巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu199

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 7. 2

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

百九十九回、『一冊の始末書』

 法師が囁(ささや)いたこの人の姓、この人の名に、毛太郎次は、たちまち何もかも思い出した。コレが驚かずに居られようか。無実の罪にとうの昔に死んだとばかり思ったその人が、イヤ死んだとより外思う道のないその人が、柳田卿となり、暮内法師となって今は我目の前に居る。真に神の業(わざ)、神の業としてもなお納得が行かないほどである。

 彼は力尽きてもう声も出ないほどの喉で叫んだ。「エ、貴方があの、次郎や段倉に密告されて行方知れずになったーーーー。」
 法師;「そうよ、そうして今は巌窟島伯爵と言われるのだ。」巌窟島伯爵と聞いて彼の驚きは又加わった。「世界一の大金持ち、そうです、巌窟島伯爵と言う貴方の姿は、何度も見て知っています。なるほど、その面影が、昔の彼―――に違いない。アア神の業、このような神の力を信用せずに今が今まで道ならないことばかりしていたのは恐ろしい。恐ろしい。」

 全く彼は死に際に神の力を信じることが出来た。法師は言葉を和らげて、「神の証拠を納得することが出来たなら幸いだ。遅くは無いから、罪が滅(ほろ)びるよう神に祈って、心安く往生を遂げよ。俺もお前のために祈ってやる。」と言い、真に法師が死に際の人のために神の救いを求めるように祈りを捧げた。毛太郎次は何度も口の中で、「あの友太郎が、―――アノ暮内法師―――不思議だ、―――恐ろしい、」などと唱えて絶命した。

 これから約1時間の後、医師も来た。大検事蛭峰も来た。けれど、ただ死骸のそばに暮内法師が殊勝気に祈っているのを見るだけで、何の活劇の後も認めることは出来なかった。但し、蛭峰大検事は仕事柄として、法師にいろいろなことを聞いた。法師はこれに答えた。

 自分が今夜巌窟島伯爵の留守に来て、その書斎に入って、徹夜して古い教書を調べている所にこの者が忍び込んだので、不心得を諭して追い返したところ、この塀を下る所を、他の曲者が待ち伏せしていて、ごらんの通りこの者を殺したのだと、そうして打ち明けられるだけのことは打ち明けて、最後に毛太郎次のあの供述を出して示した。

 蛭峰は受け取って開き読み、「アア、毛太郎次、確か二十年前マルセイユに在職した頃聞いたことのある名前だ。」と言い、更に弁太郎の名を読んで、「はてな、このような脱走囚なら外にも悪事があるだろうから直ぐに捕えることが出来るだろう。」とはつぶやいたけれど、この弁太郎が目下皮春小侯爵と言って段倉家に出入りしている貴公子とは思い寄るはずがなかった。特に父母不明とわざわざ書いてあるその分からない父母が誰だろうと言うようなことなどは微塵も心に浮かばなかった。

 これからおよそ一週間の間は、パリーいたるところにこの曲者のことが噂に上がった。何しろ巌窟島伯爵の一挙一動は全て新聞に報じられるほどの状況だから、伯爵の家に入った曲者が又曲者に殺されるという椿事は国家の大問題か何かのように言いはやされた。

 中には普通の窃盗ではなく、巌窟島伯爵を暗殺するために忍び込んだ刺客だけれど、伯爵がその夜偶然にオーチウルの別荘に泊まったのは伯爵の幸運祝すべしだなどと、死んだ曲者から直接に聞きとったかのように書いた新聞もあった。従って伯爵の下に追従かたがた見舞いに来る人も多く、そのうちの段倉男爵などは、やはり蛭峰と同じく昔マルセイユに同じ名前の悪人があったなどと二、三の人に明言した。けれど、その悪人が、或る仕事の時には自分と相棒も同様であったなどのことは胴忘れしたと見え、おくびにも出さなかった。

 毛太郎次のうわさにつれて、第二の曲者弁太郎が何者かと言うことも中々噂が盛んであった。とりわけて蛭峰大検事は、この弁太郎を捕えて詰問すれば或いは自分の調べている巌窟島伯爵の本性が分かる糸口になりはしないかとの念を浮かべ、今まで熱心に調べていた古い書類の調査は二の次にまわし、一意に弁太郎の逮捕に力を集めた。

 コレのためにおよそパリー中の窃盗や前科物は大抵嫌疑をもって捕えられ、そうして現場審問を施すために、一々巌窟島伯爵の邸へつれてこられ、綿密に蛭峰大検事から尋問された。一人巌窟島伯爵だけは何故大検事がこうまで熱心であるかを察し、人知れず微笑んだ。
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 話は替わって、さても小侯爵皮春永太郎に自分の許婚夕蝉嬢を譲ってホッと安心した野西武之助は、一つ叶えば又一つとやら、自分の父野西子爵が新聞の記事でヤミナ事件の売国奴とののしられ、その記者猛田猛(たけだたけし)に決闘を申し込んで以来、約束の三週間の猶予をもどかしく思い、いたずらに指を折ってその期限が尽きるのを待っていたが、待つ身には長くても、三週間はついに尽きて、二十二日目の日とはなった。今日こそは、猛田猛に紙上で謝罪をさせるか、はたまた介添え人を差し向けるか二つに一つの決まる日であると、早朝に起きて、衣服を荘重にして、猛(たけし)の監督する新聞社に又も行った。

 猛は何とやら気のない顔で出迎えたが、来意は勿論分かっているから、直ぐに自分の方から口を開き、「イヤ、今日は私からお返事に参上する積もりでした。」
 武之助は皆まで聞かず、「その返事は事実無根として紙上に取り消しを掲げると言うことですか。それとも決闘の武器を通知するためですか。」

 猛;「イヤ、前者でも後者でも有りません」
 武之助;「取り消しでもなく、決闘でもないとすれば、アア分かった又も口先でごまかすお積りですね。」
 猛;「イヤそれでも有りません。」
 武;「ではーーー」
 猛;「まずお返事する前に、私が猶予の三週間をどの様に費やしたかを申し上げます。」

 言いながら旅行券や諸所の関所の通過検印を出して示し、「私は事実取り調べのために、自分でギリシャのヤミナ州まで出張して来たのです。あまり責任の重いわけですから。ヤミナ州まで出張したとはなるほど責任を重んじた仕方である。表面無責任のように見える新聞社も実はこうまで責任を尽くすものかと、武之助は少し意外に思い。多少は猛田猛に対し尊敬の念を深くした。

 猛は語を継ぎ「ヤミナ州へ行くのに一週間かかりましたが、これより早くは行かれません。かの地に着いて検疫のため四日間遮断されました。そうして滞在取調べの日数が三日、帰り道が又一週間、合計で二十一日かかって昨夜帰り着きました。」

 武之助;「実地を取り調べていよいよ無根と分かったでしょう。」
 猛は気の毒に耐えられないと言った風である。「イヤ野西さん、私は実にこの結果を貴方に打ち明けるのに忍びません。私を友人と思うなら貴方は何にも言わずに私を助けてください。」
 実に異様な言い分である。
 武;「出来ません」

 猛はしばし無言となり、深く考えた上で、「アア、やむを得ません、野西さん。私の取調べの結果は、この書類に明瞭です。」と言い、一冊の始末書をテーブルの上に広げた。中にはどの様なことが書いてあるのだろう。

第百九十九回 終わり
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