巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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白髪鬼

マリー・コレリ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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2009.12.3

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白髪鬼

                 (二)

 読者よ、女を悪魔だとばかり思っていた私が、突然女に溺れるとは、非常に恥ずかしい話だが、私はあまりのうれしさにその恥ずかしさも忘れてしまった。この女がいなければ、私は生涯木石のような男で、人を人にしている情を知らず、昔の学者に欺かれて、ついに自分の誤りを悟ることが出来ずに終わっただろうと思う。思えば、この女は私の百年の迷いを覚まさせた有り難い大知識、拝み尊ばずにはいられない。実に百聞は一見にしかずで、ただ一度見た美人の顔がたちまち百冊の本の知識を霧のようにかき消してしまったとは・・・・・。

 勿論のこと、私はこの女と結婚した。一度こうと思ったら一刻も無駄にできないのが私の気質なので、及ぶだけの手を尽くし、あるだけの力を費やして、この翌月の下旬早くもこの女の夫となった。その間の骨折りはただ読者の推量に任せておく。くだくだと話すには及ばない。この女はフロレンス府(フェレンツェ)の零落貴族の一女にして、父よりほかに身寄りもなく、幼い頃からしつけの最も厳しい事で知られた、修道院で教育を受けていた者で、私が見初めた事を知ると、父なる零落貴族は、娘が女王にでもなるかのように喜び、娘に一言の否も言わせず、転がって喜び、転がって結婚させた。

 結婚が済むと第一に喜びを述べたのはあのギドウだった。彼は私の手を砕けるほど握りしめ、「君は本当に幸せ者だよ、一番静かなくせ者が、一番大きな仕事をすると言うが、本当にそれは君のことだ。イタリア第一の美人、いやいや、世界第一の美人、本当に十九世紀第一の美人を捜し当てた。そうだろう、女を魔物のように思っていた君だから、これほどの女でなければ愛さないだろう。え君、僕がかって美人は造化の最大美術だと、説き聞かせたその意味が、今分かっただろう。」と言って私とナイナ(那稲)(私の妻)の側を踊り回った。

 私はこの親切な言葉を聞き早くも後悔した。今まではこの男を第一の友としていたものを、今はこの男より一層親しい者が二人出来た。それだけこの男への私の情は薄くなっていく。ああ、ギドウ、可愛想に、彼はまだ美人を妻にするその楽しさを知らない男だ。私はなにかと彼に気の毒な思いをしながらも、ナイナの顔を眺めると気の毒も後悔もすべて忘れてしまった。

 この美しい顔さえいつも私の目の前にあれば、友達もいらず、世間もいらず、命もいらない。愛に酔うとはこのような事を言うのだろう。私はここから本当に人生うれしさの絶頂に達し、痴呆になったようだ。何度ナイナの顔を眺めても飽きず、見るたびに美しさがますます増し、ついにはナイナの美しさがすべて物に染め移り、見る物、聞くもの美しく楽しくないものはなかった。

 ナイナも次第に私の心を知り、あたかも熊を使う見せ物師が、眼の上げ下げで荒熊を自由自在に動かすように、ナイナは眼一つ(否二つ)で私を意のままに動かす方法を知り、来てと言わずに私を来させ、座れと言わずに私を座らせる、その思うとおりになるのをみては、熊使いが熊を褒めそやすようにうれしそうに、ニッと笑い、私もその顔にまたニッと笑う。笑みと笑みとの中にこもる楽しさは昔の哲学者も心学者も、気の毒ながらまだ知らないところで、ほとんど私とナイナの間にだけ限られた天の賜だ。

 勿論、こんな具合だから、私はただ自分でナイナを愛するばかりでなく、ナイナにも十分愛されていることを疑わなかった。そうだその通りだ、ナイナは確かに私を愛していると、私が思い込むのは無理なことだろうか。ほとんどの世の夫たちは、誰が自分の妻が、自分を愛していることを疑っているだろうか。妻が別な男に心を寄せれば寄せるほど、夫はますます自分に心を寄せていると思いこみ、妻を盗まれた後でも、知らずにますます妻を愛する。何かの書物にも書いてあったが、私とナイナの間には学者の言葉など思い出す必要も無かった。ほとんど、わき目もふれないほど楽しかったからだ。

 結婚前も結婚後も変わることなく、私の家は土地の紳士の多くが出入りするところであった。出入りする紳士誰一人、私の妻ナイナの美しさをほめない者はなく、中でもほめ声の最も高かったのはあのギドウだった。彼は案内も乞わず私の家に入り来たり、暇を告げずに出で去るほどで、私の家を自分の家のように見、私の妻を自分の妻、おっとそうまで愛されては大変だ。とにかくも私が彼を愛するように、彼も私を愛し、私がナイナを愛するように彼もまたナイナを、いやいや、このように書いては同じ事だ。

 読者よ、私はどのようにこのところを書いたらよいか分からないが、とにかく、ギドウが私の妻を愛したのは並大抵ではなかった。彼は来るたびに何かナイナの気に入るような土産ものを買ってきては、ナイナに贈らないと言うことはなく、ナイナを見るたびにその顔、その髪、その手、その姿を褒めなかったことはなかった。なにしろ彼は私より口先が達者で、そのほめ言葉はほめると言うほど露骨な言葉ではなく、なんとなくナイナの心を喜ばせた。

 私は結婚のため、ギドウと親しみが薄くなるかと思っていたところ、かえってその親しみが増したので、これに勝る喜びは無かった。ある時彼に向かって、ギドウよ、貴方は私が結婚したため、親友、我を失うかと心配したかもしれないが、失わないばかりか更にナイナを一人の親友に加える事が出来て、きっと喜んでいるだろうと言うと、彼は眉間にほんのかすかに薄雲をかけたかと思う間もなく、彼は愉快げに笑い、「そうともハピョ」と答えた。

 読者よ、試しに考えて見てほしい。私のように家が富み、私のように妻に愛され、私のように親友に親しまれ、しかも私のように健康だったら、これが人間の最大幸福でなくて何があるだろう。浮き世というこの世界に、これほどまでの幸福があるかと思うと、私は余りにもったいなさすぎて、罰が当たらないかと心配するほどだった。

 罰は当たらず私の幸せはいよいよ深まった。次の年の5月の初め、私とギドウが我が家の景色第一と言うテラスに腰を掛けてナポリ湾を見下している折しも、召使いの老女が、手の先に生まれたての女の子を抱いてきて、「旦那様お喜び遊ばせ。思ったより安産でこのようなお嬢さまがお生まれになりました。」と告げた。これは我が妻ナイナが生んだ私の子であった。ナイナは結婚から二ヶ月後に我が子を宿し、今は月が満ちて産み落としたのだ。私は可愛さに耐えきれず、玉のようなその額に口づけをするとギドウも同じように口づけをした。

 やがて老女が抱き去った後で、私は「実に可愛いものだねー。」とギドウの方を向くと、彼はいつもより青く不機嫌な顔で、かすかにため息をもらしながら、「君は本当に良い人だよ。」と言う。その言い方が異様だったので私は怪しみ、「なぜだねギドウ、勿論悪人とは思わないが、改めてほめられるほどの良いこともしていないが」「いや、少しも疑うと言うことを知らないからさ。」と言う様子はますます異様だった。

 「疑い?誰も疑うべき人などいないもの。」「いや、世間にはずいぶん自分の妻を疑い、嫉妬のあまりとんでもない事をする人もいるのに。」私はほとんど叫び声で、「えギドウ、何と言うことを言う。私の妻は生まれたてのあの子供より清浄潔白ではないか。」「それはそうだ、実にそうだ、モンブランの雪より白く、磨いた玉より清く、青空の星よりも高いというのは令夫人だ。」

 私は厳かな声で「そうとも」と答えたが、ギドウの様子に何か納得のいかないものをを感じた。話はすぐに他の話題に移ったが、遠からずして、彼の言葉を一々思い出させる不吉なときが来るだろうとは、神ならぬ私には露ほども考えられなかった。

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