巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 1. 4

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二十、顔中に黒い頬髯

 蛭峰検事補に振り向いた国王は、なおも忙しそうな声で、「近こう寄れ、近こう寄れ、そうして警視長官に、横領者の蜜謀を前もって探知した者のあることを知らせてやれ。」とのたまった。いやが上にも長官を懲(こ)らしめる御心と見える。

 長官は切ない声で、「イイエ、横領者の蜜謀は到底前もって知ることは出来なかったのです。」と弁解した。
 国王;「何だ、到底知ることが出来なかったとな。オオ、そうであろう。そうであろう。手下に五百人の官吏を使い、誰の家にも踏み入り、誰を捕らえてでも、尋問し、そうして警吏も探偵吏も自由に使い、一年百五十万円の機密費を消費している、その方には、到底知ることが出来なかったのであろう。

 良く聞け、かえって、この蛭峰のごとき、熱心の外、何の機関も、何の機密費も持っていない単独の小官吏には、それを知ることが出来た。もし、この蛭峰に、汝のごとく電信を発する職権があったならば、今より四日以前、彼横領者が未だこの国の土を踏む前に朕に知らせて来る事が出来るところであったのだ。サア、蛭峰、この警視長官の心得のために、汝の行った様子を詳しく話してやれ。」

 警視長官にとってこれほどの不面目はないと同時に、蛭峰にとって又これほどの面目はない。彼は心の中で、早や遠からず自分が警視総監に取り立てられ内閣の一員に列せられる時が来るだろうと思いやった。

 真に嬉しさは心の中に満ち渡るほどだけれど、今この恥じ入っている警視長官にこの上の不面目を加えることは、蛭峰は好まないところである。イヤ、好まないどころか、実は非常に危険なのだ。

 この長官がもう免職されるのは見えすえているけれど、もし、免職され際に、この身へ恨みを持つことに成っては、、あるいはこの身の秘密を探らないとも限らない。もしも恨みの余り長官自身が、直々にかの団友太郎を呼び出して、尋問するようなことにでもなれば、自分の秘密が直ぐに分かる。

 もし、友太郎の持っていたその手紙が自分の父へ宛てたものであったことを知られたなら、どうだろう。更にその手紙を自分が焼き捨てたことまで知られたなら、どうだろう。直ぐ長官はその秘密を暴き立ててこの身へ復讐するに決まっている。この身は検事補の職権を濫用(らんよう)した者として、職を奪われ、厳重に罪を問われるに決まっている。何が何でも今ここで、この長官の機嫌をもとっておかなくてはならない。

 実に官界を巧みに遊泳する人の心掛けは又別である。蛭峰は、王に向かい「イヤ、どういたしまして、」と言い、非常に謙遜げに辞退した。そうして、なお言葉を足し、「臣がこの事を知ったのは決して臣の手柄ではなく、全く偶然というものです。長官の言われる通り、全く知ることが出来ない事柄が万に一つの思いがけない幸運を持って臣の手に落ちたのに過ぎません。」と短い言葉では有るが、充分に側面から長官を弁護した。

 長官は有り難くて仕方が無い。俯(うつむ)いた顔から目だけを上げて、蛭峰に注ぎ、暗に感謝の意を通じた。
 これで、蛭峰は一丸で二鳥を射止めたようなものである。国王と長官とを同時に手の中に丸めたのだ。
 国王は少し思い直した様子で、「イヤ、朕に陸軍がある間は、未だ単独のあの横領者に、地位を奪われようとは思わない。内大臣よ、陸軍大臣に参内を命じてくれ。」

 内大臣;「イヤ、仰せの通りです。陸軍のあります限りは、かの島流しの後に帰国したナポレオンを少しも恐れるところは有りません。早速陸軍大臣を召しましょう。」とお請けの語を残して退いた。後に国王は長官に打ち向かい、「イヤ陸軍と言えば近ごろ、ややもすると、陸軍の感情を害するようなことがあって困る。かの毛脛中将事件なども、未だ探偵が進んでいないだろうな。」

 毛脛中将暗殺とはナポレオン党の仕業に相違ないのだから、蛭峰はコレを聞いて、もしや我が父が連座してはいないかと、ぎょっとして驚いた、今もし我が父の名がこの事件と関連してしばしば国王の耳に入るようなことにでもなっては、自分の今日の働きも或いは水の泡になってしまうかもしれない。

 これに反して長官の方は自分の信用を回復する好問題が出たと思い、今まで二十分以上も上げることが出来なかった顔を上げて、「イヤ、陛下、いやしくもこの国の境界以内で起こる事件ならばかく申す男爵ダンドルの目の届かない件は一つもありません。毛脛中将暗殺の件も、既に全くナポレオン党の秘密クラブに招かれた帰り道だと言うことまで突き止めーー」

 国王;「それは突き止めても、肝心の暗殺者がーーー」
 長官;「イヤ、それも既に、既に手掛かりを得ております。当日、その秘密クラブから、中将を迎えに来た人の人相が分かりまして、」
 国王;「どの様な人相のーーー」
 長官;「これは、そのとき中将の顔を剃っていた理髪師から探り得ましたが、年は五十位、背が高くて顔中に黒い頬髯(ほおひげ)が沢山ありまして、眉毛も濃く、そうして太いステッキを持って、身には紺色の外套を着け、喉の所までボタンを閉めて、襟元に勲章の略綬があったと申します。」

 述べ来る人相が全く我が父に良く似ていると、蛭峰は心の底で驚いた。長官がなお語を継いで、「既に昨日、私の配下のスパイが某所でその人相に相違ない一人を発見いたしました。巧みに尾行致しましたが、ヘロン街の入り口で残念ながら見失いました。何、充分手配が行き届いていますから、三日と出ないうちに逮捕します。」

 ヘロン街の入り口と言えば、いよいよ父の野々内らしく蛭峰は感じた。
 この様なところに内大臣が今すぐに陸軍大臣が参内する旨を報じた。国王は三人に向かい、「ではこれでその方たちは退け」と命じたが、言葉と同時に、自分の胸から一の勲章を取り外し、「蛭峰検事補、追って何分の沙汰をするまで、賞与の記しにこれを与えて置く。」

 内大臣はこれを見て、「陛下、それは軍人の勲章で、蛭峰のごとき文官には」
 国王;「後でその方から引き換えてやれば良い。イヤ、検事補、もし朕が忘れたときには、その方から遠慮なく直々に催促してくれるように。」

 全くこの王の物忘れは当時名高い事実だった。しかし蛭峰は、身に余る栄誉として、出来るだけの恭(うやうや)しさを表して退いたが、一緒に警視長官は馬車に乗ろうとして、蛭峰にささやいて、「私がもしこの上在職するようなら、貴方を秘書官にして上げます。」

 彼も国王の信用を得たこの男を利用して、我が位置を強固にするまじないに使うつもりと見える。何の秘書官くらいにと、蛭峰は心の底ではおかしいけれど、この人の機嫌が大切な場合なので「万事何分よろしく。」と頼むように言って別れた。

 別れて直ぐに通り合わす馬車を呼び、いつも自分の定宿にするツールノン街のマドリッドホテルに着き、借り切った部屋の中に閉じこもって、先ず食事に取り掛かったが、その終わるか終わらないうちに取次ぎの給仕が来て、「貴方にお目にかかりたいと言う人が有ります。」

 自分がこのパリーに来たのは未だ誰も知らないはずなのにと怪しみ、「名は何と言う。」
 取次ぎ;「名は何とも言いませんが、年の頃五十位で、顔中に髭が生えた、そうして背の高い紳士です。」
 先刻警視長官が国王に申し上げた人相と言葉の上では同一の様に聞こえる。蛭峰が眉を顰(ひそ)める間もなく、早や廊下の外からその人だろう、トントンと戸を叩(たた)いた。

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