巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花、青空菜園、晴耕雨読、野鳥、野草

黒岩涙香の巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花の口語訳、青空菜園、野鳥・花の写真、ピアノ、お遍路のページです

ikijigoku13

見出し1

活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2018.5.13

下の文字サイズの大をクリックして大きい文字にしてお読みください

文字サイズ:

      活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

      第十三回 歌牌(カルタ)の勝負  

 柳條健児は上田栄三の許(もと)を辞して、我が家へ帰る道すがらも、心に掛かるのは、彼の大金の一条である。漸(ようや)く栄三を説き付けて、嬢を我が物と定めたことは嬉しいけれど、三十五万法(フラン)(凡そ我が国の今の5億円)の金子を如何にして調達したら好いだろうか。

 行方の知れない我が叔父、古澤金満中佐が戦場へ出発する前に於いて、我が為に遺言書を認めて置いて呉れたならば、こればかりの金は、何の雑作もないことだが、それも今更らどうにもならない事だ。如何にしたら好いだろうかと、只管(ひたす)ら思い悩むうち、忽(たちま)ち心に浮かぶ事があった。

 アア我ながら愚かであった。此の様な大金を調達するは、博打(ばくち)の勝負に勝る者は無い。日頃は何の考えもなく、徒に勝負を争うゆえ、勝つ事の稀にして負ける事のみ多けれど、心に確かなる目的を定め、用心して掛かる時には、三十五万法(フラン)は大金ではあるが、まだ七十日の猶予があり、勝つに勝たれない事があるものかと、ここに初めて決心したので、是からは金の事も苦にならなくなった。

 唯瀬浪嬢と婚礼する期の近づくのに喜び、昼は毎日上田銀行に行き、栄三の指図を受けて帳面を繰り返し、夜に入れば嬢と栄三を右左に置いて食事を済ませ、それから帰って歌牌場(かるたば)に行く。歌牌(かるた)は唯運一つで勝敗の定まる者なので、初めは先ずその運を占う為、些細(ささい)な勝負を試みると、「フィクル ゴッデス(運の神)」が我を愛さないためか、二晩は続けて負けた。

 しかしながら三晩目からは、その運が全く打って代わり、賭ける度に勝を得る事となったので、初めて大胆な決心を起こし、大いなる勝敗を争うに至った。とりわけて柳條の為に勝負を盛んにした次第と云うのは、先頃から巴里を囲んで居た、英独聯合(れんごう)兵が勝を奏して、多く此の巴里へ入って来て、国王が再び位に即(つ)いたため、国王の派は俄(にわ)かに勢いを得たのに誇り、天地の広いのを喜んで博奕場を初めとして、遊戯の場所に多く入り込み、

 又国王を憎む輩は、不平の念を散ずるのに方法がなく、心を遊戯に紛らわそうとする為め、孰(いず)れも内を外にして出て遊んだ。この様な有様なので、歌牌遊びの盛んなることは、殆ど前後にその例がなく、独逸方の大将フルチャー将軍の如きは、初めて巴里に来た夜、暁方(あけがた)までに十五万法(フラン)(約2.2億円)を失い、その翌夜は三十万法(現在の約4.4億円)を負け尽くしたと云う。

 日頃節倹の心に富み、用心堅固と聞いていた独逸人すら、是ほどの勢いなので、柳條健児は今勝たなければ、勝つ時なしと充分に臍(ほぞ)を固め、注意に注意を加えながら又も五夜ほど通うと、幸運益々我に向かったと見え、一万二千法(フラン)《1700万円》の元手を、追々に勝ち溜めてその十倍となし、十二万法(1.7億円)にまで達せさせる事が出来た。

 此の向きならば、今一夜で二十万法と為すのも難かしくない。兼ねて望みの三十五万法は、明夜で達成できるだろうと、その次の夜も入って行くと、相手は二人の英国の士官で、頻りに黒札に金を賭ける様子である。彼れ英国人は我が軍をワーテルローに攻め破り、更に進んで此の巴里へまで押し来たった敵であると思えば、柳條は充分に勇気を発し、国の恥を此の歌牌場に於いて雪(すす)いで呉れようと、直ちに赤札を取り勝負を挑むと、赤札の勢いは宛(さ)ながら旭日(あさひ)の登るが如く、十時を過ぎないうちに、早やくも十八万法に達した。

 今夜は二十万法まで勝上る目算なので、又二、三回闘ううち、十九万から二十万法に達し、更に進んで二十四、五万(3.4億円から3.6億円)まで押し寄せた。
 今こそ切り上げ時に違いない。運の神に見捨てられないうちに、早く退いて明夜又入って来たならば、十二時前に我大願は成就するに違いない。是が最後の戦争なりと又一万法賭けたのを、英国の士官は二人とも兵糧に尽きしと見え、英語にて、

「サア是だけだ。」
と云いつつ衣嚢(かくし)の底を探り尽くし、同じく一万法持ち出した。此の一万法も同じく柳條の手に帰したので、柳條は勇み進んで立とうとすると、此の時入って来た一人の独逸士官があった。兼ねて英国士官と親しい仲と見え、
  
 「好し好し此の敵(かたき)は見事拙者が取って遣る。」
と云わぬばかりの顔附きで、横柄に柳條の前に腰を下ろした。過ぐる頃ワーテルローの戦いには、仏蘭西の軍が勝ち誇り、英兵は殆ど顔色ない時に当たり、独逸兵が横合いから出て来て英兵を助け、大いに仏国(フランス)の軍を破ったので、今、仏国人である柳條が、大勝利を得、英国人敗れて将に退かんとする間際に、独逸人が来て救うのは、柳條の身に取っては誠に延喜(縁起)の悪いことである。

 世に博奕を試みる人などは、延喜(縁起)を担がない者はなく、柳條もその一人なので、充分に気持ちを悪しくし、一刻も留まるべきではないと思ったけれど、独逸士官の横柄な様子が甚だしく心悪(にく)く、今我が立ち去ろうとするのを見て、深い髯の奥で、卑怯を嘲(あざけ)る様子に見えた。此の様に感じては、何でその儘(まま)にして置かれようぞ。込み上げる癇癪(かんしゃく)に忽(たちま)ち日頃の用心を失い、

 「好し好し敵が打ちたければ打たせて遣ろう。」
と云う様な様子を見せ、断然と踏み止まったのは、所謂血気の勇と云うべきだろう。独逸士官は挨拶もせず、柳條が今まで勝続けた赤札を引き取って、之に二包みの金貨の棒を賭けたので、その挙動益々癪に障り、柳條は彼の顔を眺めると、彼は此の頃の戦争に傷を負った者と見え、左の手を首に釣り又右の目は潰(つぶ)れて見えず、容貌からして、既に失礼な分子を含んでいた。

 柳條は心の中にて、
 「此の目っ片(めっかち)何ほどの事があるものか。」
と頷(うなず)きながら、今度は黒札に同じ高を賭けると、運の神は未だ赤札を贔屓しているのか、忽ち柳條の負けとなり、次も又黒札で敗れたので、柳條は直ちに赤札を引き取って、之に二倍の金を賭けたが不思議や今度は赤札の外れとなり、その金悉(ことごと)く独逸士官に入った。

 余りの忌(いま)わしさに次は又黒札を取ったが、黒札は柳條の手に来れば必ず外れ、敵の手に入れば必ず当たる。この様にすること七、八回に及んで、柳條は勝得た二十五、六万法(フラン)のうち早や八、九万法(フラン)《1.1億円から1.7億円》を失なった。



次(第十四回)へ

a:354 t:2 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional

巌窟王、鉄仮面、白髪鬼、野の花