巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu220

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 7.23

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百二十回、『死の前夜』(一)

 巌窟島伯爵ほどの大決心をもって大計画を実行してきた人が、その計画が最早九分九厘(99%)まで漕ぎ着けた今となって、自分の命を捨てると言う気持ちになれるものだろうか。けれど、伯爵は命を捨てなければならない破滅に立ち至った。

 実に伯爵の煩悶は見るにも哀れである。暗い静かな書斎の中で、一人地団太を踏むようにもがいている。いくらもがいても外に道は無い。決闘の相手野西武之助の命を許すには自分が空砲を放って武之助に殺されるだけである。我命に代えなければならない。ああ彼がごとき、なすことも無い一少年の命に、天地の大任務を負うと信じる我一命が代えられようか。否、否、と言ったところで代えるほかは無い。彼に殺されるほかは無い。これが確かに自分のこの口で露子夫人に約束した言葉の意味である。

 やがて伯爵は、深い深い絶望のために、もがく力も無くなった。部屋の一方にある長椅子へ、尻餅をつくように身を持たせかけた。そうしてむなしくため息をついた。こうなると又もさまざまな感慨が胸に集まるだけである。今が今までこの身に天の助けと神の許しとが籠もっていて、どの様な難しいことでも総て、自分の思い通りになると信じ、実際人間業にはとは思われないほどの大業を成し遂げて来たのに、今となって天意神心はなぜ私を見捨て、このようにつまらない障害に躓かせるのだろう。

 天の助け、神の許しと自分が信じたのが間違いだろうか。やはりこの世は神も無く慈悲も無い罪悪跋扈(ばっこ)《はびこる》の世界だろうか、もしそれならば、誰が私の身を泥埠の土牢から出ることが出来るように仕向けてくれたのだろう。何のために私をモント・クリストの島に着かせ、限りも無い宝の持ち主としたのだろう。天の意を行うためでなければこの宝は何のために、はたまた何の道に使うべきものだろう。

 イヤイヤ、天の意は明らかである。確かに私に天が裁判を託されたのだ。人間の悪を懲(こ)らして、善を勧めよと命ぜられたのだ。けれど、私にその神意天命を遂げさせるだけの力も無く、つまらない愛のため、情のために心を動かし、踏むべき道を自分から踏みはずしたために、神は罰として私からその天の助けを取り上げて、今ここに、私が死ぬ以外にないこの破滅に立ち至らせたのだ。

 こう思えば最早仕方が無い。ただこの天罰に服し、天助神佑(しんゆう)《神の助け》をむなしくしたこの意気地の無い一命を天に返すだけである。それにしてもただ悔しいのは、なぜ私の心の底に、情というような弱い心が潜んでいたのだろう。何ゆえに昔の愛に、イヤ愛ではない、愛は既に忘れたのである。忘れたけれど、昔愛した女の情願のためについ動かされるような情けない弱みがあったのだろう。それを知らずに、自分のこの心をば、全く天に代わるのに耐えるまでに、練り固め鍛え果せたものと信じていたのが自分の愚かさであった。

 それからそれと恨みは尽きない。そのうちに又もふと思い出したのは、露子夫人が余り易々と私の言葉を受け引いた様子の怪しさである。私が死ぬというや否や、夫人は直ぐに打ち喜び、ほとんどそれなら死ねといわんばかり様子で立ち去ったのだ。いくら母の情でわが子が助けられるのがうれしいからと言って、人がそのために死ぬというのを、良いことのように思い、何の辛さをも感じずに、人をわが子の身代わりに立たせることが出来るものだろうか。

 お露と言ったその昔は、決してそのような、意地悪な卑怯な根性ではなかった。確かに人間の中の神で有るかと思われるほど慈悲深いところのある心根であった。いかにその後、人の妻となり人の母となり、心の持ち方が違ったにしても、私を自分の子の代わりに死なせるのを当然の事のように思うとはあんまりである。あんまりなことで事実とは思われない。

 勿論人のために身を犠牲にするというのは善事には違いないが、善事でも度を過ぎれば罪悪となることがある。私がこれだけの大計画を抱えていながら、それを捨てて人の身代わりにに立つとは、返って罪悪というものではなかろうか。その罪悪を私に強いる露子夫人のすることは更に思い罪悪ではないだろうか。よもや夫人が罪悪を知っていて喜ぶはずも無いだろうにと、全く見込みの無いところまで見込みをつけて、何か自分のために都合の良い道理は出てこないかと求めるのは、死ぬ人の未練というもので、何事も心得ている伯爵のごときですらも、なお逃れられない所と見える。

 未練、今となっていくら繰り返しても何の意味があるだろう。けれど、この未練は又一つの考えを探し出した。アア分かった。露子夫人は決闘の間際になり、この身と武之助との間に割って入り、自分が双方の弾丸を受けて死ぬか、そうでなければ決闘を止めてしまう積りであろう。

 そうだ、それに違いないと思い始めると同時に、伯爵の心にはかすかに一道の希望が浮き出ように思われたが、又たちまち消えてしまった。エエ、そのようなことをされては、私の折角の決心がまるで芝居じみてしまう。いけない。いけない。巌窟島伯爵とも言われるものが、相手の母が止めに来るのを見込んで決闘に負ける約束をしたとあっては、物笑いの種というもの。

 私は辛い思いで、身を犠牲にする考えを定めたのに、それがかえって物笑いとは、自分の名に泥を塗るのだ。それよりは、そうだ、もそもそのようなことがあればその場で手早く自殺するのが良い。自殺してせめて自分の名前だけでも、汚れないようにしなければならない。

 ようやくここに思いは決まった。それにしてはその経緯とその決心が良く分かるように私の遺言の中に特別に書き入れて置かなければならない。死んだ後で人が見れば、なるほどこうも辛い決心をしたのかと、たとえ感心はしてくれないまでも、私を物笑いの種とはしないだろうと、一人つぶやいて身を起こし、机に向かって紙筆を取り上げたが、このとき又も部屋の外で、女の絹服の音かと思われるかすかな物音が有った。けれど夜は早や一時を過ぎて、人が入ってくるはずが無い。伯爵は少しも物音に気がつかなかった。

第二百二十回 終わり
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