巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu231

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 8.3

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百三十一回、『将軍と伯爵』(三)

 なるほど何もかも知り合った間柄である。将軍の妻子さえ知らない事を伯爵は知っている。将軍はこの様に面と向かって自分の旧悪を数えられて、あたかも熱鉄をもって額に自分の罪名を焼き付けられた様に感じた。

 それにしてもここまで我旧悪を調べ上げているこの巌窟島伯爵は何者だろうとの疑問が起こってならない。「オオ、悪人め」と将軍は叫んだ。そうしてさらに「私と命のやり取りする間際に、私の身の恥を数え立てるとは、エエ、貴方は何者です。この頃初めて会ったのではなく、多分昔どこかで知り合った人とは思いますけれど、貴方が私を知っているほど私は貴方を知りません。貴方は、貴方は、」と言い、鋭く伯爵の顔を見つめたけれど、なお思い出さすことが出来ない。もし思い出したならどうだろう。

 敵を何者と見破ることが出来ない悔しさに将軍は又絶叫した。「知っています。知っています。貴方は悪魔の灯火をもって私の暗い履歴をことごとく読んだのです。けれど、私の履歴は恐らく貴方の履歴ほど汚くはないでしょう。貴方はこの国では巌窟島伯爵と自称し、イタリアでは船乗り新八と言い、マルタ島では又何とか別な名前を用いていました。栄華と贅沢に人の見る目もまばゆいほど身を飾り立てたててはいても、私より以上の正直な人では有りません。この数々の偽名のほかに必ず本名があるでしょう。その本名をお名のりなさい。
 私は貴方の胸を長剣で刺し貫いた上で、小気味良く貴方の本名本姓を呼んで、引導を渡さなければ気が済みません。サア、決闘の前に、本名を、本姓を、」と言って詰め寄った。

 これこそ伯爵が待ち受けていたところである。伯爵の顔は青いながらも青い火の様に照り輝き、眼も熱心に燃えているかと疑われた。「心得ました。」とただ短い言葉を残し、急いで次の間に退いた。これは何のためであろう。将軍が少し怪しんで待つ間もなく、伯爵は次の間で慌(あわただ)しく自分の衣服をむしり捨て、前から準備してある水夫の服を着け、水夫の帽子を戴き、全く二十五年前、商船巴丸に乗ってマルセイユに帰った時の姿となり、そうして水夫の癖をそのままに胸に手を組、帽子の下からは長い黒い髪に毛をはみ出させ、雀躍(じゃくやく)《こおどりして喜ぶこと》に踊るばかりの勢いで将軍の前に現れた。

 将軍はなおも理解が出来ないまま、この様子を見ていたが、見るに従い、少しずつ納得が行き始めたと見える。真に暗夜に幽霊にあった人でも将軍のこの時の有様ほど顔に恐れを現すことはできない。伯爵が一歩進めば将軍は一歩退き、一歩又一歩、ついたじたじと後ろによろめき部屋の真ん中にあるテーブルに到ってようやくに身を支えた。けれど、その足はその身を支えるのを拒むように震えている。

 伯爵は若々しい声で、「将軍よ、イヤ、次郎さん、次郎さん、私は数々の偽名の中で、ただ一つの本名本姓を名乗りましょう。これを名乗れば貴方も必ず納得するでしょう。イヤ名乗るまでもなく、もうそろそろ思い出したでしょう。二十年に余る艱難辛苦に私は年こそ取りましたが今は多年の心願成就して復讐のときがきた嬉しさに、昔貴方に分かれたときの顔に若返りました。良く御覧なさい。この顔を、いくら貴方が悪人でも、私の許婚お露を妻として以来、私の顔を夢に見て寝覚めの悪かった朝もあったでしょう。この顔にうなされた夜もなかったのですか。」

 暗闇に響く鬼の言葉でもこうまでは物凄くは聞こえないだろう。将軍は最早退くにも場所が無くなって、徒(いたずら)に首だけ後ろにそらせたが、ようやくにして壁を探り、倒れ掛かる身を支え支えて、部屋の出口のドアの方ににじり寄った。その間も絶えず口に何事をか言っているけれど、のどが渇き尽くして声を為さない。出口の所まで到った時、初めて声となって伯爵の耳に聞き取る事が出来た。それは、「アア、団、友太郎、友太郎」と言うのであった。

 そうして到底人間の声とは聞こえない呻(うめ)きを残して転がるようにここを逃げ出し、玄関に待つ馬車の所まで行って、馬車の中でむなしく二口のサーベルを番して待っている従者に助け上げられ、そのまま我が家へ逃げ帰った。ああ、我が家は今どの様な状況だろう。将軍は転倒して表玄関まで行くことが出来ない。裏門に馬車を着けた。ここには妻露子と息子武之助が落ちて行こうとする辻馬車が付いている。何の意味かは知らないけれど、ただ我一家の没落と言う頼りない感じだけが胸に落ちた。これもヤミナの城を没落させた報いとして天が巌窟島伯爵の手を借りて配剤したので有ろう。

 我が家ながらも将軍は化け物屋敷にでも入るような思いでなおも身震いしながら、二階に有る我部屋に上ろうとすると、上から足音が聞こえて来る。最早鬼胎(きたい)《恐れ》に襲われた身はこの足音にも戦(おのの)いて、そばにある小部屋に身を避けた。そうと知ってか知らずにか、この小部屋の前を通る二人は、露子と武之助である。

 露子;「住み慣れたこの家も名誉のためには捨てて立ち去らなければならない。」全く涙声に聞こえる。
 「ナニ、おっかさん、この様な汚れた家は我が家ではありませんよ。」励ますのは武之助である。声と共に早二人は階段を降ってしまった。
 母と子とのこの声は全く将軍に対して最後の宣告である。旧悪は露見する。世間からは爪弾きを受ける。到底この身を責め滅ぼさなければ止まない意外な仇敵は巌窟島伯爵と言う名をもって現れた。

 そのつまりに最愛の妻、最愛の子が、父に愛想を尽かし、我が家を我が家でないと言って逃げ去るのを聞く。これ以上の不孝というものが有得ようか。将軍は悪魔の顔付きで小部屋を出て、自分の部屋に入った。このとき裏門の外には母子を乗せた馬車のきしり去る音が聞こえた。
 母子の落ちてゆく先はどの様なところだろう。この音で何もかも終わりを告げたと知っただろう。

 将軍の部屋の中で轟然一発、何事と疑う余地の無い音がして部屋のガラスも破れ、その穴から濃い重い煙が出た。これは将軍の自殺したピストルの弾が、将軍の喉を射抜いて更にガラスを打ったのだ。流石に馬車の中の露子夫人は車窓から振り向いた、けれど、前からこうだろうと考えていた武之助が、「おっかさん、他人の家の二階など覗くのはみっともないものですよ。」と押し留めて再び後をも見ずに立ち去ったのは哀れ。

第二百三十一回 終わり
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