巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

八、婚礼の饗宴

 
 段倉が左の手で妙な密告の手紙を書き、冗談のように投げ捨てたその翌日、果たして団友太郎とお露との婚礼の披露があった。
婚礼ではない。婚礼の披露である。これからいよいよ紺礼すると言って、知っている人々を招き前祝に饗応するのだ。その場所は丁度昨夜段倉と毛太郎次がお露の従兄妹(いとこ)次郎を呼び入れたその酒店の二階の広間、時刻は昼の一時である。

 ただ一夜のうちに良くこうまで用意が整ったものだ。けれど深く友太郎の人柄を知る者は別に不思議とも思わない。彼は若いのに似ず、事務の良くはかどる男で、何をさせても、人が三日ですることなら一日でやってしまう。少しも時間を無駄に捨てると言うことをしない。特に自分の生涯に二度と無い喜びの事柄だから一生懸命に早く段取りをつけたのだ。良将が兵を使っても、これほど機敏には行かない。

 招かれた客は友太郎の方とお露の方の知人を残らずである。残らずと言ったところで巴丸の水夫や乗組員が大部分を占めていることは勿論である。

 この婚礼に最も力を入れてくれるのは巴丸の持ち主森江氏である。氏は友太郎をこれから船長に取り立てるのだから、余りみすぼらしいことはさせられないとの意見で、万事先に立って運んでやったらしい。何しろこの人が力を入れるというのだから、その噂だけででも、招かれた人が皆競って出席した。

 予定の一時、間近かになって、森江氏が馬車で来たけれど、肝心の花婿花嫁の一行がまだ見えないので、段倉と毛太郎次が気をもんで迎えに出た。出る途中で、既にその一行が来るのに出会った。勿論真っ先が友太郎で次がお露、お露の傍には四、五人の娘友達がいずれも赤い花のような着物を着て付き添っている。

 その後から友太郎の父老人が来る。一行の中で、一番嬉しそうに見えるのがこの人である。昨日まで飢えに萎(しな)びていた顔に、ほとんど笑みがあふれて居る。その又後ろがお露の従兄妹次郎なので、これだけが双方の一家である。次郎の顔の物凄さ、婚礼の付き人には不似合いである。特に嬉しそうな老人の顔に続くだけになお更目立つように思われる。

 やがて、出迎えの二人は一同にそれぞれ喜びを述べたが、毛太郎次の方は、次郎の物凄い顔を見て、夢のように、前夜の酒店でのことを思い出した。もしや段倉が冗談のように書いたアノ手紙がその筋の手に入るようなことがあったらどうだろう。

 このように思うため段倉の顔を見ると、これもいつもよりは幾らか青いとは見えるがまず平気なのだ。アノ事がもし冗談でなかったなら、まさか平気ではいられないが、さては全くの冗談に過ぎなかったか、それとも自分の夢であったか、イヤ、次郎の顔、アノ冗談ならぬところを見ては夢とも思われない、あるいは冗談が本当になるようなことはなかっただろうかと、妙に気遣(きづか)わしくまた、疑わしいような気がした。

 けれど、疑いに惑う場合ではない、そのまま段倉共々一行を先導して披露宴に帰ると、待ちかねていた客一同が我先に祝意を述べ、ある者は父老人を助け、ある者は友太郎の手を取り、又ある者は花嫁を案内するなど、少しの間に席もそれぞれ定まったが、およそ世にこれほど夫婦そろって美しい一対は類が少ない。

 お露の美しさは勿論では有るが友太郎も珍しいほどの美男子である。潮風にのみもまれている職業ではあるけれど、それほど色が黒くならない質(たち)だ。血気盛んな生き生きした血の色が顔の面に輝いている。そうして威も有り、愛嬌もある。自然に英雄の風采(ふうさい)《姿》を備えているかと思われる。

 やがて、宴は始まり、何事も異常なく進んだが、誰も彼も、昨日上陸して今日直ぐに婚礼をする運びの早さを、驚いたように褒める。友太郎は確かな声で答えた。「これと言うのも、ひとえに、森江氏のお陰です。森江氏が昨夜のうちに市長に会い、今日の二時半に婚礼が出来るように取り計らってくれました。」二時半と言えばもう一時間とはない。婚礼の式場を指して行くには半時間ばかりの距離なのだ。

 この言葉を聞いた時の、次郎の顔は、その凄(すごさ)が、何とも言い様の無い極限に達した。外の客は次郎など目にもかけないが、絶え間なく見ているのが毛太郎次で、時々眼の隅から覗(うかが)うのが段倉である。

 失望のためだか、はたまた恨みのためだか、そこまでは分からないが、次郎は初めから土色になっている顔を、灰のように白くして、体をも震わせた。確かに彼の神経には穏やかならないところがある。客は又口々に「それでは一時間と経たないうちに式が済むので、もう夫婦になったも同じだ、目出度い、目出度い」このような意味のことばかり言っている。

 その言葉の一々に、花嫁花婿に無限の喜びが現れると共に、次郎の顔には無限の苦痛が現れる。彼は花嫁の親戚として何か言うべきであるけれど、声さえ出すことが出来ない。そうして外を通る車の音にもびくびくして時々振り返ってはこの部屋の入り口の戸の方を見る。誰か来るのを苛(いら)立って待っているようにも見える。

 そのうちに宴も終わった。いよいよ式場に行く時間となったので、森江氏は立って一同に向かい、「皆様、これより花嫁花婿は、私の馬車で市長の所へ参ります。式はその所で挙げますので、皆様は早やこの二人は目出度い夫婦とお思いください。」

 この挨拶に応じて四方から喝采の声が起こった。声の中を潜(くぐ)るようにして森江氏が進めば、友太郎、お露はその後に従い、他の者は又その後に引き続いて、いよいよ出発の列のようなものが出来た。
 丁度この瞬間である。戸の外の階段で、異様な足音が聞こえたのは。

 足音の外にサーベルの音もきこえる。兵隊でも上って来たのだろうか。とにもかくにも時ならぬ物音である。一同は異様に白らけたが、引き続いて、外から三度、この部屋の戸を叩(たた)いた。戸は叩かなくても入れるのだ。その音と共に、おのずから左右に開くと、間から現れたのが、誰の目にも罪人と言うことが直ぐに浮ぶ予審判事、後には大勢の捕吏が従っている。

 実に何たることだろう。森江氏はいささか咎めるような口調で判事に向かい、「何の御用でこの席へ」と問うた。
 判事;「嫌疑者が有りますゆえ」
 森江氏;「エ、―、エ」

 判事は慣れた目で部屋中を見回した。見渡すその速さはなんとなく気味が悪い。そうして、聞いた。「この中に団友太郎と言う人は居ませんか。」
 友太郎はお露の傍から離れて、「団友太郎は私ですが。ご用向きは」
 判事の言葉は石の様に硬い。「法律の名を以て、貴方を逮捕します。」
 逮捕、逮捕、音は極めて低いけれど、耳にこれほど恐ろしく響く言葉が又とあろうか。

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