巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

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白髪鬼

マリー・コレリ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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2009.12.11

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白髪鬼

             (六)

 そうは言ってもすでに出口の戸が閉ざされている所を、どのようにして逃げ出したらよいのか。どう考えてもこの黒々とした暗黒の中で、餓死するほかに方法はない。私はこのことを思うと何も考えられず、石段の所に立ったまま、ええ悔しい、情けない、誰か来て助けてくれと、夢中で泣き声を上げていたが、呼べど叫べど答えるのは、ただ墓倉の壁に響く自分の声の反響だけ、ものすごいことと言ったら言う言葉もない。

 だめだめ、逃げようと思うだけ無駄だ。とても逃げられないに決まっている。この場合、男らしく諦めて死ぬ以外に無いと、自分に言い聞かせたが、死ぬ気にはどうしてもなれない。ああ、我、物心ついて以来、人に塵(ちり)一つの迷惑も掛けたことはなく、弱きを助け、貧しきを哀れんで、できるだけの功徳を施してきたのに、何の報いでこのような無惨な死に方を、することになったのだろう。情けないとも口惜しいとも言いようが無く、心の中は逆巻く波のように騒ぎ立ち、高く打つ動悸の音が自分にも聞こえてきた。

 ほかにどうしようもない状況なので、ただ火が燃えるような息を吹きながら、幾時間かそこに立ちつくしているだけだったが、心うっとりと遠くなり、悲しさも、悲しむことを忘れ、悔しさも、悔しいと思わなくなり、ほとんどこのまま、また息絶えるかと思われるところまできたが、この時、心は全く疲れ果て、ただ、皮膚の神経だけが働きをの残した状態だった。

 何事もすべて夢のなかのように感じられたその中に、体のどこかが、丁度氷を当てられたように、非常に冷たい所があるのを感じた。それも、初めはただ冷たいと思うだけだったのが、しだいしだいに冷たさが強くなり、ほとんどちぎれるばかりの痛みになって来たので、ふと気を取り戻すと、これは足の裏の所だった。夏と言ってもむき出しにしたことのない足なのに、今は何百何千年と日に触れたことのない、氷のような土を踏み、長いこと立っていたため、次第に冷えて来たものと思われる。

 さては、履いていた靴を脱がせ、素足にして棺の中に入れたものとみえる。そうすると着ていた着物も、亡者の着る白い帷子(かたびら)に着替えた物かという思いが浮かんで来たので、冷たい両足を変わるがわる踏みならして暖めながら、体中をさわってみると、いやいや、着物は死に際に着ていたままで、ただ、コートだけ脱いでいた。きっと、伝染病毒の恐ろしさに靴と上衣を脱がしただけで、そのほかの手当を尽くす事ができず、そこそこに棺に入れ、この墓倉に送り込んだのだろう。

 このように思って更に胸より上を調べてみると、首に掛かってぶら下がる細い鎖のような物があった。これは何だろうと怪しんで手に取ってみると、ああ、分かった、私がいつも首に掛け守り本尊のように持っていた写真入れだった。中には私と、妻ナイナ、娘星子の3人の写真があり、私はこれを手に取って、あたかも妻子に巡りあった心地がして、しばらく自分の恐ろしい境遇を忘れ、「おお、ナイナ、ナイナ」と言い、その写真入れに口づけをした。

 ナイナ、ナイナ、貴方は今どうしているのだ。私が墓倉で生き返っているとも知らずに、きっと嘆き悲しんでいることだろう。可愛い星子を涙ながらに抱き上げて、私のかたみと思い、星子が聞き分けなく、お父さんはなぜ帰って来ない、どこに行ったの、と泣きながら聞くのを、何と言ってなだめていることか。ああ、親友のギドウにしても、きっとナイナを慰めかねて、顔をそむけて泣いていることだろう。

 彼らに私がこのように生き返り、墓場の底でさまよっていることを知らせたら、彼らはどんなに驚いて走って来ることだろう。私が何とかしてここを抜け出し、彼らの所に帰って行ったら、彼らは右から、左から私に抱きつき、うれし涙をこらえきれず、夢かとばかりに喜ぶことだろう。ハピョ、ハピョと妻は第一に私の首にまつわりついて、どんなに熱く、またどれほど柔らかな唇を、私の額に当てることだろう。

 このようなことを思って、私はしばらく呆然とし、想像の深い霧の中に迷い込んだが、すぐに正気に戻ってみると、悲しいことに読者よ、この喜びは私が二度と見ることができない事だった。これほどの喜びを目の前にして、私は意地悪な鉄の扉に閉じこめられて、このまま死んで行かなければならなず、妻の顔、娘の顔、ギドウの顔、すべて一昔前の夢と同じで、二度と見ることができないことに決まっていた。

 私はこのようなことを考えて、きっと発狂してしまったに違いない。先ほどまではちぎれるほどに感じていた足の裏の冷たさも、今は感じず、「いまいましい」と大声で叫んで神を罵(ののし)り、あてもなく闇の中を走り始め、狂いに狂って止まらず、壁に頭を打ち付けて、死ぬなら、死ね。つまづき倒れて、怪我をするなら怪我をせよ。二度と世に出る見込みのない者が、何を恐れることがある、また何を嫌う事があるだろう。右に左に走り回ること何十分間かの後、私は方向を失った。

 あの出口はどちらの方向だったか、生き返ったあの棺の所はどのあたりだったか、自分は今どちらの方向を向いているのか、手探りしても、手探りしても手に当たるものはなにもなかった。ここに至って私は初めて、何よりもかによりも、「闇」というものが、一番恐ろしいものであることが分かった。

 今までは逃げ出せるところはないかと、そればかりを捜す一心で暗さは気にもとめていなかったが、もう逃げ出すことはできないと決まってからは、黒白も分からない暗さほど恐ろしいものはない。私の母、私の父、私の先祖、何人かの死骸のほかに少しも恐ろしいものはないと分かっていても、それにしても明かりが欲しい。

 どうせ再び死ぬに決まっていても、辺りを一目見たい。明かりのあるところで死にたい。この暗い所で死んでは天国に行く道も分からない。地獄に堕ちる以外に方法はないと言う気にさせられ、気味の悪いことと言ったら、これ以上のことはない。読者よ、世界広と言えども、人間の住む世の中に、私が受けたこの時の苦しみほどのものは、またとあるだろうか。

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