巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu249

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 8.21

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百四十九、『華子』 (四)

 有国医師の顔を見て問い詰めたけれど、医師は少し返事が淀んだ。これは森江大尉の余り熱心な言葉にしばし気を呑まれたものだろう。
 大尉はこの様子をもどかしいと又続けて叫んだ。「有国先生はこれを知らんと言うことは出来ません。蛭峰大検事も有国先生の知っていることを知らないと言うことは出来ません。お二人ともまだ忘れはなさら無いでしょう。米良田伯爵夫人がこの家で亡くなられたその夜、あなた方お二人はこの家の庭の暗がりで何と言いました。

 有国先生が確かにブルシンの毒をもって害せられたのだと言い、大検事の職として調査せずに置く事は出来ないだろうと迫りました。その時は誰も聞いていないことと思ったでしょうけれど、生憎(あいにく)、イヤ幸いにこの森江真太郎が木の陰に居合わせました。私は今も有国先生が蛭峰氏に迫ったと同じ様に蛭峰氏に迫ります。蛭峰氏よ、蛭峰氏よ、貴方は華子の父として、もう悲しむことは充分に悲しみました。父の役目は済んだのですから、サア、これからは大検事のお役をお尽くしなさい。

 華子が毒殺されたことを私から訴えますから貴方は大検事の職として、その罪人の捜索をしなさい。証人は有国先生と弾正です。先生、貴方は証人に成らないとおっしゃいますか。」
 有国医師は中々その様な卑怯な人ではない。今まで同じ考えをもって蛭峰を責めたことが何度と数を知れない。ついにおもむろに口を開き、「勿論私も森江大尉に同意します。蛭峰家の名誉のために少し躊躇したのが私の怠慢でした。蛭峰氏よ。私からも大検事と言う貴方の職務に対して訴えます。」

 最早どうしようもない。蛭峰は万一の逃げ道を父弾正の顔に求めることが出来るだろうかと、泣き出さんばかりの色をもって弾正に振り向いた。弾正の顔は大尉の顔にも劣らないほど怒りの色を浮かべている。
 
 こうと見て直ぐに大尉は、横合いから弾正に問うた。「貴方は毒殺者を御存知ですか。」弾正;「然り」大尉;「華子のために復讐を欲しますか。」
 弾正;「然り」
 然りと瞬きはしたけれど、何だかそのほかがまだ言いたそうなところがある。言うことのできないため、もどかしさに我慢が出来ない様子が、騒ぐ眼に充分わかっている。大尉はそれを察し、「貴方は我々三人の中の誰か一人に秘密を言いたいことでも有りますか。」この言葉は的に当たった。

 弾正;「然り、然り」
 大尉;「それは誰にですか。私にですか。」
 「否」
 「有国先生にですか。」
 「否」「
 蛭峰氏にですか。」
 弾正;「然り」

 弾正の意は尊重しないわけには行かない。大尉は有国医師の手を引き、蛭峰だけを弾正のところに残し、次の間に退いた。
 蛭峰は弾正と共に約半時間も語っていたが、ようやく話が終わったと見え、有国医師と大尉を再び引き入れ、恐ろしさに震える声で、「毒殺者が分かりました。弾正から聞きました。」

 大尉;「では直ぐに処分するでしょうね。」
 蛭峰;「勿論です。私は父弾正にも処分することを約束しました。しかし弾正の名をもって切にお二人にお願いしなければならないことが有ります。それは私が処分に着手するまで、この毒殺ということを誰にも秘密にして置いて戴きたいのです。」

 大尉;「エ、秘密に」
 蛭峰;「ハイ、その代わり私は日限まで約束します。今から一週間のうちということに。もし一週間を経て私が処分しなかったらその時には、暴露するなり、訴えるなり、御随意にしてください。」
 真に蛭峰は毒殺者を処分することが出来るだろうか。毒殺者は誰。アア誰と弾正が告げたのだろう。蛭峰の妻にあらずば、巌窟島伯爵である。

 有国医師はそばから、「立派に処分なさるのですか。」
 蛭峰は異様に眼を光らせて、「ハイ、立派に処分します。私が処分するとという日には、どの様な大胆な奴でも戦慄するほどの手段を取ります。」
 何だか自分の妻を指しての言葉ではなさそうだ。或いは弾正の口から巌窟島伯爵の名でも聞いたのでは無いだろうか。
 森江大尉の方は一週間の猶予が残念でならないように口さえ開かない。有国医師は承知した様子で先ず弾正に向かい、「一週間秘密を守ってくれということは全く貴方のお望みに違いないのですか。」
 弾正は熱心に「然り」との意を示した。

 有国医師は仕方なしに蛭峰に向かい、「全く弾正の意と見えますから、私は一週間秘密を守りましょう。」
 蛭峰は大尉に向かい、「貴方もどうぞ。」
 大尉は悔しそうに拳を握った。けれど真実弾正の意と有っては否とは言えない。顧みて弾正の眼には懇望の意が現れているのを見、そのまま身を転じて華子の枕元に座し、その青い冷たい死骸の顔に接吻したが、これが彼の我慢の果てである。彼はもう乱麻のごとく結ばれた自分の心を収めることが出来ない。狂人のように立ち、狂人の様に走って、この部屋から出て去った。真に彼の実情は察すべきである。

 彼が走り去るとき、出口の所で突き当たるように出会った人がある。それは華子の霊のために祈りに来た隣家の暮内法師に他ならない。大尉の方は気も付かずに走り去ったけれど、法師は振り向いて彼の去る姿を気遣わしそうに打ち眺めた。しかし余り見とれては顔の地金が現れるかもしれないと気が付いか、やがて神妙な顔をして、華子の死骸の部屋に来た。

 蛭峰は一礼して、「どうか、不幸な娘のためにお祈りください。」と言い、更に又、「当家には最早雇い人なども充分には有りませんから、貴方の出入りのたびに出迎えやお見送りなども出来ません。その代わりこの隠居所の鍵をお預けして置きますから、どうぞ御随意に出入りなさって下さい。」

 鍵を渡されのは法師が願っても無い幸いとする所だろう。法師は差し出すのを受け取って華子と弾正の枕元に跪(ひざまず)いた。 最早有国医師も用はないから別れを告げた。蛭峰も有国医師と共に廊下まで出て、「私はもう、気を紛らせる事でもなければ発狂します。そうだ、あの取調べ、取調べ」と叫び自分の書斎を目指して走った。しかし、蛭峰を真に発狂させるほどの大変な打撃は、今はまだ落ちてこない。追って落ちて来させるために、誰やらが手の中に握っているのだ。

第二百四十九回 終わり
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