巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

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白髪鬼

マリー・コレリ 著   黒岩涙香 翻案   トシ  口語訳

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             (八十)

 私とナイナの婚礼はいよいよサン・ゼロネの教会で行うことに決まった。最初の婚礼もこの教会だった。人も変わらず場所までも同じだが心の裏は恐ろしい違いだ。あのときはただうれしさだけが満ち満ちて、見るもの聞くもの全て私の新婚を祝すかと思われたが、今は全て恨みの一念だけ。鐘楼で鳴る鐘の音までナイナの罪を鳴らす声かと疑われる。

 ナイナも幾らかは心穏やかでないところがあると見え、婚礼の日がだんだん近くなるに従ってその様子が何となく変わってきた。今まではハピョの喪服を着けながらもただ私の機嫌をとるだけで笑いの声は彼女の口に絶えず、喜びの色は彼女の顔に絶えなかったが、この頃は彼女は時々ふさぎ込んで見えることがある。

 私が振り向くと慌てて笑顔に返るとは言え、世に言う虫の知らせで、自分のこの先の運命は悲惨で非常に暗いところがあると神経に感じると見える。とくに彼女は時々私が脇に向ける横顔を見つめて非常に怪しそうにその目を見張ることがあるのは、いよいよ持って私とハピョとの面差しが似ている事を思い、これ又自分の神経の迷いだろうと自分を非難したものと思われる。

 今となってはどれほど非難しても、私にのど頸(くび)を握られるも同様で、結婚を取り消そうと思っても取り消せない。逃げるのにもその道がない。私はあたかも足の下に踏みつけた毒虫を苦しめるように、ゆっくりと彼女を苦しめる。これは何の楽しみもない私の身へのせめてもの思いやりなのだ。彼女は婚礼の前に私が本当のハピョだと悟るなら悟れ。いやいや、彼女は悟るはずはない。ただ、自分の神経を疑うだけだ。

 もちろん、私はナイナの家に出入りするのに我が家に出入りするのと同じようにして、案内も請わず、自由自在にナイナの部屋にも入れば、ハピョだった頃の書斎にも入り、すべて行動に置いては昔のこの家の主人だった時と異なることはなかった。

 許嫁の夫としてはわがまますぎる特権だが、家を奪われ、名お奪われ、更に一生を奪われた大の被害者として、この家の先祖代々の主人としては、少しも特権ではなく、わがままではない。我が家を他人の家として出入りを咎められないのを幸いとする。これほど頼りない生涯が又とこの世に有るだろうか。

 もし老僕の皺薦でも達者なら彼は更に疑いを深くして絶えず私に目を注ぐだろうが、彼は先の夜、荒々しくギドウに投げつけられて腰の骨をくじいたとかで床に臥(ふ)したまま起きても来ない。特に取る年も年だけに、体もますます衰えて私の乳母だった老女お朝に介抱され、わずかに虫の息を保つだけだ。

 この家にあっても何の役にも立たないのですでにナイナからその親戚を呼び出し、引き取り方を命じたということで、ある時ナイナは私に向かい「あのような者を置いたとて何の役に立ちましょう。」と言った。

 ああ、二十年来ロウマナイ家に仕え、忠義に置いて一点の欠くところもない老僕をわずか一月か、二月か病み臥せったため、家の片隅に寝かして置くのさえ、ならずとしてその癒えぬ間に追い出す。これを人情と言うべきか。

 最もナイナの今までのやり方に照らせば怪しむに足りないが、私は腹の中で怒りながら何事も言わずに置いて置いた。ナイナがつれなく彼を捨てたら私がまた彼を救う方法が有るからだ。

 これから更に私の心に深くしみ込んだことは、この翌日私がナイナの所を訪ねた時、庭の横手に黒い一物が横たわっているのを見たので、行って良く見ると、これは何と私の愛犬のイビスだった。彼は誰かに射殺されたと見え、胸の真ん中に弾丸の傷跡があった。

 傷から出た出た血の痕はその前足に伝わって今でも鮮やかだった。もしや、命がないかとその首に手を掛けて揺り動かしたが、はや少しの体温もなく全く事切れた後だった。誰が何のために射殺したのか、実に腹立たしい限りなので、ナイナにこのわけを聞こうとそこから立ち上がると、一方の木の陰に園丁が働いているのが見えたので、私はこれを呼び、

 「この犬はどうして死んだ」と聞くと、
 「はい、今朝、夫人の言いつけで私どもが射殺しました。」さてはナイナが射殺させたのか。
 「何か悪いことでもしたと見えるな。それにしても可愛そうな、どれ、お前にこれをやるからこの死骸をあの木のもとに丁寧に葬ってやれ。」と言い、五フランの銀貨を与えて私が以前から愛していた松の木の方を指さすと、園丁は褒美の金の多さに驚き、「はい、私も夫人の仰せで射殺したものの、余り可愛そうですから、埋めてやろうと思っていました。」と言いながら、銀貨を押し頂きポケットにしまい、はやその死骸を彼方に引いて行った。

 私は直ぐに家に入り、ナイナに会うなり何気なく「イビスを射殺させたそうですね。」と聞くと、ナイナはびくりと身震いしたが、やがて悲しそうな声を作り、「あれもハピョの飼い犬ですから大事に生かしておきたいと思いましたが、生かしてはおけません。これをご覧なさって。」と言い、細い手首を見せた。

 何の意味かと怪しんで見ると、獣の爪でひっかいたというような幾筋もの傷があって、白い肌に青赤い傷を残していた。
 「おや、この傷は」
 「そう、あのイビスが付けたのです。昨日私が彼が繋(つな)いである小屋の前を通りますと、彼が何の言われもなく私に跳びつきました。鎖がもう一尺(30cm)長ければ私の喉に噛みつくところでしたが、鎖が短かったためこれだけで済んだのです。」

 さては彼畜類の本能でナイナが主人の仇敵なのを感じ知り、噛み殺そうとしたのか。犬に忠あり、義ありとは前から聞いていたが、これ程とは思わなかった。私は深く感心し、ああ、イビスは犬でありながら人に勝っている。ナイナは人なのに犬に劣ると口の中でつぶやきながら、更に、

 「それは実に大変でしたね。」
 「いえ、私一人なら我慢もしますが、もし貴方に怪我をさせてはと思いましたので、」やむを得ず殺したのか、うまく言いつくろうものだ。
 「いえ、私にはどの犬も噛みつきません。先日の彼の行動で分かっています。」とほとんど口から出かかったが、そのまま言わずに控えてやめた。


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