巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 8.29

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百五十七、『獅子の穴』 (二)

 面会室に入りながらも弁太郎は胸を躍らせた。面会者は誰だろう。この身の保護者に違いない。叱らずばその使いである。
彼は面会室に入ってその人を見た。薄暗いけれども顔は分かる。自分が幼い頃から育てられた養父春田路である。弁太郎は、「ヤ、貴方ですか。」と驚いた。

 驚くのも無理は無い。初めから巌窟島伯爵が、春田路が自分の家に雇われていることを弁太郎には知らせていない。もし、知らせてはどの様な疑いを起こして、事の妨害を醸(かも)し出すかもしれないと思ったのだ。そのために最初オーチウルの晩餐会の時には春田路には弁太郎を見せたけれど、弁太郎には春田路の姿を見せず、間もなく春田路をノルマンデーの別荘に送り、更にその他に多く地方に出る用事を言い付けて互いに掛け違わせるようにして置いた。それだから弁太郎は今だ春田路が伯爵の雇い人とは知らず、どうしてここへ面会に来たのかと先ず怪しく思ったのだ。

 春田路は落ち着いた調子で「何も驚くことは無い。子が牢に入れば、父が見舞いに来るのは当たり前ある。」と答えた。「でも私がここにいることをどうして知りました。」
 春田路;「新聞に出たのだもの。誰だって知っているわ。」こう言われては根も葉も無い。けれど弁太郎はまだ疑いが解けない。我が身のような囚人に面会を求めて許しを得るのは容易なことではないのだから、何でもよほどの勢力ある人が、内々運動してこの面会を仕組んでくれたのだと思い、念のために振り向いて戸口を見ると、厳重に見張っているべきはずの番人も見張っていない。いよいよ番人にまで鼻薬が届いているのだ。これだけに手が届くのは、巌窟島伯爵でなくて誰だろう。

 何でも伯爵の手先に使われているに違いないとの疑いが早や鋭い彼の心に起こった。「だけれど、誰かに頼まれて来たのでしょう。」春田路は笑った。「誰が貴様などのために、頼むようなことをするものか。父なればこそーーー。」
 弁太郎;「イヤ、違います。貴方の力ではこの様な面会の道は開けません。知っていますよ。何でもエリシー街の伯爵が」と俗に言う鎌をかけて探った。

 春田路は少し驚いたけれど、平気の様子で、「俺はその様な人は知らない。」
 弁太郎;「知らないはずは有りません。今の世に巌窟島伯爵を知らない者が何処に在ります。」
 春田路;「その伯爵がどうしたと言うのだ。」
 弁太郎;「今まで私を保護してくれたのです。今でも保護して居てくれればこそ、貴方が面会に来る事になったのです。ねえ、そうでしょう。私は巌窟島伯爵をお父さんと呼んで好いのでしょう。」

 春田路は怒った。「とんでもない事を言うな。罰がが当たるぞ。」
 言葉の厳しさでいよいよ伯爵の回し者と見て取られる。
 弁太郎;「では私のお父さんは誰ですか。」
 春田路;「俺よ」
 弁太郎;「貴方は育ててくれたお父さんです。私の実の父は」

 春田路は初めの剣幕ほど怒りもしない。かえって辺りを見回して声を潜め、「実はな、俺はもう貴様が死刑に処せられると決まったと思うから、せめてはこの世で、実の父の名前だけでも知らせてやりたいと思って来たのだ。貴様は本当に不幸な奴だ。俺が拾い上げるまでに様々なことがあった。それさえ知らずに、ナア、自分の身が何者で、どの様にして世に出たのかも無我夢中で、殺されてしまうとは、あんまり可愛そうなわけだから、俺は何もかも知らせてやりたいと思い、アア貴様とても、何も初めから罪人として生まれたのではなかろうに、イヤ、イヤ、やはり貴様は罪に生まれた罪の子というものかもしれない。」

 嘘か誠か知らないけれど、春田路の目には涙が光った。弁太郎は熱心に、ほとんどしがみ付くように、「どうか知らせて下さい。私は殺されても構いませんから、知らせて下さい。」
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 かくて春田路が何を弁太郎に知らせたかは分からないけれど、さても、この弁太郎を裁判に附するためその罪状を取り調べている蛭峰大検事の様子は又見物である。彼は華子の葬式が済んで以来、書斎に閉じ籠もったまま、妻にさえ顔を見せない。時々裁判所や警視庁へ使いを出して書類をとり寄せたりはするけれど、その暇さえ待ち遠しそうである。「何でも、これを調べれば、巌窟島伯爵へ関係が出てくるのだ。」とは彼の最初に断言した所である。

 三日三夜、彼は調べ続けた。調べては書き、書いては調べ、ついに立派な論告署を作り上げた。けれどまだ満足しない。その煩悶の様子は、調べに着手した初めの時と少しも変わらない。イヤ初めよりは一層甚(はなは)だしい。

 「アア、この様なことでは俺はついには発狂する。しかし弁太郎の罪跡が明々白々だから、後は裁判所で彼に白状させれば好い。彼の白状の言葉を捉え、又綿密に突っ込めば彼のことまで分かるだろう。そうだ。それならばこうまで心配するには及ばない。けれど待てよ、この裁判はこの身にとって、ほとんど生涯の大戦争だ。自分の身にも非難の無いように万に一つも間違いのないようにしておかなければならない。アア、実にこの様な事をーーーーこの様な妻を、イヤ妻とて容赦は出来ない。もうこの通り世間の疑いも妻に掛かり、のみならず争われない多くの証拠が有る上は、大検事の職として、何で捨てて置かれるものか。」

 弁太郎に対し、巌窟島伯爵に対し、はたまた自分の妻に対しかれは三様に煩悶していたのである。けれど、心は決したと見え、卒然(そつぜん)《突然》と立って妻の部屋に入った。この部屋には妻が息子重吉を遊ばせている。直ぐに蛭峰は重吉に向かい、「少し外へ出て遊んで来い。」と言い渡した。その語調が顔の曇り方と共に一通りではない。腕白な子だけれど、一言の答えも無く、ただ恐ろしそうに父の顔を見返ったまま、外に出た。後に蛭峰はムズと妻の手を捉えた、そうして夫の口調で無く、大検事という厳かな口調をもって、「貴方は何時も使用する毒薬を何処に隠して在りますか。」

 ただならない言葉に妻ははや顔色土のごとしである。「エ、エ、何と」問い返す声も喉に支えるように聞こえる。蛭峰は更に激しく、「エ、何時も使用すると言えば分かるでしょう。米良田伯爵を殺し、その夫人を殺し、忠助を殺し、華子を殺したその毒薬を貴方は何処にしまってありますか。」
 凛として侵しがたい、真に秋霜烈日のごとき言葉とはこれである。

第二百五十七回 終わり
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