巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

四十七、恐ろしい新思案

 友太郎が大声を出して泣くのは無理も無い。父とも師とも頼りにしている梁谷法師に死なれて、後はこの土牢にただ自分一人となってしまうのだ。
 ましてこの法師の深く人間を愛することと限りない知恵とを考え、又その死に方の可哀想な事などを考え合わすと、泣くより外はないのである。心の底からしみじみと悲しさが押し上げてくる。

 けれど、泣いていられる時ではない。早や夜も明けて、牢番の見廻る時間も近いのだ。見咎(とが)められては大変だから、必死の思いで自分の心を取り直し、先ずその辺を片付けて、誰にもこの室に法師より外の人が居た事を悟られないようにして置いて、静かに自分の室に帰った。この時は朝の七時である。

 間もなく牢番が見廻った。けれど何事も無く立ち去った。立ち去って更に法師の室を見回るのだ。法師の室で牢番がどの様に驚くだろう。法師の死骸をどの様に取扱うのだろう。何だか見届けずにはいられないような気がする。ええ如何にでも成れ。忍んで行ってその様子をうかがっていよう。

 灯火に引かれる夏の虫のような思いである。友太郎は再び穴の道に入り、法師の室の直ぐ傍まで行って、耳を澄ますと、丁度牢番が法師の死を知って驚き叫ぶところである。間もなく外の牢番をも呼んで来た。次には典獄(牢獄所長)をも呼んで来る様子である。

 その間に再び自分の室に帰り、何気なく食事を済ませて又も穴の道を今のところまで行って見た。間もなく典獄も来て、典獄からの使いで医師も来た。兵卒も来た。そうして一同の間に様々に法師の生前のことを噂する声も立ったが、そのうちに医師は法師の体を調べ終わったと見え、

 「ハイ、典獄、全く事切れとなっています。」
 典獄;「勿論事切れと言うことは一目見ても分かっていますが、規則だからどうか死骸の足の踵(かかと)に、赤く焼いた熱鉄を当てて見ていただきましょう。そうして愈々(いよいよ)命が残っていない事を確かめるのが最後の手続きですから。」

 医師;「そうするにも及ばないほど、明白ですけれど、規則には従いましょう。」
 直ちに典獄からの指図に応じて誰だか一人熱鉄を取りに去ったらしい。後に又典獄は医師に向かい雑談のように、

 「オヤ、幾ら囚人でも死んで見ると可愛そうです。特にこの第二十七号は、もっとも無害な囚人で、私の着任以来一度も苦情などを言い立てたことは無いのです。全く土牢の中に満足していたと見えます。このような囚人はたとえ五十年牢の底に捨てておいても、破牢などの恐れは無いのです。」

 友太郎は典獄の愚かさを感じない訳にはいかなかった。
 医師;「元は過激な革命論者であったように聞きましたが。―――」
 典獄;「発狂のために全く気質が一変したと見えます。このような無害なのが死ぬと可愛そうですから、なるたけ葬るにも新しそうな袋に入れてやりましょう。」こう言って更に又一人をば袋を取りにやった様子だ。

 さては、棺に納める代わりに袋に入れて埋めるものと見える。そのうちに前の一人が熱鉄を持って、次の一人は袋を持って、共に帰って来たらしい。
 典獄;「オオ、一番大きな鏝(こて)を焼いたのか。」
 火花が散るかと思われるほど真っ赤に焼けているのだから、これを当てて見れば少しの疑いも残りはしない。

 その実行は誰がしているのか知らないけれど、やがて肉に火を当てた様な音がして、引き続いて友太郎の居る穴の中へまで臭気が伝わった。これで全く法師がこの世に居ない人と決まったかと思えばほとんど断腸の思いである。

 医師;「もう疑いは有りません。全くの死骸となっているのです。」
 典獄は牢番に向かってだろう、「それでは直ぐにこの死骸を、今持って来た袋に入れ、そうして、規則の通り今夜の十二時に何時もの墓地に担(かつ)いで行って葬ってやれ。」
 牢番らは一同で死骸を袋に入れ終わったようである。そしてそのうちの一人が聞いた。

 「ハイ、夜の十二時まで誰か一人、ここに残り死骸の番をしていましょうか。」
 典獄は笑った。「ナニ、番をするのに及ぶものか。袋のままでその時刻まで放って置けば好い。」
 こう言って一同は去ってしまった。

 少し経って友太郎は又も法師の室に入ったが、見ればその死骸は果たして袋に包まれて寝台の上に横たわっている。最早やこの人と自分は、あの世とこの世を隔てているのだから、交わるべき道が無くなった。そうすれば自分は再び元のただ一人という寂しい身の上に帰らなければならない。イヤ、既にその身の上に帰ったのだ。

 アア、この後の、限りもなく長い年月をどうして一人送る事が出来るものか。自分も直ぐに法師の後を追いあの世の人となってしまう以外は無い。
 真に友太郎は、死んで法師の後を追う心になった。生き長らえてこの上苦痛を長くすることは到底耐えられないところである。死ねば苦痛はそのままで終わるのだ。そうしてあの世で法師に会うことが出来るかもしれない。

 そうだ、死ぬにはここに隠れていて、牢番を一人叩き殺せば好い。そうすれば死刑に処してくれるだろう。
 ほとんど思い定めようとはしたけれど、今まで苦心に苦心を重ね、ただ牢を出ることばかり考えていた身がどうして本当に死を求める事が出来よう。

 特に死刑という死に様は心持の好いものではない。イヤ、イヤ、死ねない。自分にはまだ復讐という負債がある。再び世に出て、この負債を返さなければ成らない。復讐ばかりか恩を受けて未だ返していない場合も有るだろう。恨みと同じく恩をも返してしまわなければならない。

 真実返す事が出来るか否かは分からないけれど、切に法師に教えられ戒められた事もある。自然に命が尽きるまでは一生懸命に自分の命にしがみついていなければならない。
 そうだ、そうだ、まだ死んでなるものか。死ぬのはいつでも出来ることである。再び死ぬ気が起きないように法師の死骸に対して堅い誓いを立てて置こうと、生きた法師にすがるようにその袋に対して、

 「師よ、父よ、貴方は死んでこの牢を出て、私は生きてこの牢に残りますが」と言いかけたが、この時たちまち、電光の射るように、恐ろしい新思案が友太郎の脳髄に差し込んだ。アア何故法師の方はこの牢を出るのだろう。なぜ私がこの牢から出られないのだろう。それは生と死の違いである。

 死人となれば私も出られるのだ。死人となってこの袋の中に入っていれば、牢番が担いで私を墓地とやらまで持って行ってくれるのだ。法師の死骸を抜き出してその後に私が入っていたらどうだろう。」
 あんまり恐ろしい考えであるがために、自ら思って自ら身を震わせた。

第四十七回終わり
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