巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 3.11

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

八十六、心の誓い

 昔話に聞く竜宮と言ってもこの部屋より以上のことは無いだろう。安雄は見とれてうっとりとしていたが、主人は謝辞のように、「イヤ、来客の目を隠して案内すると言う事は、この上もない無礼ですが、全く止むを得ない事情から出た事ですので幾重にもお察し願いたいのです。ここは私の隠れ家で、入り口の秘密が分かると、今までのように世間から隠遁している事ができなくなります。それに、私は一年のうち、三百日ほどは他へ出ていますから、留守の間に自分の隠居所を荒らされる様なことがあるのも辛く、それやこれやで、この巌窟(いわや)の入り口は、誰にも目を開いて来るのを許さないと、こういうことに前から決めているのです。特にあなたのためにこの決まりを破るわけにも行かないものですから、失礼とは知りながら他の人同様に取扱いました。」

 何故そうまでも用心して、特に安雄を呼び入れたのだろう。それほど入り口の秘密が知られるのが恐ろしければ、招き入れない方がよさそうなものなのに。しかし、安雄は心にこのような疑いなどの起こる暇が無い。何しろ多く人の見たことの無い、この竜宮を見る運に廻(めぐ)り合わせたのが嬉しい。「イヤ、目を隠されるのはおろか、たとえ、手足を縛られても、このような仙窟へ招かれるのは光栄です。」

 主人は先ず安雄に座を与えて、自分も腰を下ろした。安雄は何の上に自分の腰が乗っているか、ほとんど疑わしいほどに思う。椅子の表が柔らかで、何だか空中に浮んでいるような感じがする。
 主人;「こうお目にかかって互いに話をしますのに、何か呼ぶべき名前がなくては、拍子が良くありません。どうか私を呼ぶには新八(シンドバット)とお呼びください。私は船乗り新八(シンドバッド)と世間からは呼ばれています。貴方を何んと呼びましょう。」

 敢(あ)えて本名を聞こうというのでは無い。実のところ本名は、聞かなくても既に知っているのだろう。安雄はそうとも思わないから、本名までは明かしたく無い。
 「イヤ、貴方が昔話で有名な船乗り新八ならば、私はその昔話に出てくる荒田院(アラジン)と呼ばれましょう。」

 主人は全く打ち解けた調子となり、
 「では荒田院さん、急な事ですので別に用意と言っても有りませんけれど、晩餐(ばんさん)を差し上げる為にお招き申し上げたわけですから、先ず食堂にご案内致しましょう。」
 と言って、部屋の左の方を向いた。安雄も同じくその方を振り向いて見ると、壁のところに絹の垂れ幕が懸(か)かっている。これが食堂への入り口であろう。
 「どうぞ」と安雄は簡単に答え、主人に続いて立ち上がった。

 垂れ幕を開くと短い廊下がある。今の部屋も、この廊下も、組細工の天井からベニス製と思われる綺麗なランプが下がっていて、明るいことは昼の様である。廊下を通り、行き尽くすといよいよ食堂である。広さは三十人も会食する事が出来るだろうが、その真ん中にただ数人を囲ませるだけのテーブルを置いてある。

 部屋の立派な有様は言うまでも無い。イヤ、言いようが無い。部屋の四隅に、名手の彫刻したと思われる大理石の天使の立像が有って、おのおのその手に籠(かご)を下げている。そうして、その籠には地中海を中にして幾百方里の国々で特に名産と称せられる果実のルイが累々と杉字形《ピラミッド形》に盛り上げてある。どうしてこのように取り集めることが出来るのだろう。

 前の部屋とこの部屋と、どっちが贅沢の度が勝るだろう。この部屋に居る間は勿論この部屋のほうが優(まさ)った様に思われる。安雄は全く目をこすって、夢では無いかと見直した。間もなく一人の給仕が現れた。これは真っ黒なクロンボである。給仕の仕方は驚くほど良く心得ていて、特に主人の目配せを、言葉よりも良く理解する様子は、どうしてこうも仕込んだものかと不思議に思われた。

 安雄は話のきっかけが無いから、先ずこの給仕のことを褒め、「どうしてお手に入れましたか。珍しい給仕ですねえ。礼儀が正しくて、そうして静かで。」
 主人は微笑して、「静かなはずです、舌をを抜いてあるのですもの。」
 安;「エ、舌を」
 安雄は驚かないわけには行かない。

 主人;「彼はご覧の通りヌビア人ですが、チェニス国王の後宮へ、一般人が許されている区域よりも中に歩み入った罰として非情な刑を受けたのです。最初の日、舌を抜き、次の日は手、次の日は足と、段々切り取って、最後に首を切ると、こういう残酷な言い渡しがありましたが、その時私が行き合わせ、そのことを聞きましたから、余り残酷な仕方と思い、国王へライフル銃一丁と外に東洋製の鋭利な刀一振りを差し出し、彼の命を買い取ったのです。」

 「それが丁度舌を抜かれた翌日であったため、彼はしただけを失って助かりましたが、外の黒人と違い、彼は国へ帰りたいなどの心を少しも起しません。どうかして私の船がその国の辺りへ近づきますと、彼は恐れに身を震わせているのです。憐れむべきものでは有りますが、私を全く命の親と心得、犬よりも忠実に勤めています。」

 「何しろ舌が無いのは使うのに不便なようではありますが、こっちの言う言葉は良く聞き分けますから、差し支えはありません。それに主人のどの様な秘密を見聞きしましても、他言するという事が出来ませんから、今では私もそば近く使う僕(しもべ)は、舌のない者に限るというほどに思っています。」

 チェニスの国に舌抜きの刑があることは、前から聞いている。舌を抜かれて人為の聾唖(ろうあ)となって生きている者があることも又聞いている。けれど、その様な者に接するのは今初めてである。しばらくの間、安雄は食欲がなくなるほどに感じたが、しかし、天然の空腹に勝つことは出来ない。それに、舌なし男が運んでくるものが一として珍味で無い物は無いとという程なので、間もなく何事も構わずに食い始めた。

 食うだけでなく、聞きたいことも多少は有る。
 安雄;「貴方はその様にして何時も各国を回っているのですか。」
 主人;「実は心に誓った事が有って、そのために、年中旅から旅へ渡っています。」
 極めて機嫌よく答えたけれど、心の誓いと言った時には眼の底に凄いような光が見えた。

 安雄;「貴方はよほどの艱難《苦しみ》にお会いなさったと見えますね。」
 主人はハッと驚いた様子で、しばらく安雄の顔を見つめた末、  「何でその様にお思いですか。」
 安雄;「いや、貴方の顔色、貴方の声、眼、物言い、そうして貴方の暮らし方まで、全てただ事ではない履歴を表している様に思われます。」

 主人は半ば打ち消すように、「イイエ、世に私ほど幸福な者はありませんよ。全く気ままかってという言葉そのままです。行きたい所に行き。したい事をして、人間の裁判が間違っていると思えばその被告が山賊でも海賊でも救い出して、刑罰を逃れさせてやり、人の知らないような手段っをもって最も確実に善を進め、悪を懲らし、いわば天にも代わったつもりで、正しい裁判を行って行くのです。

 たとえ、貴方にしても。一度私の境涯を味わえば、再び人間の社会に帰りたくないと思います。何が人間の社会に帰ってぜひ成し遂げたいという目的でもなければ。」
 安雄;「たとえば復讐とでも言うような」
 主人;「エエ」
 復讐との言葉に主人は再び安雄の顔を見詰めた。

第八十六終わり
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