巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

gankutu96

巌窟王

アレクサンドル・デュマ著 黒岩涙香 翻案  トシ 口語訳

since 2011. 3.21

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史外史伝 巌窟王    涙香小子訳

九十六、「辛い修業」

 やがて一同は刑場の辺りに着いた。ここでも安雄と武之助が驚いたのは、伯爵の贅沢さである。全く死刑を見物するのに、第一等の場所を借り切ってある。真にこの伯爵がどれ程の財産を持っていて、一日にどれ程使っているかは、想像も及ばないところだ。

 この様な人が、もしパリーにでも行ったなら、全く風が木の葉を巻くように社交界を巻くだろうと、武之助はこの様に思い、借り切って有る二階に上がって、窓の所に自分が落ち着くや否や伯爵に聞いた。
 「貴方はパリーにはお出でになりませんか。」
 伯爵は「ハイ、今明年の中には必ず行く積もりです。」

 武之助は早や自分が案内者となってこの人を社交界に案内する名誉を思い、非常に嬉しそうに、
 「失礼ながら、私が紹介者になりますから、どうぞ何処にも寄らずに、私の家にお着きなさるように願います。」
 伯爵にとっては、悪くない請いと見える。非常に機嫌好く、「必ずそう致しましょう。」と答えた。

 しかし、安雄の方は、武之助と全く反対で、この様な贅沢な知人が来る時に、パリーに居ては、どの様な目に会うかも知れないから、その時は必ず他国に避けていることにしようなどと、早や取り越し苦労するのは、中々用心深いところのある性格だと見える。

 このような中に時刻は来た。二人の囚人は群集の中を引かれて、首切り台のそばに連れて行かれた。先に立つのが、日比野で、後から引き立てられて行くのが寸断の刑と宣告されている赤鳥という悪人である。今やいよいよ日比野の方が、首切り台に乗せられようとする瞬間に、馬に乗って法王からの急使が来た。

 さてはこれが伯爵の勢力のためであると安雄は今更のように驚いた。群集の者が、何事かと且つ怪しみ、且つは馬の蹄(ひづめ)に掛けられないようにしようと、押し合って道を開く中を通り、急使は刑吏に一通の書面を渡した。形吏は読み終わって、群衆に聞こえるように、「一人は赦(ゆる)されることになりました。」

 群集は喜びよりも失望の声で、「特赦、特赦」と口々に叫んだ。
日比野の方は自分が赦(ゆる)されると知っているから、何事も知らない顔をして、ゆったりと落ち着いている。赤鳥は飛び付く様に刑吏に向かい、「一人とは誰です。誰が赦されます。私ですか。私でしょう。」
 刑吏は振り捨てて、日比野に向かい、「お前は法王の特別の慈悲をもって赦(ゆる)されたのだ。」と言い渡した。この時の赤鳥の怒りは見ものだった。

 「日比野が赦される。その様な事は有りません。彼は私と一緒に死ぬはずです。彼を赦すという事は有りません。私は彼が殺されなければ決して死にません。」と言い、眼を光らせて、歯を剥(む)き出しにして、日比野に飛びかかろうとした。刑吏は左右前後からこの赤鳥を取り押さえた。けれど彼の抵抗はすさまじい状況である。蹴るやら、突き飛ばすやら、真に獅子奮迅(ししふんじん)である。何が何でも日比野を捕らえて、自分と共に死なせなければならないと決心している。

 伯爵は瞬きもせずに見ていたが、ほとんど憤慨するような語調で、安雄と武之助に向かい、「どうでしょう、人間の心の険しい事は、これで分かるでは有りませんか。彼は自分の死を恐れるよりも、日比野の助かるのを悔しがるのです。他人が助かると助かるまいと自分の身には何の関係も無いでは有りませんか。」

 「もしこれが獣類であって御覧なさい。共に屠殺場に引き出されて、一方が助かると知れば、必ず同類の一匹でも死なずに済むのを喜びます。たとえ喜ばないまでも、自分と共に死なせたいなどとそれがためにもがく様な事は決して有りません。アア、人は神が自分の身に象(かたど)り充分な愛を込めて作ったのだと思いますのに、同類の苦痛を喜ぶ事はこの通りです。この様な意地悪な、我の強い生物が又と他に有りましょうか。これが汝の隣人を愛せよと言い渡された者のする事でしょうか。」

 真に伯爵は我を忘れた状態である。これと同時に二万以上も居る見物が口々に赤鳥を罵(ののしっ)た。日比野の方は手抜かりが無い。衆人の目が、もがく赤鳥に注いでいる間に、ひそひそと刑台を下り、早や何処かへ消えてしまった。その中に刑吏は赤鳥を押さえ付けた。そうして定めの刑を行ってしまった。

 寸断の刑は、昔ほど残酷には行わない。第一に咽喉を切り、その命を滅ぼした上で、その胸を開くのだ。当人にとってはただの死刑と、大いなる違いは無い。しかし見る人に取っては、目も当てられない状態が有る。

 安雄も武之助も、いよいよという場合には、恐ろしさから隠れるように首(こうべ)を垂れ、少しも実状の無残な有様を見なかったが、一人伯爵だけは身動きもせずに、目を張り開いて見終わった。しかしその辛さは、顔を隠した安雄や武之助にも劣らないと見え、額に油汗が湧き出していた。

 何故こうも伯爵は残酷な事を見るのが好きなのだろう。好きでは無い。自分がこの後行わなければならない、大いなる仕事の為に、自分の胆力を養っているのだ。ただ胆力を養う為に、今までにもどれ程辛い修業を行って来たかわからないのだ。

 この死刑が済むと、間もなくカーニバルが始まるべき合図とし、寺院の鐘が響き渡った。待ちに待ったこのお祭りは、どの様に幕が開いて、どの様に終わる事やら。

第九十六終わり
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