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hitonotuma72

人の妻(扶桑堂 発行より)(転載禁止)

バアサ・エム・クレイ女史 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

バアサ・エム・クレイ女史の「女のあやまち」の訳です。

since 2021.5.24


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  人の妻   バアサ・エム・クレイ女史 作  黒岩涙香 訳
         
    (本篇)七十二 「未婚の娘で有ったのです」

 槙子でも松子でも、成るほど事柄に変わりは無い。母御は猶(なお)も不興気である。殆ど呆れたと言わんばかりに槙子ならぬ松子の顔を眺めて居る。
 槙子の松子は、極まり悪そうではあるけれど、熱心に言った。
 「イイエ事柄が違うのです。名前ばかりでは有りません。」

 母御「エ、事柄が」
 松子「ハイ、波太郎の妻に成ったのは槙子の方です。私では無いのです。私の連れて来た子は、波太郎と槙子との間に出来た子です。私しの子では有りません。私は丈夫の妻になるまで、婚礼した事も何も無く、此の国へ来た時は、寡婦(ごけ)では無く、未婚の娘で有ったのです。」

 成るほど事柄が違って居る。母御は全く驚いた。暫(しば)しは言葉も出ないほどに驚いた。ややあって、漸く驚きを押し鎮め、
 「待ってお呉れ槙子、いや松子、和女(そなた)が松子の方で、槙子では無い。好しそれは分かって居る。波太郎の妻に成ったのは槙子の方で、和女では無い。ハテな、和女は槙子の姉か妹か。」

 松子「妹です。姉槙子より年が二つ下でしたが、それでも姉の方は物事に執着しない気楽な性分で若く見え、私は心配ばかりする性分で、年より老けて見えた相です。」

 母御「」成るほどねえ。槙子の方が姉だから、和女より先に婚礼したのは順当だが、和女は丈夫の妻に成ったのが初婚だと云うのかえ。」
 松子「ハイそうです。」
 母御は初めて合点が行った。合点は行ったが、実に非常な相違である。合点の行くと共に又呆れる所が出来た。

 「何だって和女(そなた)は名前のみか、自分の身をまで姉槙子に見せ掛けて居たのだ。余り人を騙し過ぎると云う者では無いか。」
 松子「ハイそれだから、済まない事をした、済まない事をしたと、今まで気に掛からない時とては有りませんでした。」

 母御「私には少しもその謂(いわ)れが分からない。先ア姉の身に成り代わって居た和女(そなた)の了見《考え》を聞かせてお呉れ。」
 実に分からない了見である。
 槙イヤ松子は、極まり悪気でも有るが、又嬉し気でも有る。

 「阿母(おっか)さん、私は成る丈落ち着いて分かる様に云いますが、それでも丈夫さんが私をお捨て成さる仔細が、もう無くなったので、私しは嬉しくて、何だか落ち着いては居られない様に思います。元を云えばこうなんです。

 姉がお産の前に病気中で、波太郎の父大津博士へ無心の手紙を寄越した事は、私は後で聞いて知りましたが、その時、素より博士に頼る外は、その日食う物さえ当てが無い程の状況でしたから、少しも無理とは思いませんでした。

 それからお産はしますが、姉は死にます。私はその赤子を残されて、何うする事も出来ず、何が何でも乳母一人を雇わなければ、赤ん坊が飢え死ぬでは有りませんか。と云って自分が喰う物も無い中で、乳母を雇うことは及びも附かない事。

 私はその児を抱いて牛乳屋へ行き、自分の身に着けて居る留め針(ピン)を遣ったり、着物の釦(ボタン)を与えたりして、売れ残りの牛乳を貰って飲ませて居ましたが、その様を牛乳屋の雇い人が、余り気の毒だと云って、乳母を捜して来て呉れました。その乳母に私は今に英国から、お金が来るから、その時には給金も与えると、こう申して居りますうち、大津博士からの親切な手紙とお金の為替とが着きました。

 その時の嬉しさは申すにも及びません。直ぐに銀行へその金を受け取りに行きますと、受取人が大津槙子に相違無いと云う事を、証明せよと云われました。成るほど姉槙子へ来た為替だから、槙子の名で無ければ、受け取る事が出来ず、何うしようかと思って居ますと、乳母が進み出て、此の方がその槙子です。私が証明しますと云いました。

 此の証言でお金を受け取りましたから、私は槙子と云う名前で受け取りも書きました。けれど今までに見た事も無い程の大金なので、何だか気味が悪く、若し私が槙子で無いと分かれば、詐欺取財とか、名前を騙るとか云う
罪に落ちはしまいかと、後で乳母に云いましたら、乳母もその辺の事は詳しく知りませんから、何でも槙子で推し通すのが一番無難でしょうと云い、貴女が若し罪に落ちれば、証明した私も巻き添いに逢いますから、何うかそうして下さいと、達て云うのです。

 それで私はそのまま槙子の名を用いましたが、更に良く乳母に相談しますと、寧(い)っそ槙子の儘で英国へ行くのが好いでは有りませんか。私も蘇格蘭土(スコットランド)へ帰り度いと思いますからと、切に勧められました。それでも未だ決め兼ねましたけれど、博士の手紙に是非英国へ来て孫の顔を見せて呉れ。此のお金は旅費の為だと有り、又槙子の死に際にも何うか此の子を父博士の家へ連れて行って呉れ。そしなければ迚(とて)も此の国では育てる事は出来ないからと云い、私はそうするから安心成さいと慰めました。

 思えば是れが死に際の約束なので、背く譯にも行きませず、その上に私自身も豪州に居るのが心細くなりました。父は無し、姉も無し。唯の一人も頼りとする人が無い。そうして邪慳な他人ばかりの中で、女の子を連れて何して後々暮らして行かれる者か。

 たとえ暮らして行かれたとしても、果ては何うすると云う見込みは無し。英国へ帰り、大津博士の家に行けば、何とか又良い事も有るだろうと、唯だ此の様に思い、それに英国へ行けば誰も此の身が槙子で無いと知る人も無く、何から何まで無難だと、一図に此の様な気に成りまして、それから旅行券を受ける事に致しましたが、是も仕方が無く、槙子の名で受け、船の切手も槙子の名で買い、博士への手紙にも私が槙子の積りで、死んだのを私し自身が死んだ様に書いて寄越したのです。

 此の様な事で、何しても槙子のままで推し通さなければ成らない事に成りました。今ならば何もその様な愚かな事も致しはませんけれど、豪州に居て、人を欺いたり名を偽って置いて、夜逃げしたりする様な事ばかり見慣れて育った者ですから、大した悪事とも思いませんでした。

 それから此の国へ船が着きまして、初めて丈夫さんにお目に掛った時、丈夫さんの親切な、誠しやかなお言葉を聞き、英国には此の様な正直な人が居るのかと思いました。それでは自分の名、自分の身分を偽ったままで居ては済まないと思い、余ほど打ち明けようかと致しました。

 ハイ丈夫さんに向かい私は悪人ですからと云い、その次第を打ち明けますとまで言いましたけれど、丈夫さんも、是ほど重大な事柄とはお思い成さらず、ナニ貴女の過失は聞くには及ばないと仰り、更に博士の家へ行っても、自分が悪人などと云っては、何の様に思い違いや疑いを受けるかも知れないからと、親切に云って下されました。

 そうして博士の家へ来て見ると、成るほど輪子さんや風間夫人や、人を疑ったり、人の落ち度を捜したりする様な方々が居ますため、打ち明けては大変だと、猶更包み隠す事に成りました。その後貴女や丈夫さんに向かっては打ち明けなければ成らないとの気が、幾度も起こりましたけれど、その度に勇気が挫け、日が経てば経つに従い、益々打ち明け難(にく)くなり、もう何うしても生涯を槙子のままに終わる外は無いと思い詰めたのが婚礼の前頃でした。

 実に阿母さん、何度私は白状が口まで出たかも知れませんが、それだけの活智(いくぢ)が無かったのです。白状の折りの来るのを取り逃がして了まい、遂に今までその「折り」が来ない事に成りました。何うも阿母さん済みませんでした。私の活智の無い為、貴女にも丈夫さんにもこの様な御迷惑を掛けまして。イイエその後は之に懲りて、少しでも隠すと云う事をしない様に成りました。何うか御勘弁をして下さい。」
と他事も無く罪を謝した。



次(本篇)七十三


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