巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu209

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 7.12

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百九回、『伯爵だ、伯爵だ』

 猛田猛(たけだたけし)を引き立てるようにして、やがて武之助は段倉の家に着き、玄関で案内を請うた。取次ぎの返事は、「今来客中なのでお目に掛かれない。」ということであった。
 その来客が誰かということは玄関脇に待っている華奢な小馬車で分かっている。小侯爵皮春永太郎なのだ。勿論永太郎がこの家に入りびたりのように来ているのは、怪しむに足りない。ただそのために我に会うことが出来ないとは何事だ。

 さてはこの身を売国奴の息子としてはや排斥の傾向を示すのかと、武之助は額に青い筋を立て、「ナニ、面会の出来る出来ないを問いはしない。在宅か不在を問うのだ。」と言い、取次ぎの男を突き倒さんばかりにして、家のうちに踊り入り、なおも猛田を引き立てて、段倉の居間に闖入した。そうして小侯爵と段倉がとが驚き立つのを知らない振りで声も鋭く「段倉さん、段倉さん、今日は貴方の言い開きを求めに来ました。言い開きか決闘か二つに一つをお選びなさい。」真に当たるべからざる剣幕とはこれである。

 何の事か詳しい事は知らないけれど、小侯爵は岳父(がくふ)《舅(しゅうと)》の大事と見て進み出た。武之助はこれにも向かい、「オオ、貴方が相手をすると言うのですか。勿論私は相手を選びません。貴方でもよろしい、サア」と詰めよろうする。善後も忘れた状態である。後に従う猛までも呆気に取られ、どうして好いやら分からない。

 段倉はこの状態にさては恋の遺恨ででも来たのかと思い、ようやく心を落ち着けることが出来て、二人の間に入り、「ナニ娘夕蝉を小侯爵の妻と定めたのは、小侯爵の責任でなく、かく言う段倉の責任です。言うことがあるならばーー。」

 武之助;「ナニ娘夕蝉、夕蝉がどこの馬の骨の妻になろうともそのようなことでは有りません。私が言い開きを求めるのは、父に対する貴方の所業です。」
 段倉は初めて合点が行ったと見え、嘲るように打ち笑った。「これはおかしい。貴方の父野西子爵の旧悪が露見したのを、私に弁解せよというのですか。」

 武之助;「勿論です。あなたは今から、一月ほど前にヤミナの銀行に問い合わせの手紙を出したことが無いと言い張りますか。ヤミナ城陥落の次第からその当時において私の父の所業を詳しく取り調べて知らせてくれとの手紙を送ったのが貴方で無いと言い張りますか。私はそのようないい抜けをさせないため、ここへ実地を取り調べてきた証人まで、連れて来ているのです。」何という性急な言葉であろう。

 段倉は初めて武之助のあとに猛がついてい居ることを知った。けれど別に驚くいわれもない。彼は一層落ち着いて、「私は何も言い抜けはしませんよ、いかにもヤミナの同業に貴方の父上の事について問い合わせ手紙を出しました。それがどうしたと言うのです。」

 武之助は拳を固め、「それがどうしたとはとは猛々しい。何の必要でそのような手紙を」
 段倉;「何の必要で、左様さ、そのようなことは返事の限りでは有りませんけれど、どうしてもというなら言いましょう。野西子爵に売国の旧悪があろうとは知らないから、問い合わせてもかまわないだろうと思いました。つまり、貴方の父上を信用しすぎたのです。痛い古傷が有る方と知れば、遠慮するところであったのに、誠にお気の毒でした。」

 妙にねじけた冷ややかな言葉の中に、得も言われない毒がある。これを聞いて武之助の拳が段倉の額に降り下らないのが不思議である。彼は真正に歯軋(はぎし)りして、「エエ、その言い分は聞き捨てならない。」言葉と共にお又一歩段倉に詰め寄った。

 このときもし段倉が折れて出なかったら、どの様な騒ぎになるか知れなかった。けれど、彼は根が臆病者である。婿である小侯爵のいる前だからこそ、それに対して強く出は出たものの、真に掴みかからんとする武之助の勢いを見ては、又気味が悪い所もある。更にいささかその言葉を丁寧にし、「ナニ、その頃は貴方と娘夕蝉の縁談がありましたから、親の役目として貴方の父上の財産の出所を調べに掛かったまでのことです。それも自分の意見では無く、人から忠告を受けましたから。」

 早や人の忠告と、責任を人の肩に譲り始めた。
 武之助;「エ、人から忠告、それは本当の事実ですか。」
 「何で事実でないこと私が言いましょう。実はその人に向かい、縁談の話から野西子爵がどうしてギリシャで大財産を作ったのか一応調べたいと申しましたら、その人がそれならヤミナへ問い合わすのが近道だと忠告してくれましたで。」

 武之助;「それでヤミナへ問い合わせたというのですか。それから」
 段倉;「それから、ハイ、実に驚くべき返事を得ましたけれど、いや少しお待ちなさい。こういうと貴方は、直ぐに私がこの事件の暴露にまで関係の有るように思いましょうけれど、私は少しも関係が無いのです。ヤミナから得た返事の意味は誰にも他言したことは有りません。何しろ貴方の父上の名誉に掛かることと、深く隠しておりましたのに、どこかから漏れたのです。漏れた次第は新聞でも分かりますが、決して、決して私では有りません。私はその深く秘したことで貴方から礼を言われるべきほどに思っているのです。」

 明白な言い開きである。真にその通り秘したとすれば、段倉に罪は無い。彼はさらに疑いを避けるためか、「私は初めからヤミナということさえ気が付かなかったのです。私の頭をヤミナの方へ振り向けたのが悪いというなら、それは私が悪いのではなく、私へ忠告した人が悪いのです。」

 いくら立腹した武之助でも、この道理は聞き分けないわけには行かない。「それならその忠告した人は誰ですか。その人が分からなければ貴方の言葉だけで信用することは出来ません。」
 段倉;「信用するとしないとは御勝手ですが、忠告してくれたその人はーーー」
 武之助;「その人はーー」
 段倉;「巌窟島伯爵です。」
 武之助;「エ、エ、巌窟島伯爵が」
 段倉;「ハイ、巌窟島伯爵です。」

 自分の罪を逃れるために、人の名前をさらけ出すとは、卑怯である。卑怯は卑怯でも、これで立派な言い開きにはなるというもの。又段倉の普段の根性を考えればこれくらいの卑怯は軽いうちだ。武之助は伯爵の名前に、しばし度を失う状態であったが、段々に思い浮かんで来ることがある。

 第一は委員会で我父を粉砕するほどに証言したのは伯爵が養っている鞆絵姫である。第二には丁度この事件が起こる間際に我が身をパリーから連れ去ったのもやはりその伯爵である。第三には共々にパリーに帰ってくる馬車の中ででも伯爵の様子が普通とは思われなかったことだ。

 手近な所だけでもこの通り、なお遠い所まで、思い回せば、心に当たることばかりである。武之助は初めて眼の開いたような心地がして、何もかも見え透いた。彼はたちまち躍り上がった。「アア、伯爵だ。伯爵だ。この敵は伯爵だ。決闘の相手は伯爵だ。何としたとて逃がすものか。」

 昨日までの恩人、友人、今は仇、親の敵、「エエ、知らなかった。」と又も叫んで、一散にこの家を走り出た。

第二百九回 終わり
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