巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百五十八、『死刑台か毒薬か』

 「何処に毒薬を隠して有る。」と、最早弁解も遁辞(とんじ)《逃げ口上》をも許さない言葉である。全くの詰問と言うものなのだ。夫人は答える所を知らない。ただ僅かに「貴方は何をおっしゃりますか。」少しでも的面(まとも)に立つのを避けたいともがいた。

 けれど避けさせない。蛭峰は一層冷ややかな惨(むご)い言葉で、「ナニ、夫人、貴方は問うのではありません。私の問いに答えるのです。何処に毒薬を隠して有りますか。」夫人はのっぴきならない《押すことも引くことも出来ない》。又もがいて問うた。「答えるとは夫へですか。大検事へですか。」
 蛭峰;「大検事へです。大検事蛭峰へです。」
 夫人は真に逃れられない時が来たと知った。唇までも青くなった。けれど答える言葉は出ない。「それは貴方―――それは貴方」恨めしそうに呻(うめ)くのがやっとである。

 「その様なことを言わずにお答えなさい。」と蛭峰は見るも恐ろしいほどの顔をして責め、更にその顔よりも恐ろしく見える笑みを浮かべて、「アア、返事が出来ないのですね。」腸(はらわた)に手を入れて探るような言葉である。
 なおも返事は無い。ただ見開いた目で部屋中を見回すのみである。
 蛭峰;「四人も人を毒殺して、その毒薬のある所を忘れたと言うのですか。」
 夫人は初めて言葉を発することが出来た。「そう厳しくおっしゃらないで、どうかお察し下さってーーー。」

 蛭峰は皆まで言わせない。「まだその様な卑怯なことを言うのですか。コレ、お聞きなさい。四人まで人を殺すには余ほどの覚悟が無くてはなりません。もし、発見された時はこうと。勿論自分の死ぬことは知っているはずです。今はどうしても逃げられない時が来ましたか、サア、五人目です。五人目を殺す毒薬は何処に在ります。貴方は五人目が誰だということも理解できないのですか。末の末までもこの恐ろしい罪を企むほどの心をもって、最後には誰を殺さなければならないと言う考えが無かったのですか。イヤ、そうは言わせません。必ず最後の毒薬イヤ人に用いたのよりなおきつく、なお早い、なお確かな毒薬を自分のために取ってあるのではないのですか。それだけの用心を忘れましたか。サア、最後の毒薬を、最後の毒薬を。」

 明らかに自分で飲んで自殺せよとの言い付けである。夫人はまったく理解した。理解すると共に、俄破(がば)ット床の上に平伏した。そうして拝むように両手を差し延べた。
 「アア、服罪ですね。それは駄目です。懺悔に罪が亡びると言いますけれど、大検事に問い詰められて後の懺悔では遅いのです。万策尽きての後悔で何で刑罰が緩(ゆる)まりましょう。死刑台かはたまた毒薬です。」

 死刑に処せられるのが嫌ならば毒薬を飲めと言うのだ。
 「そればかりはどうぞ許して。」
 蛭峰;「許してと言われても、許す力は誰にも有りません。四人まで人を毒殺した罪人は、国王と言えども死刑台に上ることを阻止することは出来ません。世間の人が既に疑って、既に知っている罪人は夫といえども秘密に附することは出来ないのです。死刑台に上らない工夫は、ただ毒薬です。サア、貴方は毒薬を何処に置いてあるのですか。」

 夫人はうつ伏した顔を上げもせずに、「どうか許して、お許し下さって。」
 蛭峰;「これを許せば過(か)《あやまち》となります。毒薬を逃れれば、死刑台です。貴方は死刑台に上ってこの蛭峰の家名をこの上にも汚そうと思いますか。大検事とも言われる者は、自分の身内に、少しも非難が無いようにしなければなりません。貴方は同じ死の中で、何故に、何故に。もっとも家名にかかわる方を選びます。同じ死ぬなら少しでも家の恥にならない方を何故取りませんか。サア、お選びなさい。お選びなさい。二つに一つを選ばせるだけが、せめてもの慈悲と言うものです。サア、人を殺したよりなお強い、なお早い、最後の毒薬は何処に在ります。」

 これほどまでに責めつけるとは流石に大検事であるとはいえ、実はこれより他に道は無いのだ。けれど、夫人はなお返事をしない。蛭峰は最早勘弁の糸が切れた。今までの丁寧であった語調を忽(たちま)ち捨てて、「エエ、臆病者。―――この未練者」と打ち叫んだ。ほとんど踏みにじりたいほどの様子である。「でも、貴方―――貴方の妻では有りませんか。どうぞ、どうぞ。」

 アア、こうまでも死ぬのは辛いものだろうか。この場に及んでなお逃れる道を求めている。
 蛭峰;「妻だとて承知は出来ない。」
 夫人;「重吉の母では有りませんか。」
 蛭峰;「コレ、良く聞け。大検事という職はたとえ国王と言えども罪が有れば告発しなければならない職だ。妻であろうが、子の母であろうがそのような区別はない。コレだけ言えば、もうよく分かっているでしょう。人を殺した度胸をもって、自分の身に向かうが好い。

 この上は何も言わない。私は裁判所に行くのだから、今日は大事な裁判をするのだから、遅れてはならない。私が留守の間に貴方は貴方の裁判をしなさい。もし私が裁判所から帰って来て、まだ貴方が自分の裁判を終わっていないなら、直ぐに私が告発して死刑台に上すのだから、エエ、貴方のごとき未練なやつは仕方が無い。死刑台に上るとも、その恥だけは逃れるとも、もう、勝手にするが好い。」

 真に鉄案を宣告した。そうして自分は直ぐに部屋に入り、直ぐに支度をして裁判所を目指して行った。これは弁太郎の裁判のためである。どの様に裁判してどの様に帰ってくるのかは分からない。

第二百五十八回 終わり
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