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活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

since 2018.5.15

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     活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

     第十五回 決闘の申し込み 

 栗山角三との話しが将(まさ)に佳境に入らんとする折しも、英国士官からその肩を叩かれたので、柳條は振り向いて、
 「貴方は何の用事ですか。」
 英国士官「イヤ私し自身の用事ではないが、独逸(ドイツ)士官が貴方に話し度いと云う事です。」

 扨(さ)ては彼の片目の士官、我が言葉を理解しない様に構えて居たが、実は一々聞き取っていて、歌牌(歌留多)の勝負が終わるのを待ち、我が後を追って来た者か。我れ何で彼を恐れるものか。
 「宜しい、その話しを聞きましょう。彼の士官は何所に居ますか。」

 英「アレ向こうの樹の影に私の友人と共に待って居ます。」
と指さす方を眺めると、成る程、二個(ふたり)の人影あり。夜目にもそれと分かったので、
 「サア、参りましょう。」
と云って柳條は踏み出そうとすると、角三は今柳條を放しては一大事、士官と士官の争いならば、必ず無事には治まらない。若し誤って柳條を死なせる事があっては、我が大金と共に死んでしまう。

 周章(あわただ)しく柳條を引き留めて、
 「イヤ少し待って貰おう。猶(ま)だ話す事がある。実は今云う遺言書と古澤中佐の死亡証書を、お前に渡すから、その代わりお前から愈々(いよいよ)財産相続の上は、百万法(フラン)を私に渡すと云う証書を、一通差し入れて貰わなければ。」
と云ったが、柳條は早や眼が眩(くら)み、

 「今はその様なことを聞いては居られない。」
と振り放して立ち去った。老人は情けない声を出し、
 「今時の若い者は是だから誠に困る。若し決闘でも始めては大変だが、何でもアノ柳條を見失わない様、ここから斯うして見張って居よう。」
と云いながら、遠見に立ち柳條の様子を眺めて居た。

 さて柳條は英国士官に従って彼方の木蔭に進んで行くと、片目片腕の独逸士官は徐々(静々)と出て来て、
 「貴方は歌留多室に於いて、大勢の前で私を辱めましたな。」
と云う。その言葉は立派な仏国語(フランス語)で、独逸人の中では充分語学を修めた人と察せられる。

 「オヤ貴方はそれほど言葉が分かる癖に、私が口を開いた時、通じない振りをして居たのは、故(わざ)と私に罵(ののし)られる積りであったのでしょう。」
 独逸士官「貴方を充分苛立たせて負けさせる為でした。」
と失敬にも言い切った。

 柳「負けさせる為であったら、今又斯(こ)うして私を呼びに来たのは何故です。」
 独「先刻の無礼な言葉に対し、敵(かたき)を討ち度いと思いまして。」
 柳「フム、敵(かたき)を是は可笑しい。再び歌留多室へ帰って勝負しろと云うのですか。」

 独「イヤ貴方の嚢中(のうちゅう)が既に尽きた事を知って居るから爾(そう)は云いません。決闘を挑むのです。」
 柳條は愕然と驚いて、貴方と私と決闘が出来ますものか。」
 独「その故は」
 柳「問はずとも知れて居ます。貴方は片目片腕で誰に見せても立派な身体障碍者です。五体満足に揃って居る此の柳條が、身体障碍者と決闘しては道徳及び法律の罪人です。」

 独「などとその実私を恐れるので。」
 柳「ナニ貴方を――恐れはしないが此の仏国(フランス)では、身体障碍者と決闘する者は独りもありません。」
 独「恐れないならば決闘しましょう。障害者でも障害者でなくても、名誉を重んずることは同じ事です。私は士官です。貴方も元士官だと聞きました。障害者を相手にするのが厭とならば、貴方も自分の身体を私と同じ様にすれば宜しい。」

 柳「ナニ貴方と同じ様に、それでは片目を繰抜き片手を切り落とし、同じ障害者となった上で決闘しろと云うのですな。私は独逸の士官を殺した事は幾度もあり、此の後とも益々殺し度いと思いますが、自分の身を障害者に仕様とは思いません。両手両目を生かして置いて、此の後障害者でない独逸人と闘かわなければなりません。」

 独「それは卑怯な口実です。何も片眼片手を無くするには及ばない事、布を以て片目を隠し、片腕を動かさない様に縛って置けば、夫れで宜しい。」
 柳「でも貴方は生まれ附きの目っかちでしょう。私は今急に片目を隠せば見当が附きません。」
 独「ナニ貴方でも、鉄砲を撃つには片目を閉じて狙いましょう。見当の附かない事はありません。其の様な言い立ては益々卑怯です。」

 卑怯と言われて逡巡(しりごみ)する柳條ではないが、何分にも此の身体障害者の士官を相手にする気はない。
 柳「ナニ私が決闘を恐れない事は、今迄の履歴で分かって居ます。貴方と決闘を拒むのは当たり前の事柄です。障害者だから助けて呉と云えば助けて遣りますが、決闘しろと云っては断ります。」

 独逸士官は少し言葉を荒くして、それほど障害者に対して義理があるなら、何故に此の片輪者を満座の中で辱めました。歌留多室での貴方の言葉は、障害者に対して発すべき言葉ではありません。それが今更、障害者だから決闘しないと云うのは、言い抜けにも程があります。」

 茲(ここ)に至たっては、柳條も言い争うべき言葉が無い。
 「宜しい、それでは異存を言いますまい。片目を隠し片腕を縛って、闘うのは飽くまでも不適当な決闘と思いますけれど、此の判断は唯是なる二人の英国士官に任せましょう。」
と云うと、二人の士官は口を揃えて、我々は初めから適当なる決闘と思います。今夜の中に闘って、独逸士官を満足させるのが、貴方の義務と云う者でしょう。」

 柳「宜しい、シテその武器は」
 独「私は此の通りの身体で、長釼(さーべる)を持つことが出来ないから、小刀(ナイフ)で切り合う事にしましょう。小刀でも長く戦う中には、終に何方(どちら)か死んで仕舞います。」
 柳「では一方が死に切るまで闘いますか。」
 独「勿論です。」

 アア片目を隠し片腕を縛り上げ、小刀(ナイフ)を以て死ぬまで切り合おうとする。世に斯(こ)れほど恐ろしい決闘はあるだろうか。



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