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白髪鬼

マリー・コレリ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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2009.12.2

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白髪鬼


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              (一)

 読者よ、私は鬼(おに)である。人は死ねばこれを鬼(き)と言う。私は一度死んで生き返った者だから鬼(き)である。人にして鬼(き)、鬼(き)にして人、思えば恐ろしい私の鬼生涯(きしょうがい)、試しに、私の故郷のイタリア、ネープル府(ナポリ)に行って、伯爵ハピョ(波漂)はどうしたかを聞いて見よ。異口同音にハピョはすでに死んでいると答えるだろう。

 役場の戸籍帳を調べてみてもハピョは去る八十四年(1884年)の激烈な悪疫にかかり死んだことを知るだろう。私はすなわちその死んだハピョなのだ。戸籍上、法律上はまったくの死人だが、私はまだ生きてこの世にいる。当年とって年齢は三十才である。身体健全な一人の男子として、現にこの通り、筆を取って、自分の鬼生涯を書き表しつつある。顔には男盛りの血色を留め、眼はさえて星のようだ。ただ異なることは、頭の髪の毛だけだ。

 もとは漆のように黒く、東洋の人かと間違われるほどだったのが、今は雪のように白くなってしまって、ただ一筋の黒い毛を捜すことも出来なくなってしまった。三十にして白髪頭になってしまったこと、これが私が他の人と異なるところで、そのほかは何の変わりもない。

 会う人は誰一人として私の白髪を不思議に思わない人はなく、ある人は遺伝かと尋ね、ある人は何か非常に心配事でもあって白くなったのかと聞き、また、ある人は赤道直下のような暑いところを旅行したために白くなったのではと聞く。私はただ笑って何も答えない。答えたとしても、絶対信じる人はいないと思うからである。私の黒髪が白くなったのは一度死んだからだが、生き返ったのと同じくらい不思議なことだ。

 今はただ親切な医学士にその白くなった理由を聞かれ、答えないわけにはいかなくなった。私は黒髪が変じて白髪となったその一年間の事を、思い出すまま書き記そうと思う。いや、思い出すまでもなくその一年間の事は一刻も忘れることは出来ない。この後百年が千年たったとしても、忘れることは絶対ない無いだろう。

 読者の皆さん、私はイタリヤ第一の富豪とまで評された伯爵霏理甫羅馬内(ヒリポ・ローマナイ)の一人息子、伯爵ハピョです。私の生まれた家はネープル(ナポリ)の港にのぞむ景色の良い丘の上にありました。生まれて間もなく、母に別れ、十七才まで父の手で育てられましたが、父もその年に亡くなりました。わずか十七才で莫大な財産の持ち主になったので、知り合いの人々は心配して、彼は必ず酒色にふけり、親が残した財産を浪費してしまうだろうなどと言ったが、私は色にも、酒にも、ばくちにも、その他のおごりにもふけることがなかった。

 だからといって、あまりの倹約家と笑われるのも嫌だったので、ただ財産相応に暮らした。若い娘を持つ親たちは折にふれ時にふれ私を招待したが、私は読書と友人のほかには楽しみはなく、たいていは断って招待には応じなかった。私が読んだ書物の中には女を悪者のように書いたものが多く、あるものは夜叉であると言い、あるものは男の心を麻痺させる毒薬だと書いたものもあった。

 私はむしろ、女を見て危険な者のように思い、そんな者を相手にするより安心してうちとける男友達と交際したほうが無難だと心の内に決めていた。人が来たら喜んでこれと交わり、来なければ一人書を読んで古人を友とした。今思い返してもこれほどの楽しみはない。

 友達のうちで特に親しかったのは、私と同年齢で同じ学校を卒業した、ギドウ(花里魏堂(はなざとぎどう))という男だ。彼は私が裕福なのと引きかえ、何の財産もなく、しかも私と同じように幼いとき父母を失い、ただ、ローマに一人の叔父がいるだけだった。叔父の仕送りで、生活をしていたが、これでも生活を支えるには足りず、学校を卒業した後は絵を習い、上手にはならなかったが、少しは画料を得る身となった。

 特に私が彼を愛し、必要もない絵を描かせて高い値で買い取るなどして、それとなく十分に保護を与えたため、別に生活に不自由と言うこともなく、社交界にも立交じるだけでなく、彼は特に容貌良く生まれつき、女かとも見えるほどなので、私とは違い、婦人社会との交流もあり、いつも私に向かって女の事を説きすすめた。
 
 言葉巧みに言い回して、人生の幸福は女の愛のほかには有り得ずと言い、ほとんど私の心を動かすほどだったが、私は彼が帰った後で、再び古人の書を読むと、もとの冷静な心にもどり、「ギドウ(魏堂)よ、ギドウ(魏堂)よ、私は君と交友する以外には楽しみはいらない」、と一人叫び、本心からそのように思っていた。有り体に言えば、この頃の私とギドウとの間ほど親しみ合っている友達は世の中にまたとないことだったと思う。

 しかしながら人の心ほど移りやすいものはなく、心移れば楽しみもまた変わり、行動もまた変わって行く。私がこのような静かな月日を送っている内にも、私は知らず知らずに心が移る時を迎えていた。忘れもしない八十一年(明治十四年)、五月も終わろうとしている頃である。

 ギドウはローマの叔父の所に行くと言って、一週間ほどの留守となり、私はただ一人家にいてほとんど退屈に耐えられなくなり、昼過ぎから小舟をネープル(ナポリ)の港に浮かべ、日暮れ頃まで湾の中をこぎ回っていた。

 そのうち疲れを覚えて港に舟を付け、陸に上がって、我が家に帰ろうとしていると、その道にどこから聞こえて来るともなく、すばらしく妙なる歌声が聞こえてきたので、私は恍惚として聞き惚れながら歩くうち、声は次第に近くなってきて、やがて道の角を一つ曲がると、私はすぐ目の前で五,六人の少女たちが、音楽教師かと思われる一老人に引き連れられて、歌ったり、笑ったりしながら、楽しそうに戯れているのを見た。

 読者よ、私は実にこの時まで、女にも心を奪われてみるものだとは思ってもいなかった。この時初めて、今までの愚かさを悟った。女、女、女ならでは人生の楽しみはないと、ギドウが言っていたのはこのことかと思い出すのも忘れて、私はそのうちの一人に見入った。

 妙なる声で歌う一人、これは人かこれは天女か、群いるなかにただ一人、輝くばかりに美しいその面影、その年十六はすでに、十七にはいまだし、何かしらの眼、何かしらの唇、古人が毒薬と評したのは、まだこの女が生まれる前だったからだろう。確かにそれに違いない。世間の女は皆毒薬だが、この女はただ一人その毒を消す気付け薬か。

 私はその姿を見るだけで、二十年来の味気ない浮き世から、天国に生まれ出た心地がした。手が舞うのも知らず、足が踏むのも知らず、人が怪しんで私の姿を見ているのもすべて気にせず、眼中にはただその可憐な姿があるだけだった。

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