巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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白髪鬼

マリー・コレリ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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白髪鬼

             (二十六)

 この時、メードは私を上等な客と見て取ったのか、すぐに近づいてきて「お客様、こちらのテーブルがきれいです」と、言い私をギドウの隣に案内した。ギドウは新聞紙の上から私の姿をチラッと見たが、白髪にしてサングラスの老紳士、気を止めるのにも当たらないと見たのか、また知らん顔をして、新聞に顔を隠した。私ははや戦場に踏み込んだ気持ちになり、百日来、練りに練った、だみ声でメードにコーヒーを注文し、飲み終わって勘定をさせ、更に十分なチップをメードに与えると、何を思ったのか、ギドウは新聞を下に置き、前よりも真剣に、かつ不安げに私の横顔を眺めた。

 横顔は真正面よりもかえって化けの皮がはがれやすいと知っているので、私は手を伸ばして新聞紙を取るふりをして、わざとギドウの方を向くと、今のチップに喜んだメードは気を利かせ「いや、新聞ならこっちの方が今届いたばかりです」と言って、折ったままのを持って来た。

 私はすぐにこれを開こうともせず、ぜいたくをして飽きた人の、ものうさそうな素振りをまねて、仰向けに椅子に反り返り、左の手にくゆる葉巻のたばこを持ち、横柄に部屋中を見回すというのは見せかけ、実はサングラスを四方に光らせながら、
 「これ、これメード、ここは、ナポリの紳士がたいてい来るところと聞いたが。」
 「はい、どなた様も皆いらっしゃいます。」

 「伯爵ロウマナイ氏は来ないのか。」この言葉を聞いてギドウはピクリと体を動かしたが、メードは納得の顔で、
 「ああ、貴方様はまだこの土地にいらっしたばかりと見えますね。ハピョ様は3月ほど前に亡くなりました。」
 「ええ、なんだと、ハピョが死んだ、若いのにそんなはずはない。」
 「いえ、この土地の人は皆知っています。その当座は惜しまない人はいないほどでした。」

 「やれやれ、それは残念な事をした。せっかく俺が来たのに間に合わなかったか。」私の失望をメードは気の毒げに「貴方様はハピョ様を訪ねてお出でなさったのですか。」「いや、それだけで来たわけではないが、俺はハピョの父とはごく親しい友達でな、永年旅に出ていたが、この頃、久しぶりに帰ったからそれで会いたいと思ったのさ。ああ、俺がこの土地を立つ頃はハピョはまだ子供であったが、もう死んだのか。きっと流行病にでもかかったのだろうな。」
 「はい」
 「親父は十何年か前に死んでいるし、今又、ハピョが死んだとあれば、はてな、ロウマナイ家は絶えてしまうか。それとも、ハピョに女房でもできていたかな。」

 「はい、きれいな奥様がお有りなさって、お子さまも一人できています。」と言ってメードが更にしゃべり出そうとすると、ギドウめ、何か用事ありげにこちらを向いたので、私もまた応じてサングラスを彼の生白い顔に向けると、彼は交際になれた優しい声で、「いや失礼ですが、私はお尋ねのハピョとはごく親密にしていた者です。彼のことならたいてい存じていますから、お尋ねならば私からお返事しましょうか。」と言った。

 その声、その言い方、全てが私が兄より弟よりも親しくつき合ったそのころのギドウの声、そのころのギドウの言い方だった。私自身にも昔聞き慣れた謡曲を聴く思いがして、怒りの中にもまた一種の悲しみを感じ、急には返えす言葉も出てこないほどだったが、今からそんなに心が弱くてはいけないと、ギドウがまだ怪しまない中に、今まで練り固めただみ声で、「おお、貴方がハピョの親友ですか。これは何より幸いです。この後ますます親しくして頂かなくてはなりませんが。」と言いながら私は名刺を出して、謹んでギドウに渡すと、彼は一目見て驚き、

 「や、や、貴方が伯爵笹田折葉さんですか。貴方が当地にお出での事はすでに上流新聞紙が皆報道したところで、我々社交界の者は皆首を伸ばして待っていました。その笹田伯爵に私が第一にお目にかかるとは実に私の名誉です。私こそ親しくしていただかなければなりません。」と言い、彼はほとんどこびるようにその手を私の前に差し出した。

 さし出したその手を私は礼儀として握らなければならないとは、私は余りのいまいましさに、ぞっと寒気がして体中鳥肌が立つのを感じた。しかしながら、ここは握らなければならない場面、手袋のままこれを握ったが、彼は熱心に握り返し、その温かさは今の寒気を吹き飛ばし、皮を隔てて私の手を焼くようだった。このような偽りの人物と交際しなければならない私の心のつらさ、これも今更驚くほどのことではないとは言え、私はほとんど自分の心を抑えるのが難しくなっていた。

 しかし、今ここで、このつらさを絶えたからには、あたかも最初の灸をこらえた時と同じで、この後は何度彼の手を握っても平気になるだろう。彼に真実の友と見せて、一緒に笑い、楽しみもしよう。まず、そのさきがけだけはできたことは幸いだったと、私が静かに手を引くと、彼は、私の心が騒いだのにも気が付かず、自分の名刺を取り出して私に渡し、

 「私はふつつかな絵かき、花里魏堂です、これからは貴方の僕(しもべ)も同様です。」
 「いや、私こそ」
 「では、一杯傾けてこの交わりを祝しましょう。」と言い、彼はメードを呼び酒を命じて、それが来るまでと言って、私にたばこを差し出した。

 たばこは勿論、入れ物まで私の品なので、私はそれを手にとって眺めながら、「なかなか立派な美術品です。おや、Hの字とRの字を彫りつけていますね。故人の形見とでも言いそうですが。」
 「そうです。ハピョの形見です。」
 「なるほど、それでHの字とRの字ですか。」
 「はい、ハピョが死ぬとき持っていたのを、葬った牧師がほかの品々と一緒に夫人の所に送り届けたのです。」

 「それを、夫人から貴方に形見に贈られたと言うのですね。」と私が無理に笑顔を作って聞くと、彼は満足げに「さようです。」と答え、更に自分の未来の妻を紹介する心からか、彼はまた笑みを浮かべて、「どうせ、貴方は夫人にお会いなさるのでしょうが、驚いてはいけませんよ、世界中の美人の顔を見尽くした太陽に聞いても、恐らくは、これほど愛らしい顔を照らしたことはないと答えましょう。」

 私はわざと冷淡に、
 「おお、それほどの美人ですか。」
 「美人と言う名は追いつきません。初めて天降った天女です。貴方がもし少年ならば私はこのようなことは言いません、危険ですから。しかし、貴方の白髪を見れば、このようなことをうち明けても、無難な年頃とお見受けしますから遠慮なく言いますが。はい、本当に天女です。ハピョなどの女房には本当にもったいないほどでした。」

 ハピョなどとは何事だ。特に「など」の妻にはもったいないとは、彼はどれほど私を見下げていたのかと思い、私はかまをかけて、
 「だけれど、ハピョは父に似て幼い頃は随分立派な男で、心もなかなか良さそうに見えましたが」
 「そうですね。ほめて言えば善人、公平に評すれば馬鹿者ですよ、死んだ友人を悪く言う訳ではありませんが、彼の性質をそろばんに掛け、一々合計してみると、出てくる値はどうしても馬鹿者です。」
 おのれ、ギドウめ人非人め!

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