巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu271

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 9.12

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百七十一、『結末』 (三)

 慰めに来てかえって悲しませるほどならば初めから来ない方が好かったのだ。来たからにはどうか慰めてやりたいと伯爵はこれから様々に説いて、ほとんどあらん限りの言葉を尽くした。けれどついに露子夫人の心を解く事は出来なかった。

 「この様な罪の深い私にどうしてこの後の安楽が有りましょう。いっそ死んだ方が増しだとも思いますけれど、まだ苦しみが足りないと見え、神がお膝元に引き取って下されません。この上は尼となった心で祈りに生涯を尽くすばかりです。」と言うのが、伯爵の言葉を聞き終わった時の夫人の返事であった。

 何と言ってもこの決心を動かす道はない。伯爵は仕方なくて空しく別れを告げることとなり、「しかし、この後に又お目にかかるときが有りましょう。」と言えば、夫人は涙の乾かない目を上げて空を眺めた。これは死んだ後に天で会おうとの心ででも有ろうか。そうして最早や座にもいることができないと言った様子で身を起こし、逃げるようにして二階に上り去った。伯爵も「ああ」と嘆息してここを立った。

 伯爵の心はいよいよ重い。ただ大地を見つめたまま先ほどの港の方に歩み去ったが、幸い岸の辺に、雇うに手ごろな一艘の小舟がある。直ぐに舟子を呼んでこれを卸(おろ)させ、自分も乗って港の外に漕ぎ出させた。指して行く先は当年の泥埠要塞である。海の面は風はなくても胸の波は高く立ち、耳にその音が聞こえるかとも疑われる。やがて舟はスペイン村の沖に差し掛かった。

 昔自分が捕らわれてこの様な小舟に乗せられ、憲兵と護衛兵とに善後を擁(よう)《かかえる》せられて、この所を漕いで過ぎた時、闇の中に一点の灯火が見え、これがお露の家であろうと何度か振り向いて見たその家は今いずこに有るのだろう。荒涼たる漁村の景色、昔の面影は留めずといえども、変わり果てたる人の身に比べれば、とこしえに碧(みどり)なる水と共に恨みの深くして尽きず。恨みに頭を垂れて思い沈むこと幾時、忽ち聞く舟子の声、「サア、旦那、泥埠の下に着きました。」

 驚いて頭を上げれば、目の前に高く突き出て聳え立つのは泥埠の崖である。真に伯爵はこれを見て、不倶戴天の仇が我前に立ち塞がったように感じた。今まで露子夫人の哀れむべき境遇や蛭峰一家の無惨な最期などを思い、我が復讐強すぎたかと密かに気遣っていた心の弱みもはや半ば消え、敵を目掛けて飛び掛るほどの剣幕で舟を降り、直ぐに崖の上に上った。見回すと建物などの有様が昔とは大いに違い、特に牢屋は多く朽ち果てて、囚人は他に移され、残っている幾棟かは密輸入者を見張る税関官吏の出張所に当てられて、二、三の番人が預かって居合わせる外には人の影も見えない。

 かえって心安く見物が出来るのを喜び、伯爵は直ぐに番人の部屋に行き、その頭らしい一人に、見物する許しを得て、先ずその者を連れ出し、境内を見回りながらも、昔自分が捕らわれていた土牢はどうなったかとのことばかり気に掛かるので、それとなく言葉を設けて問うと、

 番人;「イヤ、もう政府がたびたび変わりますので、或いは兵営にするとも言い、或いは灯台を建てるとも言い、牢屋が廃せられたと共に、大抵の建物は取り壊されましたけれど、土牢だけはまだ掘り返しもせず、昔のままになっています。今は見回る官吏も有りませんから、蝙蝠(こうもり)でも住んで居ましょう。」

 伯爵;「土牢のことは種々の話にも伝わって居るから、どうかその中を見せてもらいたい。」
 勿論案内料を沢山くれる客だろうと番人は見抜いている。訳もなくこの言葉に従い、「時々その様なことをおっしゃる方が有りますけれど、大抵は入り口の石段を半分降って、顔をしかめて逃げてしまいます。」
 伯爵;「それは臆病な人だからよ。ナニ、私はズッと中まで見て行きたい。」

 間もなく番人は伯爵をその石段のところまで、連れて行き、底の薄暗い穴道を指し示し、「ご覧の通り気味の悪い所です。これでも下まで降りますか。」
 全く気味の悪い所である。これにつけても、その頃の我が身の境涯が今更のように思い出され、何とも知れない感慨が胸に満ちた。

 伯爵;「下ろうとも、ここから覗いてみただけでは何の話にもならない。」言いながら中にくだり入って、「なるほど物凄いところも有るものだ。この様な中に入れられてどうして辛抱することが出来るだろう。」
 番人はあざ笑う様に、「誰だとて、辛抱はできませんけれど、逃げ出すことができないからやむを得ずとりこめられていますのさ。けれど、悶え死ぬ人や発狂するものが随分有ったと言うことです。」

 伯爵;「いかにもその様なのも有るだろう。」
 番人はうかうかと釣り込まれて、「今でも話に残っていますが、二十七号と三十四号などは実に不思議な囚人で有ったそうです。」 伯爵はギクリとした。二十七号とはそのころの梁谷法師、そうして三十四号、不思議な囚人とは、自分である。「エ、二十七号と三十四号、不思議な囚人とはどの様な。」
 強いて何気なく装って聞いた。

第二百七十一回終わり
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