巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu26

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 1.10

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二十六、例の五百万円

 梁谷法師、梁谷法師、この名高い人の名は、歴史を読んだ人は知っているはずである。
 イタリアと言う国を一つの国家に固めてしまったのは、誰もがガリバルデやカブールの手腕によると思っている。けれど、その前にまだ人がいる。イタリアの統一を唱えた人と、その統一の実行を試みた人が、即ち梁谷法師がその一人なのだ。

 極(ごく)古い所では、有名なマキャベリ、これは統一論者で、次は毒殺とか毒薬と言う事の元祖のように思われているシ-ザー・ボルジォ、これは統一の実行者である。これらの人々の頃から計画されていることを、梁谷法師がやり掛けて失敗し、ガリバルヂやカブールが受け継いで成功したのだ。成功すれば英雄豪傑、失敗すれば唯の人、イヤ唯の人よりももっと劣る。牢の中で死んでしまうのだ。これを思うと哀れなものだ。

 けれど、彼梁谷法師は失敗しても唯の人ではない。彼が宰相スパナダの後裔(こうえい)《子孫》たるスパナダ家の書記生からどのように身を起こしたか。彼の辛抱、彼の奮発、彼の知識、彼の学問、到底他人の及ぶと事ではない。特にその道徳も堅固であった。そうして、法師の身ながら、政治のことを憂慮する。

 恐らくは日本の日蓮にも比すべき人だったのだろう。たぶん、その様な生まれ付であったのに違いないが、ただ途中で躓(つまづ)いたところを、直ぐに捕らえられて、土牢の底に埋められ、再び世に出で、元のままの仕事を継ぐと言うことが出来なかったので、持って生まれた半分の腕前も人に認められずに終わったのだ。

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 それはさて置て、巡視官がこの梁谷のいる土牢に入った時、この法師は壁の崩れた赤土で、石の床の上に丸い輪を書き、その中に幾何学の線を引いて、一生懸命考えていた。巡視官の足音にも気が付かない様子であった。一体牢の中の人が、線を引いたり、角度を計算したりするのは、ややもするとその実、壁の厚さを測量したり、建物の中の屈曲を考えたりしているもので、牢屋ぶりの下地であると通例の典獄《監獄所長》ならば見て取るのだが、

 この泥埠(でいふ)土牢ばかりは、到底人間業(わざ)で破ることが出来ないのだから、その様な心配はない。これを破るには地球を破るような力が要るのだ。それに、この法師が既に狂人と思われているので、なお更典獄《監獄所長》もこの人のすることに深い意味が有るとは思わない。

 しかし彼梁谷は牢番の持っている明かりが自分の書いている線の上に光を落とすと同時に顔を上げ、見慣れない高官が来たのに驚いた。驚くと同時に彼は自分が五年来着替えたことのないぼろぼろの着物を着ているのに恥じたのか、直ぐに寝台の上敷きを取って身に巻いた。ただこの一事でも彼が中々何事にも良く気が付くことが分かる。

 巡視官;「何かその方はしてもらいたい希望はないか。」と問うのに答えて、「何も有りません」これも、意外な答えである。団友太郎の返事と同じほど、巡視官を驚かせた。
 巡視官;「その方は未だ私が何者か知らないのだな。私は中央政府からわざわざ各地の囚人を視察のために派遣された者でーー」

 梁谷の眼はこの言葉に初めて興味の光を放ち、「そうですか。それでは大いに申し上げる事があります。典獄《所長》に何度言いましても人を知る目が無く、徒に狂人の言と聞き流してしまいますから。―――」

 典獄《所長》は巡視官の背を突いて、「ソレ始まります。例の五百万円が。」とささやいた。梁谷はこの様なことには気も留めず、言葉を続けて、「実は典獄以上の方が来る時を、密かに待っていたのです。巡視官が見えたのは実に千載一遇の思いが致します。」

 これも狂人にしては余りに言葉が整い過ぎている。典獄;「言葉の上手いのにだまされてはいけませんによ。」と又も小声で注意した。巡視官は軽く肯いておいて、「どうも典獄をないがしろにしての言い立ては、囚人には適当でないので、そのままに聞く訳にゆかないが、この牢の食事はどうだ。」

 法師はこの問いをいやしむ様子で、「エ、食事、どうせ料理店の様には行きませんが、まず土牢なみだと思います。その様な細事ではなく、私は、一身にも、国家にも更に重大な事件について、お願いがあるのです。」典獄は傍から、自分の予言が当たっているのを自慢する様子である。

 「いよいよ五百万円ですよ。」
 巡視官;「国家は土牢の底に居る囚人から何も重大な忠告を受ける必要は持たないだろうよ。」
 梁谷;「必要、不必要の鑑定は、お聞き取りの上で願います。兎も角、人を退けて貴方と差し向かいの懇談を願いたいのです。」

 典獄;「ソレ、ね。」
 巡視官;「その様なことは出来ない。」
 梁谷は少し失望した様子である。少しの間考えて、「イヤ、それならば止むを得ません。典獄の居るところで申しましょう。」と言い、更に言葉の調子を重くして、

 「私の言葉は一言一言皆真実ですからその積もりでお聞きください。私は或る所に、巨万の財貨を隠しています。私が牢死すれば誰もその宝を知る者がなく、遂に地中の物となってしまいます。どうか、私をその中の五百万円を政府に納めて、その賞として牢から出して頂きたいのです。」

 金高まで典獄の予想した通りなので、巡視官は心の底で笑った。「それは非常な大金だ。一体何処に隠してある。」
 梁谷;「ここからおよそ百里ほどの所です。」
 典獄は又そばから、「百里も行くうちには何度も逃亡することが出来る。今までに幾らでも或る手ですよ。」

 巡視官;「その金はお前の物か。」
 梁谷は少し言いよどんだが、「勿論、私の権利です。私より外に、その金を知る者がいなく、たとえ、知ったとしても自分の物だという権利のある人は、今はこの世に一人も居ないのです。」

 巡視官は典獄に向かい「イヤ成る程、言葉が誠しやかだ。前もって貴官の話を聞いていなかったら、全く釣り込まれるところですよ。」 
 梁谷;「私は深く宗教に帰心している法師です。私が虚言を吐くとお思いですか。」

 法師は全くの法師でも土牢の中にいてこの様なことを言うのは、余りに場違いのように聞こえる。土牢から出るためには幾ら法師と言っても虚言を吐くのを嫌うものかと、巡視官はこのように思った。

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