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活地獄(いきじごく)  (扶桑堂 発行より)(転載禁止)

ボア・ゴベイ 作  黒岩涙香  翻訳  トシ 口語訳

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     活地獄(一名大金の争ひ)    黒岩涙香 訳

     第十七回 決闘の終り 

 「御異存は無いでしょうネ。」
と念を押す英国士官の一言に、栗山角三は初めて我身が介添人に撰ばれた事を知った。我が命にも代え難い百万法(フラン)の商法種、彼柳條をして、何うして前代に例もない、恐ろしい決闘の手相(あいて)となされようか。
 「イヤ私が介添人ならば、充分に依存を云います。」
と言い出そうとするその言葉を、柳條は遮って、

 「イヤお前が口を出す事ではない。俺が何の様な事をしようが、横合いから留めてはならないと、堅く断(こと)わってあるではないか。今更ら彼是れ言われては、俺の恥だ。俺に少しでも恥じを書かせれば、充分痛(ひど)い目に合わせるぞ。」
と厳しく叱るので、深く本末を考えもせず、今まで附き来たりし己の手落ちを悔いる様に、

 「でも今お前に死なれては肝腎の財産が。」
 柳「財産の事などを言う時ではない。」
 栗「ダッテ財産の事がなければ、私はお前に無関係の様な者だ。お前にも親戚はあるだらう。此の儘(まま)死んだらアノ財産は敵の者になって仕舞うが、仮令(たと)えお前の名義になっても、親戚の手に落ちて仕舞い、私は一文取らずになる。」
と辺りをも憚らず説き立てる。

 柳條は之を尻目に睨(にら)んで、
 「分からぬ事を言うやつじゃ。今となって何うなる者ではない。」
 栗「イヤ未だ充分何うでもなる。それではもう彼是とは云わないから、約束書だけ手帳の端へでも、お前の自筆で書いて貰おう。それさえあれば、後で工夫の仕様はある。こう云うのも私ばかりの為ではない。お前の為だ。今此の相談を捨てて仕舞えば、二百万法はその儘で鳥村槇四郎の手に移り、お前の親類も一文取らずになって仕舞う。サアここを好く考えて、此の手帳の紙を破り、たった一行(くだ)り書いて下され。」

と拝まないばかりに、己が手帳を取り出した。抑(そ)も此の貪欲な老人の心づもりでは、一行(ひとくだり)でさえも、柳條の自筆の書があれば、それで柳條の親類を説き附けるに足りる故、事をなすに難(あやう)からず。仮令(たとえ)柳條が死んだ後も、その親類を尋ね出し、我が嚢中(のうちゅう)《ふところ》を肥やすべき工夫ありと思えるのだ。

 しかしながら此の老人、実はその口に言う様に、既に遺言書の文面まで見て居るのでは無い。今猶(な)お肝腎な遺言書の持参人、彼の今井兼女をすら探す事は出来て居ない。探し当てる事は出来ていないが、之は気永く探し出す事として、先ず柳條を承諾させるのに、此の様に骨を折って居るのだ。

 柳條は老人の言葉を聞き、暫(しば)し無言で考えた末、何を思ったのか老人の手帳を取り、その紙を破り取り、乱筆にて我一切のの財産は、上田栄三の娘上田瀬浪に遺す者なりと書き、我が名を記して之を巻き、表面(おもて)に栄三の番地姓名を認め、

 「サア俺が殺されたなら、此の書付を上書の所へ持って行くが好いと云って、老人に差し出した。柳條は此の書付さえ嬢に渡せば、我が財産は嬢に伝わり、我が心も分かるので、仮令(たとえ)死ぬとも恨みなしと思えるのだ。是より介添人は籤(くじ)引きを以て、二挺の小刀(ナイフ)を独逸士官と柳條に分かち、又籤引で馬車の中の据わり所を定めると、柳條は前の方に座し、独逸士官は後ろの方に座る事となった。

 馬車若し歩みを早める時は、前に座する者は、後ろに座する者より損なる割合いなれど、柳條は彼是云わず、英国紳士のなすに任せ、布切れにて我が左の腕を縛り、右の目を隠し、独逸士官の後ろに従い、馬車の中へと入り了(おわ)った。英国士官は両人の席が定まるのを見済まして、徐(おもむ)ろに馬車の窓を閉じ、己は馭者台の上に上った。残れる一人の士官は馬車の右に附き、栗山角三はその左に附き、共に身構えの宜しきを見て、馭者台の士官は車の中に向かい、

 「用意はは何うです。」
と問えば、中から独逸士官の濁った声と、柳條の澄(さえ)た声で一斉に、
 「宜しい。」
と答えた。
 「それではお始めなさい。サア、一二三」
の声と共に馬を歩まし始めた。

 通例の決闘ならば剣と剣と入り交る音、優々と聞こえるべきも、小刀(ナイフ)と小刀の事なので、その静かなること、返って物凄いばかりである。栗山角三は仮令え短かい書付を得たとは云え、今柳條を死なしては、我目的大いに狂ってしまう時なので、一生懸命に中の様子を伺おうと馬車に添って歩みながら耳を澄ますと、暫(しば)しが程は、何の音も無かった。

 稍々(やや)一町(108m)ばかりも進んだ頃、キャッと一声叫んだのは、確かに柳條の声であった。初めに深手を負えば、その者の負ける事は殆ど必定とも云うべき程なので、栗山の失望は、云いようもなかった。頓(やが)て空き地を半分ほど廻った頃、又も手負いの声を聞いたが、その時は前の声より較(や)や低かったけれど、是ぞ死に際の一声と覚しく、云うに云われない凄味を帯びて、長く引いた。

 扨(さ)ては勝敗はここに決し、全く柳條の殺された事であるかと、再びその耳を澄ますに、勝敗はまだ決した者では無かった。
苦し気な息遣いと共に、ドタバタと両人が馬車の底を踏む音も洩れ来る。是からの一刻は千秋である。

 何方が勝つか、何方が負けるか、早や空き地の縁を七分ばかり廻ったので、出立した所に帰るのもあともう少しの間にあるに違いない。それまでには必ず勝負も付くだろう。そんな僅かな時間であるが、栗山角三は殆ど十年の心の心配を、一時に引き集めたとも云うべき程で、戦々(わなわな)と身震いをした。

 この様にして居るうち、両人の叫び声は非常に弱り果て、一時にウーンと聞こえたのは、これは二人の全く最後に違いない。此の後は何の音もなし。一方の介添人はここに至って、角三の方に廻って来て、
 「ヤット勝負が付いた様です。」
と云い、更に馬車の中に向かい、独逸士官の名を呼ぶと、英国士官は少しも騒がない声で、

「フム全く両人とも死んで仕舞った。」


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