巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu59

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

五十九、印度辺の豪族

 我が父が死んだと言う事も、お露が行方知れずになったことも、友太郎にとってたいして意外と言うわけではない。或いはこの様な事ではないかと、幾らか想像していたのだ。そうだ、意外ではないけれどただ悲しい。
 これで自分は全くこの世の中の独り者となったのである。広い世界の中に誰一人、段友太郎を懐かしく思ってくれる人は居ない。恐らくは、記憶してくれている人さえ無いのであろう。

 ああ、土牢の中に十四年、辛い事は辛いけれど、今は過ぎ去った後だから、その辛さは尽きたものと言っても良いが、ただその間に自分の恋しい人、懐かしい人、自分を慕ってくれる人、思ってくれる人、などが全て無くなることになっては、恨まないわけには行かない。幾年、幾月を経ても、尽きない恨みはこれだろう。月日と共に深くこそなれ、薄らぎはしない。
 ああ、私は真に人間界の一人者、成功も失敗も、幸も不幸、誰からも喜ばれもせず、悲しまれもしない。何をしても構うものか。誰に遠慮はいらない。前から思い定めていることを、思う存分に行へば好い。

 それにしても、父はどの様に死んだのだろう。お露はどの様にして行方が知れなくなったのか。シャコボが聞いて来ただけでは、少しも分からない。とは言え、これ以上彼に調べさせる訳には行かない。これ以上を彼に調べさせるには、幾らか自分の素性、自分の秘密を打ち明けなければ成らない。
 自分の素性、自分の秘密、これはもう土牢の中に葬り、自分は生まれ変わって来た様なものだから、勿論誰にも打ちあけることは出来ない。何もかも自分の胸に畳んだまま、自分ひとりで行わなければ成らない。

 これから友太郎の船は、地中海の諸所の港に寄り、色々と必要の準備を整えるのに、約一月ほど掛かったが、何しろ限りない金力をもって、幾らでも代価を払ってすることだから、何の用意でも一つとして思う通りに成らないものはない。

 いよいよ準備が整うと共に船はシャコボの小船を護衛のように連れ、マルセイユの港に入った。ここは即ち、十五年前、友太郎が捕吏の手で、夜中に船に乗せられて、泥埠の要塞に送られた出発点なのだ。
 船が着くと共に検疫官が来た。税関の検査官も来た。特に検査官には憲兵が付いている。昔友太郎を護送したのと同じような憲兵であるのだ。その姿を見ては、今更のように身震いがするのを禁じえなかった。

 船は一切の検査を無事に受けた。船主の名は柳田卿となっている。卿というからは勿論貴族だろう。柳田と言う姓も英国の貴族らしく、又友太郎の人柄から身の装いも英国貴族の忍びの姿のように見え、船の中の作りは勿論贅沢な貴族の遊船《レジャー用船》である。船の買い入れ証書や船籍の登録まで、同じ名前で型通り、ゼノア(ジェノバ)とレグホーンの政庁で済んでいる。

 何にも邪魔されずに友太郎は上陸したが、ここは自分の故郷である。見るもの全て自分の目には昔なじみの姿であるのに、自分の身だけは誰に向かっても他人である。こう思うと限りない思いに胸も迫るように思われ、少しの間、心を落ち着けようと、海岸をくまなく散歩するうち、二人ほど昔の知り合いであった水夫の、見違えるほど年を取って居るのに会った。

 こっちが向こうをようやく思い出すほどだから、向こうはとてもこちらを、思い出すことは出来ないだろうと思うけれど、何だか思い出されはしないかと、危ぶむような気がして、そのたびに強いて知らない顔をしてすれ違ったが、少しも思い出される様子は無かった。それはその筈である。初めてレグホーンの理髪所で自分の姿を鏡に映した時、自分でさえ全く見違えたほどだもの。やがて三人目に行き会ったのは、昔巴丸船中で自分の指図を受けていた、水夫の一人である。

 もしこの男さえ私を見知る事が出来ないならば、それ以外は大丈夫である。たとえ段倉本人に会ったとしても差し使いはないと、これを試験のように思い、直ぐにその男を呼びとめ、この土地の案内をそれからそれと詳しく聞いてみた。

 聞く間絶え間なくその男の顔を見つめたけれど、少しも気づく様子は見えない。全く初対面の人と信じている。聞き終わって分かれに臨(のぞ)み、金貨を二枚、礼だと言ってその者の手に握らせたが、その者は少し行き過ぎて気付き、「もしもし」と聞き返して走って来た。

 「貴方は金貨と銀貨をお間違いになりました。これは二つとも十円金貨ですが。」と言って差し出した。「オオ、そうだったか、しかし、気が付いて呼び返してくれたお前の、正直と親切には感心した。サァ、褒美としてこれだけお前にやる。」と言って更に同じ金貨二つを出して与え、その男が目を丸くして驚いているのを、「ナニ、辞退には及ばない。後で私の健康のために一杯、祝い酒でも飲んでくれ。」と制し、後も見ずにそのまま去った。

 後にその水夫は何度も金貨を押し頂いて、「彼はきっと、金の中に転がっているインド辺りの豪族が漫遊に来たのだろう。ドレ、仲間の者たちにも一杯飲ませて、彼の健康を祈ろうとするか。」こう言ってこの水夫も立ち去ったが、全くその言葉の通り、真に友太郎とは知らないで、この豪族のために寿杯を上げた。

第五十九回終わり
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