巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu213

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 7.16

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百十三回、『お相手に成りましょう』

 劇場は何時もより大入りである。これならば巌窟島(いわやじま)伯爵を辱めるに丁度好いと、野西武之助は先ず満足のお思いをした。
 けれど伯爵はまだ来ない。そのうちには来るだろうと、前から伯爵の買い切りとなっている桟敷を絶え間なく見張っていた。果たせるかな、第一回の幕が終わり第二回の幕が開いたとき、伯爵は大尉森江真太郎と共に入って来て、悠然と座に着いた。

 どの様な場合でも巌窟島伯爵のいるところへは人の視線が集まらずには止まない。古今無類の大金持ち、またパリー第一等の贅沢家としてすること為すこと皆他の人と違っている神のような人として、誰も噂に聞いている。特に今夜はかねて伯爵に養われる鞆絵姫というのが売国奴事件の証人であったことさえ口から口に伝わっているだけに、もしその鞆絵姫が伯爵の桟敷に現れるだろうと疑う人もあり、一時舞台の方よりも伯爵のほうに向く人が多いほどであった。けれど、鞆絵姫は現れない。

 武之助はこちらから、ただひたすら伯爵の様子を見ていると、その落ち着いた様子から、満場の視線を受けて何の感じも起こさないように見える様子が、日頃は尊敬の種であったけれど、今夜は憎らしく思われる。そのうちに、こちらを向き私の顔を見るだろうと待ち受けていたけれど、伯爵は一応場中を見回したまま、舞台に向かい、今はわき目も振らない。しかし、伯爵が私がここに居ることを知らないはずは無い。知っていてことさらに知らない顔をしているかと思うと、また腹立たしさが、沸き返るようである。

 今に見ろと、武之助は拳(こぶし)を握って待っていたが、何時まで待っても果てしが無い。ではいよいよこちらから出かけて行こうと、先ず立ち上がって場中を見渡すと、自分の友達にして伯爵とも親密な人は大抵この場に集まっている。真に又とない場合である。好しとつぶやいて廊下に出て直ぐに伯爵の桟敷をめがけて闊歩して行くと、それと見た猛田猛(たけだたけし)もその後に従って来た。

 やがて荒々しく伯爵の桟敷の戸を後ろから引き開けた。伯爵は驚きもせず、ただ何時ものようににこやかにこちらを向き、「オオ、武之助さん、サアこれへ」と自分のそばに迎えようとした。
 武之助は腹立たしさに震える声で、「イヤ、伯爵、空々しい貴方の世辞を聞きに来たのでは有りません。弁解を求めに来たのです。」

 ただこの一語だけで既に非常な侮辱である。人の挨拶の語を捕えて、直ぐに空々しい世辞などと、これが聞き捨てなることか。伯爵は不思議がるように、「エ、、弁解を求める。私の、果てな、私は未だ良くパリーの風俗には慣れませんけれど、ここはそのような場所ではないと思います。」

 武之助;「場所でなくても、相手が、それ今は入浴中だの、やれその後では一時間眠るのと、玄関番に断らせて、中々面会しない上は、場所を選んでいられません、。何時でも捕え次第に弁解を求めなければ、」
 ますますむちゃくちゃな言い様である。しかもその声が高いので、早や、四辺の人はこちらに向かって眼と耳とをそば立たせた。

 伯爵はもう何もかも悟っているけれど、騒がない。「エ、中々面会が出来ないとは、これはおかしい。昨日まで私の家に居たではありませんか。」
 武之助;「ハイ、それは未だ貴方の本性知らなかったためです。貴方の偽りを看破できなかったからです。」とますます乱暴な言い分となって来る。こちらに振り向く人もますます多い。こうまで聞いては伯爵も立腹しないわけには行かない。

 「一体貴方は何処から着ました。気でも違ったとしか思われません。が」
 武之助;「ハイ、貴方の姦策を良く見抜いて、これから貴方に復習をしなければなりません。それを貴方が承知すれば、ナニ常識に欠けたことは言いません。」
 伯爵は断固として「ここは私の桟敷です。暴言を放てばつまみ出します。」
 武之助;「一人では出て行きません。一緒に出ましょう。」

 いよいよ喧嘩が物になった。武之助は万人の目の前で、伯爵の顔に手袋を叩きつけるつもりで、脱いで握り締めている。
 伯爵;「分かりました。何でも間でも喧嘩を売る積りですね。よろしい。しかし野西さん、大勢の前でそのような事をするのは、品格にも関しますから。」
 言う声の切れないうちに武之助は、手袋を振り上げた。伯爵の顔めがけて叩きつけようとする一瞬間に、彼の手は森江大尉に捕えられた。

 伯爵;「イヤ、私を立腹させ、喧嘩の相手にならせるには及びません。何もわざわざ手袋を叩きつけるには及びません。それだけで沢山です。私は実際に顔に手袋を叩きつけられたものとみなして、お相手になりましょう。」
 満場の視線は再びこの桟敷に集まったけれど、その中に子を気遣う熱心な母の眼が籠もっているとは誰も知らないところであった。

第二百十三回 終わり
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