巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 7.31

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百二十八回、『我が家からの落人』

 武之助が母と共に読み下した巌窟島伯爵の手紙は下のごとくである。
 『親友武之助よ、私は貴方が母御と共に住み慣れた家から立ち去ろうとしているのを知った。いかにして知ったのかと怪しむ事なかれ。兎も角知ったのだ。家を去って貧苦に身を投じようとする貴方の覚悟は健気(けなげ)ですが、母御にもその貧苦を共にさせようとするのは余りにいたわしい事ではないでしょうか。失礼ながら私の言葉を聞きなさい。今から二十五年前、私が或る商船に乗り込み、永い航海から帰った時、私は前から許婚の仲だった最愛の一婦人に結婚資金のように贈るために、三千円(現在の五百十万円)ほどの金を持っていたが、船乗りの身の危険をおもんぱかり、兎も角その金を私が父の住んでいたマルセーユ、アリー街の家の庭に埋めました。庭の片隅に私の父が手づから植えた柏の樹、今は見上げるばかりに生い茂っているが、その根の所こそ金のある所です。私は近頃、その地を通り、今もなおその金が存するかと思い、ひそかに立ち寄って掘って見たところ、金は鉄の箱に入ったまま無事に有りました。武之助よ、その家は貴方の母御が良く知っています。私はその時には、その結婚資金をその最愛の婦人に贈ることが出来ないのを恨んだとはいえ、今は多くの悲しむべき変遷を経て、なおその金を同じ目的に用いたいと思うところです。武之助よ、今の私は人に百万、千万の金を贈るのも自由に出来きますが、しかし、それが自由に用いることが出来なくて僅かに、昔の三千金を贈るに止めざるを得ない事情の辛さを察して下さい。この三千金は正常に貴方の母御のものです。武之助よ、貴方がもしこの金を辞退するようなことがあれば、それはあまりに狭量です。特に母御の生活を奪うことになります。この金は即ち貴方の父のために、老いたる父を飢えに死なされた不幸な一人の贈り物であることを思い、その人の哀れむべき心情を察してください。これを察せ無くてこの贈り物を拒絶するような冷酷な振る舞いをすることは無いように。』

 要約すると、マルセイユに行って母と共々にその金を掘り出して母の生活費に当てよとの心に帰するのだ。三千円は僅かな額ではあるけれど、贈る人の情けは際限が無いとも言うべきもの。特に母子の今の境遇としてほとんど無くてはならない金である。武之助は読み終わって母の返事を待った。母は手紙を悄然として肌に納め、そうして非常に静かな言葉で、「ハイ、この贈り物を受けましょう。昔は婚礼の元手となるはずであった金が今は尼寺に入る元手となるのだ。」言い終わって淋しそうに笑みを浮かべると共に、なにやら露のようなものが眼から一粒落ちた。

 けれど、思いに沈んでいる場合ではない。裏門には馬車が待っている。母と子と無言のままで手を引き合い、静かにこの部屋を立ち出でて二階を降った。我が家からの落人である。差して行く先は兎も角マルセイユにあるアリー街に到るのだろう。

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 話を少し戻す。巌窟島伯爵は、江馬、森江の両人と共に、馬車に乗って決闘場を引き上げたが、パリーの入り口まで帰ると、道の傍にあたかも番兵のように家扶春田路が直立していた。伯爵は手早く車から降り、彼に何事か指図し、彼が心得て一散に馳せ去る後姿を見て、再び馬車に返ったが、間もなく江馬の方は速く家に帰り、気遣って待っている妻緑に決闘の無事に終わったことを告げて、安心させたいと言い、分かれて去った。

 伯爵は森江と馬車の中に差し向かいとなり、彼に向かって今日は我が家に行き昼餐を共にしようと案内したが、日頃伯爵の言葉に辞退などした事が無いのに引き換え、「イヤ、今日は少しも食気が催しませんので。」と断った。伯爵は先ほど聞いたこの大尉の言葉などから思い合わせて、「オオ、軍人が食気の無くなるほど気に掛かるとは、恋か戦争の二つだと言うが、戦争は差し当たりあるはずもないし、では先刻の恋と見えますね。」

 食事より先に会なければならない約束でもありますか。大尉は正直に笑って、「そうでないとは申しません。」伯爵は大尉を子のように思うだけに、喜んで、かつ気遣い、「私はその秘密を聞きたいと所望するのでは有りませんが、もしも貴方の手に余ることがあれば、遠慮無く私に打ち明けなさい。貴方のためにはどの様にも力を尽くしますから」

 大尉も自分と蛭峰華子との間には恐ろしいほど込み入った事情が有るのだから何時有力な伯爵の助けを借りなければならないかも知れないことと信じている。「ハイ、伯爵、多分遠からず貴方のお力を煩わさ無ければならないかと心配しています。」
 伯爵;「そのような場合には、直ぐに私のところに駆けつけることをお忘れなさるな。」

 大尉は深く気強く思う様子で喜んだが、間もなく馬車が伯爵の屋敷近くに着くや否や、別れを告げて降り去った。後に伯爵はただ一人で自分の家の門まで来ると、ここに又以前の春田路が立っている。伯爵は降りて小声で、「どうだった。春田路」
 春田路;「御推量の通りです。いよいよ夫人は落ちて行きます。」

 伯爵;「息子武之助は、」
 春田路;「これも従者の見た所では落ちて行くと見え、母と同じく直ぐに部屋の取り片づけに掛かったそうです。その上二人とも何一つ持たずに」
 伯爵;「そうでなくてはならない。お前には未だ用事がある。こっちへ来い。」こう言って居間に春田路を伴って行き、手早く認めて渡したのが即ち最前野西親子が読んだあの手紙である。

 春田路がこれを持って立ち去るや否や、あたかも待っていたようにこの部屋に鞆絵姫が入って来た。伯爵も姫の嬉しそうなのと同じように嬉しそうに決闘の無事に済んだことを語り、なお嬉しさの余りにか姫の取られたそうに差し伸べる手を取って、「もうこれからはどうか貴方を心配させないようにしたいものだ。」と言えば、姫はあどけなく、「今度、昨晩のようなことがあったら、私は何も申さず死んでしまいます。」と答え、限りなく親しそうに見えていたが、ここへ今度は執事波布池があわただしく来て、「野西さんがお出でになりました。」と伝えた。

 伯爵;「野西とは武之助の方か。」
 波布池;「イイエ、野西将軍です。」
 将軍がここへ来たとは死に物狂いに最後の大言い争いのためであるとは聞かなくても分かっている。

第二百二十八回 終わり
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