巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 7. 8

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百五回、『委員会』(三)

百合

 この婦人はそもそも何者であろう。委員も議長も真にその美しさに呆気に取られた。そうして知らず知らず婦人と野西子爵との顔を見比べた。
 アア、野西子爵のこの時の顔、真に見物というべきである。今までの勝ち誇ったような色、嫌疑を嘲(あざけ)るような笑み、総て一度に掻き消えて、言わば罠にかかった狼の、歯をむき出して吼(ほ)えるかと思うような容貌となった。

 無理も無い。ただこの一婦人の唇に、この野西子爵の死と生きがかかっている。命までこの一婦人の手に握られているのだ。確かに野西子爵は、ただ一目でこの夫人が誰かと言うことを、見て取ったらしい。確かに古い見覚えがあるらしい。

 議長および委員の面々は野西子爵のこの様子を見て、さてはこの婦人、決して今まで野西子爵に会った事のない身ではない。決してこの事件の証人とするのに足りない人ではないと、急にこの婦人を重い重い証人と見ることになった。イヤ、今まででも、意外なそうして大切な証人とは思っていたけれど、その思いが一層加わったのだ。

 議長はまず婦人に椅子を与えたけれど、婦人はこれを辞退して立ったままである。これに反して今まで立っていた野西子爵は立っている力が無い。立って居たくても足が言うことをきかないと見え、折れるように椅子の面に曲がりこんだ。

 婦人は端然《姿勢を正して》と議長の問いを待っている。議長は問うた。
 「貴方は、この委員会へ、大切な証拠を示すと言うお申し込みのようですが、果たしてこのことの見証人ですか。」
 婦人;「ハイそれに相違ありません。」
 その語は少し外国の訛りががあるけれど、純粋なフランス語で、その音調は場合に相当するだけの悲しさを帯びて、そうして顔に相当して美しい。

 「ですが婦人」
と議長は呼んで、
 「現場を見た証人としては、余り貴方のお年が若過ぎるように思いますが。」
 婦人;「ハイ、その時私はただ4歳でした。けれど、自分の身、自分の一家には、この上もない大切な事柄ですから、幼心に痛く感じまして、その後は忘れる暇もなく、今もありありと覚えています。」

 議長;「一家の大事とは、貴方は何者です。」
とのこの問いは、先ほどから、委員全体の唇に出掛かっていたのだ。彼等は、婦人の顔から、片時も眼を離さないほどにして居たけれど、これの返事を待ち受けて、又一層眼に力を入れた。
 婦人は何と答えるだろう。少しの間が待ち遠しいようであった。「ハイ、私はヤミナ城主有井宗隣の一女鞆絵です。」
 言葉と共に両の頬が少し赤らんだ。

 鞆絵(ともえ)姫、鞆絵姫、今しも一同が野西子爵の口から聞いたその名である。有井宗隣の一女と言えば、世が世ならば皇女である。姫君とかしずかれて、通例の人はその顔を拝むことさえ出来ないはずである。その名を聞いて、委員の中の或る者等は急にその衣服へ眼を着けた。なるほど今までは気がつかなかったけれど、ギリシャの皇族の着る着物である。

 派手に飾っては居ないけれど、高価な織物で仕立てたもので、自然と争われない品位をも備わっているように思われる。中には又この名を聞き、さてはとあの巌窟島(いわやじま)伯爵を思い出した人も有る。いかにも夜芝居で、伯爵の桟敷に居て、何処のどうした美人かと、多くの人にひそかに怪しまれた美人なのだ。

 つくづくとその姿を見ながら議長は、
 「貴方のそのお言葉には、何か証拠が有りましょうか。確かに有井宗隣の一女鞆絵姫と言うーー」 
 鞆絵姫;「ハイ、有ります。私の父及び家老二人の調印した誕生証書、マケドニア及びエピラス州の管長から授かった宗籍の写し、それから」

 それからとの一語に力を入ったのは、最も力ある証拠を言い出す用意らしい。
 「それから最後に、私がアルメニアの奴隷商エルコバーと言う者へ、母と共に女奴隷として売り渡されたましたその売買の証書があります。私をその奴隷商へ売り渡しました人は、外でもなく、父宗隣に参謀長とまで取り立てられた、フランス士官で、父の城をトルコへ売り渡した上に、私と母とを数々の分捕り品と共に捕え、自分の獲物の一つに加えた、野西次郎と言う者です。私と母とを売り渡したその値が、四十万フランと言うことまで書いてあります。」

 なるほどこれに勝る証拠は無い。野西次郎は人の城を売った上に更に人身売買ということまで行ったのだ。野西次郎の顔は鞆絵姫の言葉の一句一句に、険ますます険となって、眼には血の色射て、ほとんど姫に飛びも掛らんかと思われるように見えた。しかし、姫の方は彼がもがけばもがくだけ、ますます態度が落ち着いた。その落ち着いた様子に、かえって荒れ狂うよりも恐ろしい力があって、静かな言葉が一々に野西子爵の頭には、釘を打つように響きわたった。委員一同も全く手に汗を握るに至った。

 言い終わって姫はその証拠書類を取り出して、議長に渡した。最後の一通はトルコ語で認めてある。議長自らはトルコ語が読めるけれど、誰か外の人に読ませたいと、委員の顔を見回すと、前から語学の力を誇っている人二人が現れ、立ち会った上でその一人が、下のように読み下した。これが全く野西子爵を金縛りにするほどの、恐ろしい証拠物である。

 「私はトルコ王の後宮に、女奴隷を納める御用商人アルメニア人エルコバーと言う者である。この女はヤミナ城主、故有井宗隣の娘にして、年は11歳なり、その城の没落の時、トルコ王の内命を含んで、フランスの軍人が生け捕ったのを、私が王の御用により買い受けたもので、今は又国王の許しを得てこれを伯爵巌窟島友久に売り渡すものなり。

 巌窟島伯爵は、この女奴隷の身を買い取る償金として、トルコ国王の欲するエメラルド三個、一個の価およそ八十万フランづつなるを国王に納めたので、何人もこの女奴隷を所有する巌窟島伯爵の権利を争うことは出来ない。伯爵にこれを売り渡した私エルコバーは、7年前にこの女奴隷の、その捕獲主である野西次郎という者に、四十万フランを与え、直接に買取り、今まで育て上げたので、又何人もこの女奴隷を巌窟島伯爵に売り渡す余の権利を、争う者なし。国王の御璽をまで得て、後日のためにこの証書を作るものなり。」
 
 なるほど、国王の御璽も据(すわ)っている。年月日もエルコバーの署名も確かである。この上の証拠はまたとない。

第二百五回 終わり
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