巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二十五、二人の囚人

 やがて明かりの用意は出来た。巡視官は直ぐに土牢を指して立とうとした。
 典獄《監獄所長》;「少しお待ちなさい。囚人がどの様な暴行を働くかも知れませんから、我々は護衛のために兵卒を連れて行かなければ成りません。」こう言って牢番に兵卒を迎えに行かせた。

 兵卒が来る間に、巡視官は又聞いた。「土牢には何人居ますか。」 典獄《監獄所長》;「三十四号室に一人、ズーッと離れた二十七号室に一人」
 巡視官;「合計二人ですね。」
 典獄;「ハイ、土牢へ入れて置くような重大な罪人はそう沢山はおりません。もっとも、昔は一時に四十人も入れられたと言いますが。私が赴任して以来は、一番多い時が三人でした。時によると、一人も居ない時も有りました。」

 巡視官;「今居る囚人は名を何と言いますか。」
 典獄は漏らすべからざる秘密でも漏らすように声を低くして、「二十七号室にいるのがイタリアの梁谷法師という者です。」
 巡視官は少し驚いた様子で、「アア、かのイタリアの統一を企てた、有名な革命者がこの牢に捕らわれているのですか。先年彼が逮捕されたことは聞きましたので、勿論どこかに閉じ込められていることとは思いましたが、この牢とは知りませんでした。そして、今一人は、」

 典獄;「ハイ、今一人、三十四号室にいるのは、これも、矢張り梁谷法師に劣らない国事犯者でしょう、その筋の命令が中々厳重でした、姓は団、名は友太郎」
 巡視官;「この方は聞いた事が無い名ですね。」と言って、手帳を出して、二人の名を書き記した。これこの二人の囚人が、この長い物語の根本であることは、改めて言わなくても読む人の既に察しているところだろう。

 そのうちに、巡視官に一人、所長に一人、合わせて二人、護衛の兵士が、剣のついた銃を肩にして、牢番について来た。「サア」と言って巡視官は立ち上がった。

 土牢の入り口は穴倉の入り口のようなものである。石を畳んだ廊下から下に入るのだ。勿論廊下の入り口に重い戸があり、廊下から土牢に行く入り口に又戸がある。二重にも三重にも閉ざされている。

 第一の大戸から既に暗いところになって、第二の大戸を抜けると、早や湿りを帯びた土牢の臭気が分かる。巡視官は進みかねて、「この様な中に良く人間が生きていられますね。」と言い、ためらったが又進んだ。

 穴の底に土塊のようにしゃがんでいた団友太郎は、ただならない物音に振り向いて見ると、何時も来る牢番が明かりを持って、二人の官吏を案内している。傍に兵隊もついている。この様子では、多分一人は典獄より又上の役人に違いないと察した。早や一行がこの穴の中へ、戸を開いて入り込んでいる。

 アア、友太郎が、ただ一度典獄に会いたいと思ったのは幾月、幾回だったか。今は典獄よりももっと上の役人が来たとあっては、又とない機会である。ここで、十分の事情を述べなければ、何時の日にまた思いを遂げることが出来るだろう。

 彼は全く我を忘れて、飛び付くように巡視官の前に進んだ。二人の兵士は直ぐに友太郎を胸に剣の先を突き付けた。巡視官はこの囚人が狂人と聞いているだけに、驚き恐れて三足ほど後ろに下がった。
 巡視官;「成るほど危険だ、暴行の様子が見える。」

 友太郎はこの声が耳に入ると共に、今狂人と思われては、万事休する事と思い、「イイエ、私は狂人では有りません。暴行などは決して致しません。この牢に入れられて以来、どうか典獄《監獄所長》にお目にかかりたい、どうか聞き分けのある人に自分の事情を、唯一言でよいから陳情したいと、この牢番に言い出したことが何度有ったことか、数が知れません。

 牢番が来るたびに、それより外の言葉は言ったことがありませんのに、今に至るまで、その願いが届かず、唯この身の不運不幸を、嘆いてばかりいましたが、今は図らずも、高官と見受けられる貴方がたの来臨を得ましたから、今こそ言わなければならない時と、我知らず飛び立ったのです。どうか私が、発狂せねばならない位置に立っては居ても、未だ発狂はしていないことをお認めください。その上で、私の言う言葉をお聞きください。

 これだけの順序ある言葉を吐くものが、何で狂人であろう。巡視官は典獄《所長》を顧みて「どんな狂人でも、正気に返っている時間が有ると聞きますが、今がこの囚人の、正気に返っている時間でしょうか。」

 典獄《所長》は帽子を脱いで手に持っている。そうしてそのむき出しの頭を何度か垂れて、「そうです。そうです。発狂するほどの者は、その発狂していない時には、普通の人よりも余ほど順序を良く立てて物を言います。先刻申した第二十七号のごときも、この囚人と同じ経過でした。丁度この様な時があったのです。」

 友太郎はこの言葉でいよいよこの人を典獄《所長》と知り、今一人を典獄の上を取り締まる中央政府の人と知った。「もし私を、まだ狂人と思し召すなら、どの様なことでも問うて、お試しください。決して私の心は未だ狂っては居ないことが分かりますから。」

 言葉の中には、無限の恨みと、切に懇願するような調子とが現れている。
 巡視官:「イヤ、兎に角、今は狂人とは思はない。その方のいうことを、誠意の言葉として聞いているが、その方は食事を改善して欲しいとでも言うのか。」

 友太郎;「イイエ、食事は結構です。この土牢の中で、何年経たかは知りませんが、この通りまだ生きているのは、食事が悪くないためだとお思いください。」実に意外な返事である。外の囚人には全く例がない。巡視官は少し注意の度を増した様子で、「では、罪がないのに捕らわれたというのか。」

 友太郎;「罪があるかないか、それは取り調べを受けなければ自分にも分かりません。兎も角、一度取調べてくださいと願うのです。私は何の取調べも、何の裁判も受けずに、自分で何の為とも知らず、この土牢に入れられたのです。

 こういう訳で牢に入れるとただ一言の宣告さえ受ければ、何年牢に入れられても構いません。どうか、宣告を願います。宣告を、そうして、その上でどの様にでも処分していただきましょう。」益々異様な言い立てである。異様では有るが無理ではない。

 巡視官;「では、その方は何の裁判も受けなかったと言うのか。」
 全く裁判を受けなかった。裁判を受けずに年限も分からずに土牢の中に幽閉されている。これがこの友太郎の耐えられないところである。もし、裁判さえ受ければ、必ず自分に罪はない、釈放されるのに決まっていると友太郎は思っているのだ。

 たとえ、無罪にはならなくても、裁判を受ければ何年間禁固するという期間だけでも分かる。期限が分かればどれだけの辛抱で、苦痛が終わると自分の心で当てにすることが出来るのだ。せめて、それだけの当てでも得たい。何の当てもなく、何の期限も分からず、全くの闇の状態でこの土牢に閉じ込められて、これがどう耐えられるだろう。

 それで、彼は巡視官の問いに答えて、「ハイ、未だ裁判も宣告も受けないのです。宣告を聞く外に、私は何の望みもありません。」 実に哀れむべき望みである。巡視官も少し心を動かされたらしい。
 典獄はそれが辛いのだ。巡視官がこの囚人を狂人でないように思い、狂人でないのを狂人扱いにするのかと思われては、典獄自身のこれからの出世にも障(さわ)る。

 彼は急いで友太郎に向かい、「その方は、大層温和になったなア。この牢番を椅子で叩き殺そうとした頃は、この様ではなかったが」
 友太郎;「ハイ、あの時は入り初めで、まだ気が立っていたのです。長い入牢で私はその様な勇気もなくなりました。全く心がくじけてしまったのです。」

 巡視官;「永い入牢とはその方は何時捕らわれた。」
 友太郎;「千八百十五年二月二十八日の午後二時に婚礼の席から」 
 巡視官;「今が千八百十六年六月三十日だから十七ヵ月になったのだな。」
 友太郎は驚いた。

 「私が入牢してからまだたった十七ヵ月にしかならないのですか。私には数十年の永さに感じます。」
 巡視官;「獄中の月日は永いだろうよ。」
 友太郎は深い思いに我慢できない調子で、

 「永いはずです、私は船長になる約束を得、その上に最愛の女と結婚もすることになって、明日と言う日は、どれ程楽しいだろうと、生涯の最も嬉しい時になっていまして、それが、突然逮捕されたのです。

 その後のことがどうなったか少しも分からず、それに、日頃が限りもない広い海の上を、我が家として晴れ晴れと暮らしていた水夫ですもの、それを、この様な暗いところに入れられているとは、たとえ、どの様な罪があっても余り罰が重過ぎます。」心がそのまま、口に溢(あふ)れて出るように聞こえる。

 全く巡視官は同情を催した。黙然とはしているけれど、その様子は争えない。友太郎は力を得て、「どうかお願いです。貴方のお力で、裁判を受けられるようにしてください。」
 巡視官;「私の力で直々にお前をどうこうすることは出来ないが、兎も角、何とかしようのあるものかないものか調べて見よう。」

 友太郎は平伏して、「ありがとう御座います。」真に巡視官の一語がどれ程彼に有り難かったか知れない。
 巡視官;「シタがお前は捕らわれて誰の手にかかった。」
 友;「蛭峰検事補の手にかかりました。あの方にお聞きくだされば」
 巡視官;「蛭峰氏は既にツーローンに転任した。今は聞くにもこのマルセーユには居ない。」

 友太郎は納得が行ったように叫んだ。「それで分かりました。あの方が居ないから私はこの様に捨てて置かれているのです。アノ方が居てさえくれれば、。。。」アア彼は未だ蛭峰を恩人か何かのように思っている。この言葉をもし、蛭峰に聞かせたら、彼は死ぬほど深く恥じても足りないほどに気が咎(とが)めなくてはならないだろう。

 巡視官;「蛭峰当人は居ないにしても、何かお前のことについて書いたものがあると思うが。蛭峰の書いたものなら全く信用してもよいのか。」
 友;「ハイ、あの方が私の件に付いて書いたものなら、少しも間違いはありません。全くお信じ下さってよいのです。」
 この言葉がどれ程自分の身に害になるのか、知らないのが情けない。

 巡視官は納得した様子でこの室を後にした。典獄《所長》も兵隊も、牢番の持っていた明かりも一時に去って、室は元の通りの闇にはなったが、その中で友太郎は、幾らか明るいところが出来たように感じた。今までは全くの絶望、全くの諦(あきら)めで居たのだが、今は或いは助かるかも知れないとの、望みが出来た。大いに過ごし易いような気がした。

 けれど、未だ知らないのだ。生なかなこの望みの出来たのが、どれ程辛さを増すかも知れない。遂げられない望みを抱くことが、絶望と諦めの辛さよりはるかにひどい。可愛そうに彼友太郎は又この望みが出来たために、境遇が一層切に苦しくなるのだ。遂げられない望みと知らないで居るうちが幸いさ。

 典獄《監獄所長》はここを立って、幾間(数m)進んだ後、巡視官に向かい、「今の囚人に関する記録をお調べになりますか。」
 巡視官;「勿論調べます。けれど、今一人の囚人を見た上で、ここを出ましょう。一度出ては、とても再び入って来る勇気は起きませんから。」
 実にその通りである。たとえ、巡視のためとは言え、誰が二度とこの暗黒で陰気な湿り臭い所に入って来る気に成るものか。

 典獄《所長》;「次の囚人は余ほど奇妙な発狂です。」
 巡視官;「先刻お話の梁谷法師でしょう。」
 典獄;「そうです。彼は発狂して依頼、獄中の苦痛を感じない事になった様子で、暴れもしなければ、訴えるごともせず、そうして、体などもズーっと太って来ました。」

 巡視;「そうですね。この様な土牢に居る者は、発狂して何事も知らず、感ぜずというようになるのが余ほど幸いでしょう。、ですが、梁谷はどの様な発狂ですか。」
 所長;「実におかしいですよ、彼は牢の外に莫大な宝を置いて来たように自分で思い込んでいるのです。その中の百万円(現在の三十六億円)だけ政府に分けてやるから、どうかそれで自分に自由を売ってくれと言うのです。

 巡視官;「成る程、百万円償金を出すから釈放してくれと言うのですね。」
 典獄;「そうして、その額が年々上がるのです。初めの年は百万円と言い、次は二百万円だけ差し出すと言い、三年目は三百万円分けるからと言いました。今は五年目ですから、貴方が行けば必ず、秘密の面会を願い出、五百万円だけ差し出すからと言いますよ。

 いや、その言い方がいかにも熱心で、いかにももっともらしいから奇妙です。」と言う内に早やその室に着き、牢番に戸を開かせて、一同その中に入り込んだ。中の囚人は果たしてどの様な人だろう。

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