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白髪鬼
マリー・コレリ 著 黒岩涙香 翻案 トシ 口語訳
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白髪鬼
(五十四)
私はナイナを訪ねる際に空手で行ったことはないので、この日も柳の枝で編んだ大きな下げ篭に美しい白スミレの花をあふれるほど盛り、これを土産に携えて馬車に乗った。
思い出せば、先年私の娘星子の生まれた時も色こそ違うがちょうど紫のスミレが花咲く頃で、その時、ギドウは星子を見て、私に言い聞かせた異様な言葉、何の意味か分からなかったが、今から考えてみると、非常に、非常に明白で、彼はただ私を馬鹿にしただけだったのだ。
これほど言ってもまだ悟らないのかと面白半分に私を試したのだ。今はその馬鹿にされたことを彼に返し、私の辱めをそそぐ時が来たと思うと、心自ずから勇み立ち、馬車が何時ロウマナイ家に着いたのかさえ知らないほどだった。
やがてメードに従いナイナの部屋に通ると、ナイナは例の通り喜んで、私の土産物をメードの手から受け取りながら、これをテーブルの中央に飾った上ですぐにメードを下がらせ、私と向かい合って腰を下ろしたので、私は挨拶も述べずにまず用意してきた言葉、
「花里魏堂氏から手紙が来ましたよ。」と言うとナイナはビクリと驚きながらも何気ない風をよそおって、後の言葉が出るのを待ったので、
「花里氏は明日か、明後日に帰ると言います。帰ればきっと貴方が喜ぶだろうと思い、それが何より楽しみだなどと書いてあります。」と言うと、ナイナはもう平気ではおられず弁解したい様子で口を動かしたが、言葉がなかなか出てこなかった。
私は更に進めて、「彼は帰って来て貴方と私の結婚の約束ができたことを聞いたらきっと失望することでしょう。ことによると、立腹して貴方をひどい目にあわせるなどと言うかもしれません。」
ナイナは「はい」とも「いいえ」とも答えることができなかった。
「はい」と言えば今まで魏堂と約束をしていたと白状するのと同じで、「いいえ」と言えば彼が実際帰ってきて怒ったときに化けの皮がはがれてしまう。私はそのもじもじする様子を見て言葉を優しくし、
「いや、貴方はギドウに何の約束もしたことはなく、自分の自由になる体で私と夫婦になっても、ギドウに恨まれる筋は無いでしょうが、それにしてもギドウはあの通りの分からず屋ですから、当てが外れたように思い、貴方に危害を加えないとも限りません。」
ナイナはほっと息をつぎ、
「そうです。そうです。彼は本当にあきれるほど自惚れの強い男で、私を自分の妻にでもなるもののように思っている様子も見えますから。」
「そうです。とにかく貴方は一時ギドウをお避けになってはいかがですか。」
「え」
「いや、少しの間ギドウと顔を会わさないように、この家を立ち去って親類の家に泊まりに行くとか、あるいは温泉にでも行って保養でもして、それからギドウの怒りがさめた頃帰って来ることにしてはいかがですか。ええ、実はこのことをおすすめに私は上がりました。」
私は実際しばらくの間ナイナをギドウの目にふれない所に置きたいと思うため、その打ち合わせに来たのだ。
ナイナは少し考えていたが、もちろん望むところなので、
「はい、貴方がそうおっしゃってくださるのならば、お言葉に従いましょう。もっとも、彼から怒られるいわれはありませんが。」とまだ体裁をとりつくろうとした。
「はい、彼が怒るいわれの有る無しにかかわりません。」
「ですが、彼はまた貴方を捕まえてどのような事をするか分かりません。貴方も私も一緒にしばらくこの土地を離れようでは有りませんか。」
彼女は自分の留守中に私がギドウの口から色々なことを聞きとるのではないかと恐れているのか。
「なに、私は残って彼をなだめた方が良いでしょう。二人ともこの地を居なければどこまで捜しに来るか分かりません。」
この説得にはナイナも「本当にそうだ。」と思ったようで、私は言葉のついでに、「貴方はギドウに手紙を送ったそうですね。」
何気ないように見せて、非常に軽々と問いただしたが、ナイナにとっては非常に不意な問だったので彼女は返事に困ったが、ようやく「はい、実は前の夫、ハピョが余りに彼を愛し過ぎ、遺言の中にも万事彼に相談しろとなどと書いてありますから、ただ形式的に、ある家政上の問題で彼に手紙を書きました。けれども押しの強い彼のことなので、きっと貴方に私が何度も手紙をやったように書き、さも恋文でも貰ったように自慢して書いてあるだろうと思います。そうでしょう、伯爵。」
ああ、これ何と恐ろしい口先だろう。私がこれと言わないうちに、早、しかるべく言いくるめて疑いの根を絶とうとする。私は密かにあきれながらも話を初めの筋に戻し、
「いよいよこの土地を立つとすればどこへ行きますか。」
ナイナは私が疑いの雲をすでに通り過ごしたと見て安心し、ずっと真面目な顔に返り、
「私は、この家に来るまで、この地から10マイル(19km)ほど離れた修道院にいましたが、再びその修道院に行ってみようかと思います。」
温泉場と言わずに修道院と言う心にギドウを恐れることの非常に深い事が見てとれる。
私はただ感心した様子をして
「それは何より結構なお心がけです。」
ナイナは図に乗り
「いいえ、そうでもありませんが、この家に来てからは忙しさにまぎれて神に上げる祈りまで粗略になり、信仰を怠る、いや怠ると言うこともありませんが、何だか神への勤めがが足りないような気がしますから、貴方と婚礼を挙げる前に十分信仰もかため、神の恵みも祈って置きたいと思います。このような時でなければ再び落ち着いて祈る時も有りませんから。」
汝(なんじ)の汚れた口から神を祈るのは、真に紳威を汚すものだと私は腹立たしさに耐えられなかったが、せめてナイナの良心を自分からとがめさせてみようと思い、
「いや、貴方のような清い口から発する祈りは神も必ず聞いてくれるでしょう。亡夫ハピョのためにお祈りなさい。貴方が彼に貞節を尽くしたことは、実に女の鑑(かがみ)だと世間でも噂しているほどですから、神は必ず貴方の心の清いことを十分見抜いて居ましょう。」と言うと、この言葉にはさすがの毒婦も非常に不安の様子で椅子に座ったまましり込みするようだった。
「ですが、貴方はいつその修道院に行くつもりですか。」
「はい、今日にもすぐ参ります。ギドウは疑り深い男ですから、明後日帰ると言って置いて、出し抜けに今日帰るかも知れませんので。虫が知らせるのか私は何やら変な気がしますから、はい、これからすぐにその準備にかかります。」
今日すぐに逃げて行くとは、心に一方ならない弱みがあるものと見えて、気持ちがよかった。
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