『人殺し、助けて、助けて』との叫び声は深手に苦しむ毛太郎次の口からかすかに出た。この時には早法師とアリとがここに駆け付けていた。法師は直ぐにアリに向かって、「早く行って医者を呼び、直ぐにその足でオノレ街へ行き、大検事蛭峰氏の臨検を頼んで来い。」と命じた。

 アリはただ頷いて急いで去った。後に法師は毛太郎次の傷口にハンケチを当てなどしながら、「曲者を逃がしたのは残念だった。」毛太郎次はかすかに声が残っている。「どの様にでも手当てしてどうか、私を少しの間生かして置いてください。曲者を告訴します。」

 法師;「告訴すると言っても曲者の名が分かっているのか。」
 真に毛太郎次は悔しそうにである。「分かっています。確かにその顔を認めました。エエ、悔しい、うまくあいつに謀(はか)られた。あいつめ、俺を殺すためにこの家の案内を教え、窓ガラスを切る指輪までも与えたのだ。そうして外に待ち伏せしていて」

 法師;「あいつとは誰だ。」
 毛太郎次;「弁太郎です。皮春小侯爵と言う弁太郎です。」
 悔しそうに言い切った。

第百九十七回 終わり
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