巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu224

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 7.27

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百二十四回、『決闘場』(二)

 森江大尉は先方の介添人砂田(いさだ)、猛田(たけだ)の前に進みしかるべく挨拶をした。そうして武器、その他一切の準備を検査したが、いずれもこの様なことに慣れた人たちのしたことなので少しも非難すべきところが無いが、しかし、ただ当人である野西武之助が未だ見えない。

 「野西君は何処に居ます。」と大尉は聞いた。
 猛田;「もう来る頃です。」
 砂田伯(いさだはく)は時計を見て、「ナニ今は八時五分過ぎですから、大して約束の時間より送れたというわけでは有りません。」と武之助の遅刻を弁護するように言い、そうして更に町の方を見、「ソレ、あそこへ早や馬車が来ました。」と指差した。

 全くその通りである。町の方から一輌の馬車が来て、一同のそばに近寄り、中から一紳士いや二人の紳士が現れた。見れば武之助ではなく、出部嶺と毛脛安雄である。一同怪しんで顔を見合す間に両紳士は進み来たり。「我々は今朝早く野西武之助君から手紙を得、ここに出張してくれと頼まれましたので、この通り来たのですが、未だ決闘は済みませんか。」

 決闘の場へ、介添人のほかにこの様な友人を呼び集めるとは奇怪である。けれど森江大尉が第一に理解して「アア、分かりました。彼は昨夜も我々を劇場に呼び集めましたが、その時は自分が巌窟島伯爵を侮辱する様子をなるべく多くの知人に見せたいとの心でした。今朝も決闘の実際をなるべく多くの知人に見てもらいたいのでしょう。」
 猛田、砂田も納得して、「なるほどそうです。」と一斉に返事した。

 この様な折りしも、又町の方から馬に乗った一紳士が近づいて来た。今度は全くの野西武之助である。砂田伯はその姿を見て、「エエ、ピストルの決闘に、馬に乗って馳せてくる奴があるものか。昨夜あれほど言って聞かせて置いたのに。馬などでは降りた後でも手が震えて充分の狙いはできない。」と気遣わしく罵(ののし)るのも友人の心情と言うものだろう。

 猛田も同じ思いと見え、「ソレに彼は、白いシャツの胸板を剥き出して、あのような服装では、敵のために胸へ的を懸けているのも同様だ。」と言ううちに武之助は馬を降り、、一同のそばに来たが彼の顔色はその服装よりも更に気遣わしく思われるところがある。

 あたかも昨夜一夜を心配に明かしたように両の目がはれている。決して勇士の決闘に臨む状態ではない。しかし彼は踏む足も確かそうに進み出でて、非常に厳かに、「イヤ、介添人を初め知人諸君が私のために早朝よりここに集まられたのは深く感謝しなければなりません。謝した後で私は巌窟島伯爵に一言申し述べたいことが有ります。」

 決闘の間際に当人同士、語を交えると言うことは余り良い方法ではない。森江大尉は猶予せずに、「ソレは謝絶します。昨夜貴方は伯爵を侮辱するためにわざわざ知人を呼び集め、今朝も又知人の前で伯爵を罵るのですか。」
 武之助;「イイエ、罵るのでは有りません。兎も角伯爵に合わせてください。」
 言ううちに早や伯爵は自ら進み来て、武之助の目の前から二間(3.6m)ほどの所に立った。

 伯爵の顔色も、武之助に譲らないほど悪い。日頃血色の青い人が、今朝はますます青く、ほとんどこの世に暇(いとま)を告げる人かと思われる。実に一同は意外の感じがしてならない。この両人の決闘こそは、他に類の無いほどに勇ましくかつ立派に行われて、後々まで話の種となり、介添人まで形見の広い心地がするだろうと、ひそかに期待していたところとは全くの反対である。

 けれど、もし良く伯爵の心を知ればその顔色の悪いのは無理も無い。決闘のためにここに来たのではなく、自殺のために来たのである。決闘には勝つ見込みもあるが、自殺には逃れる道が無い。自分は敵が一弾を放つ前に我と我ピストルで、我心臓を打ち抜くのだ。

 しかもそのために今までの我大事業がどの様になるかと思えば、水の泡に帰することはさて置き、物笑いの種に成りかねないのだ。いくら勇気を鼓舞して断念しても、真に断念することは出来ない。

 省みて二十年来の艱難辛苦を思えばただ情けない限りである。随分世には辛い悲しい地位に立つ人も有るけれど、この身の今のような場合に立つ人がまたとあるだろうか。昔、泥埠の牢の中で、絶望に死を求めた時の心も今に比べたら辛いとするには足りない。

 その辛さを人に悟られるのも辛い。ただ決闘の時刻の、イヤ自殺の時刻の一刻一刻に近づくにつれて、伯爵の胸の中は八つ裂きにせられるごとくである。今ここに歩み出て武之助のそば近くに進んだのも、実に最早身の置き所さえないほどに感じられるためである。自分の態度や自分の顔色などは更に顧みる暇(いとま)が無いのだ。

第二百二十四回 終わり
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