巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu267

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 9.8

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百六十七、『断末魔』 (三)

 世に蛭峰の不幸ほど甚(はなは)だしい不幸の例(ためし)があるだろうか。自分の旧悪は露見した。しかもパリー中の紳士貴婦人の集まっている裁判所で、その旧悪の生きた証跡とも言うべき私生児に罵(ののし)られて名誉ある大検事席からひき下ろされ逃げて我が家に帰って見れば妻は死んだ、息子は死んだ。一家一族の種が尽きてしまった。

 最早誰でもよい。生きた人の顔を見たい。生きた人の声を聞きたい。そうしなければ発狂してしまう。イヤ、もう半ば発狂しているかも知れない。彼が父弾正の隠居所へ飛び込んだ状況はほとんど発狂人の状態である。顔の色、目の色、額の筋、口のゆがみ、人でなければ鬼、鬼でなければ狂人ある。彼はこの状態で暮内法師に出くわした。「ヤ、ヤ、貴方がどうしてどうしてこの家に。」

 法師も彼の物凄い顔には流石に驚き、思わず後ろに退こうとしたが、直ぐに踏みとどまり、その上に裁判所の一条をも見て取った。最早法師も自分の本性をむき出して、彼に宣告する時が来たと思った。法師の目は忽(たちま)ち輝いた。その柔和忍辱の相はにわかに侵しがたいほどの厳格な相に変じた。そうして、キッと蛭峰の顔を睨みつけることおよそ二分間にも及んだが、やがて暑い厚い息を蛭峰に吹きかけながら大渇した。「蛭峰さん、良くお聞きなさい。今日私がここに来たのは、最早貴方に天罰が下ったと思いますから、その天罰の訳を言い聞かせてあげるためです。」

 今度は蛭峰の方が逡巡(しりごみ)した。「エ、私に天罰、そのような事を言う貴方は誰です。法師ではないのですか。確かにその声は。」
 法師;「ハイ、聞き覚えが有るはずです。この顔を御覧なさい。」
 言いながら頭から頭巾を取り捨て、顔に施した様々な仮相を拭い捨てると、黒い艶のある髪の毛が額にかかって、法師は変じて巌窟島伯爵が現れた。蛭峰は驚いたけれど、退きはしない。身を引き伸ばすようにして、伯爵の顔をつくづく見、「さては、さては、昨日まで、今日までも怪しい奴と見込みをつけ、調べを尽くして見た巌窟島伯爵。」

 伯爵;「サア、巌窟島伯爵が、巌窟島伯爵と見えますか。更にその前にさかのぼってお考えなさい。」
 蛭峰;「前に遡れば、確かにどこかで見覚えがあるその顔、聞き覚えがあるその声」
 伯爵;「そうです、見覚え、聞き覚えは、今から二十四年前です。マルセイユにおいてです。貴方が米良田伯爵家の令嬢礼子と結婚した頃のことをお考えなさい。」
 蛭峰;「さてはその頃の恋の敵ででも。」

 伯爵は、「恋の敵、恋の敵」と賎(いや)しむような口調で繰り返して、冷ややかに笑い、「ハハ、恋の敵がこれほど執念深いものでしょうか。恋と言う位のことで人を恨むものか。一生涯を復讐のために捧げましょうか。」
 人を冷殺し、又熱殺するとはこの語調である。蛭峰の胸には怪しさが満ちていたが、今は恐ろしさとなった。彼は身を震わせた。「エ、恋の敵ではない。暮内法師ではない。巌窟島伯爵でない。何者です。何者です。一生涯を復讐に捧げるとはよほど」

 伯爵;「ハイ、よほど深い恨みには違いないのです。」
 蛭峰;「それほどにこの蛭峰が、貴方に残酷なことでもしたのですか。」
 伯爵;「しなければこの様な天罰貴方に下るはずが有りません。貴方はこの頃の引き続く不幸の数々を天の怒りとは思いませんか。人間業でこの様なことが出来ましょうか。貴方の罪悪は天の咎めを招いたのです。貴方はすでに忘れましたか。自分で気が付かないと言うのですか。かって自分の野心のために、罪の無いものを罰したことはありませんか。貴方は人をして生ながら地獄の責め苦を受けさせました。こういう私の生涯を犠牲にし、私の父まで死なせーーー、」

 蛭峰;「誰です。誰です。貴方の本の名を何と言います。」
 伯爵;「誰でもない、幽霊です。ただ恨みを晴らしたいだけのために、墓の中から貴方を目掛けて生き返ってきた骸骨のような者です。泥埠の土牢に十四年の間、恨み骨髄に刻みつけ、ようやく天の助けを得て貴方の旧悪を調べ上げ、今初めて本名を名乗ることの出来る場合になった復讐の使いです。」

 蛭峰は理解できた。「エ、エ、泥埠要塞の土牢に、十四年、そうして墓の中から生き返って」
 伯爵;「ハイ、水葬された海の底から生き返った団友太郎は私です。団と言い、友太郎と言う名さえも貴方の記憶には無いのですか。」
 蛭峰は気絶しないのが不思議である。多分もう先刻から続いていた打撃のために神経が麻痺したのだろう。もし、日頃だけの正気があれば、気絶せずには居られない所だ。彼はあきれて目を開き、更に悔しそうに身をもがいて、「エエ、団友太郎という名前が先日来の取調べ中に、目にも映し、心にも浮かんだのは何度と数が知れない。それのために特別の調査もしたけれど、彼は確かに死んだものと多くの証跡が有ったため、自分で自分の疑いを掻き消していたが、やっぱり貴方が団友太郎、そういえばなるほど顔も薄々と思い出しました。」

 伯爵;「団友太郎と分かってみれば、これぐらいの復習は無理は無いでしょう。団友太郎の恨みを思い知りましたか。」
 蛭峰は伯爵の顔さえ見ることが出来ない。太陽に晒(さ)される土龍(モグラ)のように、頭を垂れ、目を閉じて段々後ろに退いたが、そのうちに今までその身に振り降った不幸の数々が明らかに思い知られたと見える。そうして又も悔しさが沸きかえったと見え、

 「エ、エ、何を復讐、オーチウルの事、弁太郎の事、今日の裁判所での大打撃、その上に、妻まで、子まで、これを復讐と言えばあんまり仕方がひど過ぎます。」と言いながら彼は身を躍らせて伯爵に飛び掛かり、そうして伯爵の手をしかと捉え、「では貴方の復讐の結果を見せてあげます。サ、お出でなさい。こっちへお出でなさい。」といって伯爵を引き立てるようにするのは何の為だろう。全く正気を失った沙汰《行い》ではないだろうか。

第二百六十七回 終わり
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