巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu276

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 9.17

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

二百七十六、『結末』 (八)

 翌朝段倉は、昨夜敷いて寝た羊の皮の上に目を覚ました。太陽の光の届かない穴の中だから時刻は分からない。しかし夜は明けている。
 第一に彼は所持の大金を検(あらた)めたが、胴巻きのままで無事である。コレが何より安心だ。コレさえあれば、後ほど見請けの金を払って、ここを出去ることが出来るだろう。次に彼は時計その他の身に着けている品を検(あらた)めた。いずれも同じく無難である。いよいよもってこの山賊の目的は分かっていると彼は思った。

 流石に他国へまで名が響いているほどの山賊だからつまらない細かい泥棒はしない。身請け金を取りさえすれば満足するのだ。何でも細かな物をば少しの油断に乗じて盗むような奴は到底大賊になれない筈だと、腹の中に盗賊の哲学とも言うようなことを考えながら、さて時計を見ると朝の六時少し前である。

 番人はどこにいるだろう。それとも逃げるところの無い土牢のようなところだから番人無しに放ってあるのかも知れないと思い、入り口の鉄の閂(かんぬき)の間から少し顔を出して見ると、横手の方に、台を置き、それに腰を掛けて一人の男が厳(いかめ)しく頑張っている。良くその男の顔を見て段倉は呆れてしまった。一昨日自分がフローレンスから乗った馬車の御者である。

 さては自分は一昨日から既に山賊の手に落ちていたのだ。こう思って居るうちに、又一人の男が来て、「サア、六時だ。交代の時が来た。これから二時間俺が預かるのだ。」と言って交代した。その新しい顔を見るとこやつはその又前日の馬車の御者である。益々もって驚くべしだ。一体全体この山族等はどれほど広く網を張っているのだろう。ナニ普段からそう広く網を張っている訳ではない。特に段倉に対してだけそのように手配したのだ。

 しかし今に誰か頭立った奴が来て身請け金のことを言い出すだろう。あんまり恐れる様子を見せては、かえって足元を見られるから、大胆に構えて居るのが良いと、傲然(ごうぜん)《偉そうに威張っている様子》として石の床の上に足を投げ出し四、五時間も待って見た。けれど音沙汰が無い。再び番人の方を覗いてみると今度は見知らない奴が居て、薄黒いパンとねぎの煮たので、食事の用意をしている。まさか俺に食わせるのではないだろう。あのような臭い物がパリーの紳士の口の傍に寄せ付けられるものかと、顔をしかめてほとんど鼻を覆わないばかりにして中にに引っ込んだ。

 けれど自然の規則は妙なものだ。いくらパリーの紳士でも時が経てば腹が空く。午後の一時ころに及んでは、先ほどのねぎの匂いでも好い。プンと風に送られて来てくれればと鼻で小呼吸して見るようになった。もう何か食事を運んで来そうなものだ。身請け金を取ろうと言う大事な客をそう苦しめるはずは無いと、自分の体へ値打ちを付けて、待つこと又二時間にも及んだが、音沙汰が無い。全く台所の方で大切な客のあることを胴忘れしているらしい。

 そのうちに又ねぎの香が臭ったから、又そっと覗いて見ると、今度は今朝初めて見た番人が又来ていて、先刻のと同じような黒いパンをうまそうに口の中に詰め込んで、湯気の立つスープを喉(のど)を鳴らしてすすっている。これを見ると共に一層又空腹を感じ、喉を通るものなら何でも好いというような気に成った。もうどうしても我慢が出来ない。けれど余りひもじそうに見られるのも嫌だから、何気なく構えて軽く番人を呼び、「コレコレ、ここの主は何時までお客に腹を空かせて置く積りだ。」と少し笑いを帯びて問うた。

 番人はこの上なく恭(うやうや)しく「アアお客様御空腹になりましたか。」
 段倉;「ヲヲ、空腹とも、本当に空腹だよ。何か早く出来るものを持って来て貰おう。」
 番人;「ハイ、お客様に差し上げるには当地第一の料理番を雇って有りますから、何でも出来ます。ひよこの丸焼きに魚味を加えた汁などはどうでしょう。」
 段倉;「結構、結構、何でも早いのが好い。」
 番人は心得て退いたが、間もなく制服を着けた給仕と共に来た。給仕の手には型の通りにひよこの丸焼きを皿に入れて持っている。

 「なるほど、パリーの料理屋へ行ったようだ。」と言いながら手を出して受け取ろうとすると、番人が遮って、「少しお待ち下さい。ここでは食い物の代価を総て前金で戴きますから。」
 段倉は急いで衣嚢(かくし)《ポケット》を探り、「好し」と言って、手に触った一ルイ(二十フラン)の金貨を出して与え、「この土地は鳥が安い所だから丸焼きで十二銭か十五銭もするだろうが、つり銭はお前達二人で分けるがよい。」一皿の丸焼きに二十フランとは全くいずれの国にも無い太っ腹な払方である。

 こうして再び皿を受け取ろうとすると、番人は又遮り、「まだ少し足りません。」
 段倉;「何だと、雛(ひな)一羽の値に対し、二十フランで足りないと言うのか。」
 番人;「ハイ、この山洞ではこの一皿が十万フラン即ち五千ルイですから、もう四千九百九拾九ルイ戴きませねば。」
 段倉は冗談だと思った。しかし一刻の猶予も辛いほど腹が空いているので、直ちに又1ルイを取り出して「サア」と投げ与えた。
 番人;「ハイ、もう四千九百九十八ルイ戴きませんと。」冗談ではない。極めて真面目である。

 段倉は怒った。「人を馬鹿にするにも程がある。」
 番人;「イイエ、私の方から強いて売り付けるのでは有りません。代価をお払いなさらなければ品物を差し上げないまでの事です。」と言い捨てて人も皿も退いてしまった。
 余り癪に障る仕方だから、「ナニ食わずに堪(こら)えていれば好い。」と段倉は男らしく呟いて、これからおよそ三十分ほどは我慢したが、その三十分が全く一世紀ほど長く感じた。

 今度はどうにも耐えられない事になったから。又番人を呼び、「先刻お前達のたべていたような黒いパンで好い。」
 直ちに最前の給仕が又皿に盛って黒いパンを持って来た。段倉が受け取ろうとすると、
 番人;「イヤ、お客様、先刻2ルイだけは前金で戴いて有りますから残る四千九百九十八ルイを戴きまして、品物はその上でお渡しします。」
 段倉;「それは雛の値段ではないか。」
 番人;「ハイ、何でも一品は十万フランづつです。」

第二百七十六回終わり
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