巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu37

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

三十七、教師と弟子

 この人を師とも父とも仰げば、たとえ脱牢の望みが届いても届かなくても、どれ位この幸福ということの無い牢の中に、幸福があるか知れない。真に友太郎は梁谷法師が測量を誤ってこの室まで穴の道を掘って来たことを天に感謝した。天が未だ私を見捨ててはおられない知らせである。

 これから彼は梁谷法師の室にも行き、梁谷法師を伴って自分の室に帰りもした。全く月日が過ごし易くなったことが、どれほどか知れない。
 
 単に穴の道を見ただけでも、梁谷法師が世に二人と居ないほどの人物で有る事が分かる。穴の道には広い所もあり、狭いところも有るけれど、手製の不十分な道具で、しかも牢番の目を避けながら掘り抜いたものとすれば、たとえ七年の歳月は掛かったにしろただ驚く以外にない。

 けれど、これよりも更に驚くべきことは、法師がその部屋に作って置いてある色々な工作物である。
法師の室の中の工作物は今も記録に残っているばかりか、博物館に伝わっているものもある。大抵の読者が伝え聞いていることだろうから、詳しくは書くのに及ばないが、その一、二を上げてみると、

 窓からもれる少しの明かりを利用して、壁に筋をひき、地球の回転と循環とを計って、毎日昼の中だけは時間が分かるようになっている。言わば一種の日時計とも言うべきもので、しかも壊れたり止まったりする、世間の時計よりは正確である。牢の中で何の道具も無しに時計を発明して、これを作るという囚人が他に居るだろうか。

 一週に何回か与えられる肉の中から、少しずつ油のところを取り貯めて、これで灯油を作り、夜になると密かに明かりを灯(とも)し、その光で「イタリア統一策論」という書を著した。法師の名が、文学の上にも、政治の上でも、今もって一段の地位を占めて人に記憶されているのは、この著述のためである。

 もっとも牢の中で書を著した人は他にも居るだろう。しかし、紙も筆も墨も無い土牢の中で、紙も墨も筆も自分で作り、そうして書を著した人は多くはないだろう。それも、一方では大なる脱牢の企てを行いながらである。

 無から有を作り出すことは、人間の力では出来ない事と決まっているけれど、法師のしたことは、ほとんど無から有を作り出したようなものだ。墨は室の一方に、昔の火を燃やした跡があるのを掘り返して、木炭の混じっている黒い土を取り、日曜の度に与えられるぶどう酒に溶かしたものだ。

 所々に紅インキをもって、注を入れてあるのは、自分の手を魚の骨で突いて出した血なのである。紙はこれも牢番から与えられる、ハンケチとシャツとを裂き、その布切れをパンのくずで作った糊で伸ばし、紙をのように滑らかにしたのである。筆はこれも矢張り、魚の軟骨を削ってペンと同じ形にした物だ。ガチョウの羽のペンとたいした違いは無い。

 この様な工作に用いる刃物は、古い金属のランプを石で叩いて作った小刀である。地を掘るのに用いた鑿(のみ)と同じ材料から作ったのだ。そうして、これらの品物を、壁にある石を抜き取り、その中をくり抜き、その穴にしまってある。穴は石を元通りに差し込めば、牢番の目にも見破ることは出来ない。

 この様にして室の壁には戸棚とも言うべき穴が全部で3箇所ある。その一カ所から法師が最後に取り出して、友太郎に示したものは縄のはしごである。いよいよ牢を抜け出る時の用意に作ったことは分かっているが、何の材料から作ったのだろう。

 実は寝台に張ってあるズック生地を剥がしてその下に詰めてある、糸切れを取って、縄なったのだと言うことで、それはこの法師がこの泥埠の要塞に来る前に、フェンステルの牢にいるときに着手し、合計3台の寝台から、少しずつ取り集めて、出来たと言うことである。

 牢の中に居てさえ、これ程の仕事が出来るのだから、もし外に居たなら、成る程、一国の政府が恐れたのも無理は無い。けれど、法師は友太郎の問いに答えて言った。

 「もし、牢に入らなかったら、色々なことに気が散るから、かえって、凡人になってしまうよ。お前は鉄を打って見よ。強く打てば火を発するだろう。人間もこれと同じだ。牢の壁で能力の発散を防ぎ、その知恵に非常な圧力を加えると、普段には出ない程の熱を出すのだ。」

 友太郎はこの言葉に感心し、「私も知識さえあれば牢の中でも、幾らか仕事が出来るところも会ったかもしれません。どうかこれから貴方の知識を少しずつ分けてください。」

 法師はよい弟子を得て、喜ぶような調子で、「分けはてやるだろうが、ナニ、俺の知識といっても、そう沢山はないのだよ。俺はスパナダ家の秘書を努めている間に、同家の蔵書5千巻を、大抵は目を通したが、そのうちで、実際に精読して為になると思ったのは十分の一にも満たない。

 それだけは何度も読み返し、ほとんど総て記憶しているが、俺の知識と言えば、ただそれだけから得たものだ。更にそのうちで、本当に益になるものを抜粋すれば、2年か2年半でお前に教えつくしてしまうほどしかないのだ。」

 2年か2年半、今までなら身震いする友太郎だが、今は感心の余りにその長さに気が付かない状態で、「わずか2年くらいで」
 法師;「そうさ、2年の間、俺が一心になって教え、お前が一心になって習えば、お前の知識は俺と同じ位になる。」
 友太郎;「では、どうか教えてください。一生懸命に学びますから。」

 法師;「世の中にいるとは違い、牢の中だから進歩が早い、けれど、その知識の応用と言うことは、これはその人、その人の才にあることだから、数には限りがない。お前は中々好い能力持っているから、十分に応用も出来るだろう。」

 友太郎の気質と天性とを良く見抜いて、これから法師は学問知識を、最も巧みに順序立てて教え始めた。教えられるに従って、益々面白みが加わるのが学問の常、教える方も、弟子の進むだけ、いよいよ張り合いが出てくるので、二人は何ヶ月か、ほとんど牢破りなどと言う余念の無い有様であった。

第三十七回終わり
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