巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

七十四、漏水が始まりました

 「巴丸が沈んだのか。」と森江氏は再び聞いた。小暮は、「旦那様お気を確かに」と言ったのに似ず早や自分が落胆した。「ハイ、本当に残念な結果です。」と言って泣き出した。

 残念と言うくらいでは済まない。最後の望みを繋いでいた持ち船の沈没だから、これでこの一家が滅びてしまうのだ。引続いて森江氏の細君が、江馬仁吉にすがるようにしてよろめきながら、この部屋に上がって来た。そうして娘と右左に森江氏の手を取ってよよと泣いた。
 この中で一番しっかりしているのは森江氏自身である。もっとも重い責任を背負っているから、くずれたくてもくずれられないのだ。

 「その知らせは先ほど入港したジロン号が持って来たのか。」
 小暮;「ハイ」
 森江氏;「船は沈んでーーーだが乗組員は如何なった。」
 小暮;「船長も水夫も助かりました。ジロン号に救われて帰ってきたのです。」
 森江氏は真実、天に感謝するような調子で、「アア、水夫が助かったのは、それは何よりも有り難い。」と幾らか安心の声を漏らした。

 人の上に立つ者はこれでなくては成らない。宝よりも人を愛する心が無くては、人が人の上に立たせては置かない。
 この声に応じて、外から廊下の戸を押し開いたのは七人の水夫である。彼らは敬礼するように立ち並んで入るが、その衣服の様子を見ると、実に哀れむべき者である。どれほどの苦労を冒して一命だけを助けて帰ったかと言う事が分かる。彼らは今森江氏が、乗組員が助かった事を感謝した言葉に感涙を催したと見え、誰もが首を垂れている。

 彼らの姿を見るよりも、第一に驚いたらしく見えたのはかの富村銀行の秘密書記と名乗る男である。彼はあたかも数十年お互いに会わなかった旧友にでも巡り会ったかと疑われるほどの様子で、両手を広げて水夫達の方に進みかけたが、その途中で何事か思い出したように、たちまち足を止め、そうして更に椅子を引いて、部屋の最も暗い隅の方に退き、余り人目に触れないように隠れてしまった。ただし、場合が場合だから、誰もこの人のこの奇妙な振る舞いには気が付かなかった。

 森江氏は哀れみを帯びた目で、水夫一同の方を見やり、「しかし、どの様にして沈没した。」江馬仁吉は進み出て水夫の頭らしい一人に向かい、「サア、奈良垣、お前から申し上げたらよかろう。」奈良垣と指名された者は、もう五十をも越した老水夫である。心得て森江氏の前に出て、「実は船長から申し上げるのですが、船長郷間氏は救われて帰る船中で病気になり、パルマに上陸しました。多分、二、三日の中に帰って来ましょうから、今は私の知っているだけの事を申し上げて置きます。」と先ず断っておいて、

 「沈没の内容はこうです。我々がプランクの岬を回り、ポカドルの岬を目指して西南に進んでいる時でしたが、南の空に黒すぎる雲が現れたのを郷間船長が見つけ、「奈良垣、何だか嫌な雲ではないか、帆を少し降ろそうか。」と言いました。この時は有るだけの帆を残らず張っていたのです。」

 「どうも私も、好くない雲だと思いましたから、先ず主マストの大帆を降ろしましたが、そのうちに雲は早や我々の頭の上に広がり、風も次第に強くなって参りました。その様子では必ず大暴風になるのです。船長もそれに応じて色々な指図を与え、前の帆柱の帆を2枚減らし、更に帆旗も降ろしてしまい、残る帆も出来るだけ縮めてしまえとの命令を下しました。皆は必死になってその命令を行ったのです。」

 説き進むにつれて、部屋の中はひっそりと静まりかえったが、かの秘密書記は我知らず声を出し、「イヤ、それだけではまだ手ぬるかった。アノ近海の大暴風は特別に恐ろしいから、前のマストの帆を4枚とも縮めてしまい、後ろのマストの帆を一枚残してズーッと低く張らなければ、」と言った。何だか自分が船長として今その場で命令を発しているような様子である。余程彼は、自らその辺の海に慣れて、船のことにも詳しいと見える。そのために、この話を自分のことのように聞いているのだ。

 奈良垣は眼を放ってこの書記の顔を見た。けれど、暗い隅に居る為よくは見えない。「イヤ、我々はそれよりも、更に上の用心をしたのです。直ぐに風を横切って、ずーっと外海に出たのです。」
 書記;「ただその方法しかないが、しかし、それには船が古すぎた。」
 
 奈良垣はその見解に同意する様子である。
 「そうです。全く船が古すぎました。外海を目指して逃げる中、非常な大暴風となり、およそ十二時間も揺られました。が、その間に船に水漏れが始まりました。風はようやく止みましたけれど、今度は漏水のため沈む訳となりましたから、直ぐにポンプを動かし、水夫一同の力をこれにかけましたが、ポンプの力は水の入る速さに追い付きません。」

 「水のかき出しを始めて四時間の後には、もう到底助からない事が分かりました。私は一同に向かい言いました。どうせ一度は死ぬのだから、皆はここを死場にしようではないかと、船長はイヤ少し待てと言い、急いで自分の部屋に飛び降りましたが、直ぐに一丁のピストルを持って来て、少しでもポンプの手を緩める者があれば射殺すと叱りました。」
 書記は又声を放って、「感心、感心、全くそうでなくてはならない。」

第七十四終わり
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