巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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gankutu71

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

七十一、森江商店

 富村銀行の書記と称するこの旅人は何のために森江商会の債権を買い受けたのだろう。彼は更に森江氏の取引のある先々を訪ね、同じような口実で、大小にかかわらずその債券を買い集めていた。多分、富村銀行が、森江氏を商売敵と見て、早く破産させる策略だろうと大抵の人は推量した。

 しかし、森江氏の商店はこのようにして、破産を早めなくても、実際破産を免(まぬか)れない状況に立ち至っている。その有様は、店の前を通行するただの往来人にも分かるほどである。
 数年前までは、マルセイユの人々が、金さえあれば、森江商会に預けるという風になって居た。森江商会が全くこの土地の共有の金庫のように見なされていたのだ。そのために、店の繁盛は非常なもので、往来の人にも見える窓の中の人の顔がどれも晴れやかに輝き、そうして大小の雇い人が皆忙しそうに家の中を小走りに駆けているようであった。

 それが、今はほとんど空き家の状態である。窓の中の広い事務室に、陰気な会計長が苦い顔をして、唯一人、何の仕事をするのか、無言で控えているだけだ。
 店先に朝から晩まで引きも切らずに群集した取引人も、今は午前に一人、午後に一人という有様である。それも来るのは必ず金を引き出す人ばかりで、預けに来る人は居ない。それだから来る人の足音が一々この家全体に刃音のように響くのだ。

 数の知れないほど居た雇い人が一人去り、二人去り、皆暇を取ってしまって、ただ残っているのは、江馬仁吉という二十三.四の手代一人。小暮伝助という会計一人、単に之だけである。
 何故この二人が残ったかと言うと、江間は貧しくない家の息子で、森江氏の一女緑嬢と許婚になっている。もしこの家に万一の事が有れば共々没落すると言う決心をしているのだ。
 会計の伝助というのは、頭取森江氏の父の代から使われている老僕である。長い間会計局の小使いをしていたが、会計の局に当たる人が皆次々と辞職したので、ついに会計と言う思い責任の地位に引き上げられた。

 ただ、この二人で、マルセイユ第一という大商店の事務が取りきれるわけではないが、今は商店があって事務が無いから二人で足りているのだ。特にこの会計の小暮は会計で有りながらも、この商店に破産のような時が来ようとは少しも思っていない。自分がここに奉公して以来四十年、年々月々に支払うものを、一円の不足も、一刻の遅れも無く支払って来た会社が、何で支払いも出来なくなることがあるものかと、その確信の堅い事は、老水夫が、海の水が枯れないのを信じているのよりもっと強いほどである。

 既に彼が会計になって数ヶ月経つが、この店に金が入って来る事と言ったら一円も無いが、出すべき金は、彼が計算して店主森江氏にその書類を渡すと必ず森江氏からそれだけの金を持って来て渡たされる。何時までもこの通りに違いないと、唯これだけの考えで、その実、森江氏がどれほど辛いやりくりをしてその金を持って来るかということには、少しも気が付かない。

 けれど、森江氏にとっては、血を吐くよりも辛いのだ。家の財産で金に換えることが出きるものは全て代えてしまって、金に換えられないものまでも、代える工夫は無いかと、苦心するほどであるのだ。先月の支払いが、実にその最後であった。これは自分の妻の身に付ける飾り物から、娘の頭に付けるものまで売り払って調達したのだ。それも、この土地で売り払っては落ちた信用を益々落すだけだから、密かにボーケアの市場に出かけて行って、自分の手で売り払って来た。

 どの様なことをしてでも、巴丸が印度から帰るまでは、この店を支えて居なければならないと決心して居る。けれどその巴丸が帰るのが、はなはだ疑わしい。この船より数日送れてインドを出た船は、とっくにこの港に入っているけれど、巴丸だけは着かない。

 そのうちに日は経つばかりで、早や眼前に押し寄せて払わなければ成らない口が、今月も二十万、来月も二十万ほどあるのだ。この支払いの日が恐らくは、森江商会の破産の日となるだろう。

 丁度このような場合で、そうでなくても寂しい一家が、まるで忌中とでもいうように塞(ふさ)ぎ込んでいるところに、ある日イタリアの富村銀行の秘密書記という男が入って来た。
 先ずこの店の書記長というべき江馬仁吉が会ってこの来意を尋ねると、頭取森江氏に直接で無ければ、話すことが出来ない用事であるとの返事である。

 どちらにしても、この店の心配を増す事柄には違いないから、なるべく森江氏の耳には入れずに済ませたいと思うが、仕方が無い。 江馬は会計の小暮を呼んで相談した。勿論富村銀行というのは永年の取引先であるのだから、その秘密書記という者を理由無く追い返すわけには行かない。

 特に小暮はそれほど頭取に苦痛を与えるものとは思わないから、「私が頭取の居間に案内して差し上げましょう。」と言い、事も無げにその秘密書記を引き連れるようにして、二階へと上って行った。上るその階段で丁度上から下りて来る緑嬢に行き会った。秘密書記という男は、気味悪く思われるほど嬢の顔を眺めた。

第七十一終わり
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